骸骨探偵・第4話
服を乾かしきったところで再度着用……更に、骸骨探偵が『必ず必要になるもの』として買ってきたものを揃えて、僕らは張り込みを行っていた。
ある家──木津都でも、それ以外でも珍しくないであろう広さの土地。
庭とプールのついた、青い屋根と白く綺麗な壁が目立つ一軒家……少々珍しくとも、特異と言えるほどのものではない。
だが、真に特異なのはこの家に住まう人だ。
前の家主が雨の日に河川敷で足を滑らせて命を落とした、当然家も壊されて土地だけになって売られる……と思いきや、すぐに別の人がこの家を買ったのだ。
少しの改築もなく、住み慣れた実家のようにこの家の構造を少しも変えることなく、同時に誰も招くことなく、この家に住み始めたのだ。
恐らくは怪異、水難法師と化した水谷雅彦が自分で自分の家を買い直したのだろう……随分と金持ちな奴だ。
いや、怪異がもしも飲まず食わずで生活可能ならば、お金なんてそんなに必要ないのだろうか。
「お前は何も食わずで平気か」
「……何か食べてる暇があったら、1秒でも早く水難法師を捕まえたいんです」
「そうか……だがいざというときに動けないのは俺も困る、腹に入れておけ」
「わかりました、ありがとうございます」
骸骨探偵が懐からクリームパンとリンゴジュースを出してくれたので、一応いただくことにした。
アンパンと牛乳じゃないのかよ……というツッコミはさておいて、甘くて美味しいし、糖分補給が出来るありがたみを感じながら咀嚼する。
「……ところで僕たち、思いっきり不審者に見られたりしてませんかね」
「近所の目をごまかすためだ、問題ない」
塀の外側に身を寄せつつ、僕らは住宅街通路から不審者に見られるのを上等で家の前に張り込んでいる。
だけど、うっかりそれで警察にでも通報されて、水難法師を捕まえる前に僕らがお縄になっても意味がない。
それ故に、経子がわざわざここについてきてくれたのだ。
普段から骸骨探偵が張り込みを行うときのために、経子が毎度毎度やっているらしい。
「……あのカメラ、どこで手に入れたんですか?」
「知り合いからゆす……譲ってもらった」
ゆすった、って言いかけたよな、今。
……ただの依頼人に過ぎない僕がそこまで詮索する事ではないかもしれないから、そこは黙っておくとして。
僕らは経子の構えるカメラに撮られながら、さもドラマなり動画なりの撮影中ですと言わんばかりの態度でいた。
こういう様子があるだけで、近所からの目線は不審者を見るものでなくなるのだから、世の中複雑なようで単純な気もしてくる。
「奴に動きはまだない。事務所前で負わせた傷が堪えたか、それとも……」
「……と言うか、家の中にいるんですか?」
「あぁ、呪力のマーキングが家の中で少々うろついている。マーキング部分を切り離しただとか、そういうことはないハズだ」
呪力とかそういうのはよくわからないけど……骸骨探偵が言うなら、きっとそうなんだろう。
彼に対する信頼感はこの1日という僅かな時間でも、もう既に出来上がっている。
最初は怖いとも、恐ろしいとも思った。
けれど、彼の言葉や声色は何故か信じたくなるようなものがあるのだ。
「こういう張り込み勝負は長期戦になる。周囲の目も警戒しつつ耐えておけ」
「はい……って、これは?」
「眠くなった時に食っておけ。俺はもう食うのも飲むのも眠ることがなくとも、まだ今を生きるお前たちには必要なものだ」
骸骨探偵がまたも懐から何かを取り出して手渡してきた。
……何かと思えば、木津都の小さな工場のみで生産されている、超強力なミントタブレットだった。
一粒一粒が市販品よりも倍以上大きく、刺激も十数倍ほどある……と書いてある。大丈夫なのか、コレ。
「普通、こういうのってドリンクで渡す物じゃないですか?」
「ドリンクでは催すだろう」
……こっちはこっちでちょっと喋りづらくならない? と言うのは野暮だろうか。
まぁ、でも本来なら飲まず食わず眠らずで良いハズの彼が、飲むし食べるし眠る僕をつけて捜査をしてくれているのだ。
ならそのために用意してくれたものをいらないと突っぱねたり、文句をつけたりするのは人として良くないだろう。
「……いただきます」
苦しいものであれども、確かな施しに感謝しながらミントタブレットを一粒口の中に放り込んだ。
……直後、僕は骸骨探偵に感謝したことがバカらしく感じるくらいの刺激を味わったのだった。
「っ、ぐ、ン……ヌ゛……けほっ、な、なにっ、これ……いたぃ……」
「まぁ、フツーはそうなるよね……あはは」
僕と同じようにミントタブレットを二粒も口の中に放り込んだ経子の言葉は、既に慣れ切った経験者の物だった。
……高校生なのに、こんな刺激に慣れちゃダメだろ。
「ふわぁ……」
「23時……か」
僕が探偵事務所・コツコツに来て依頼をしたのが13時頃。
聞き込み調査を終えたのは15時頃。
情報整理、準備を終わらせて張り込みを始めたのが17時頃だ。
そして……現在は23時、夜中も夜中、日が変わる少し前だ。
「庭出助、動けるか」
「一応……なんとか……」
骸骨探偵から貰ったタブレットの効力はすさまじかったので、何とか夜中まで気を張っていられた。
二時間おきくらいに食べれば、睡眠薬を飲まされていたって目覚めてしまうのではないかと言うほどの刺激を味わえる。
故に張り込み中に寝てしまうこともなく、僕も経子も骸骨探偵のように飲まず食わず眠らずで6時間以上の張り込みを続けられたワケだ。
本当に凄い効力だなぁ、このタブレット……願わくば、二度とこれを食べる日がやって来ないで欲しいけど。
「……おい、庭出助」
「え、あ、はい」
この6時間を付き合ってくれた相棒にも等しきタブレットにうっとりしていたら、骸骨探偵に脇腹を小突かれた。
「……ホシが動いたぞ」
「っ、はい」
ホシ──容疑者、つまり水谷 雅彦、水難法師……の、可能性が滅茶苦茶高い人!
塀からバレないようにそーっと顔を出すと、奴はそこにいた。
夜中にも関わらずスーツなんて着て、さもこれから出勤します、って足取りでこちらに向かって来ている。
夜だから顔はあんまり見えないけれど……ただ、何となく雰囲気のようなものを感じる。
昼間に経子を襲った水たまりから感じた得体のしれないような気……みたいなのが、漂ってくる。
「行くぞ」
「は、はい」
骸骨探偵に服の裾を引っ張られ、僕らは懐中電灯片手に水谷 雅彦の前に立ちはだかる。
近づいたことと、光があるおかげでようやく彼の顔を視認することが出来た。
50代、と言ったところだろうか。
身なりのいい初老の男性と評するのが相応しい。
白と黒が入り混じった髪は丁寧にセットされていて、顎には丁寧に切り揃えられている髭。
事前情報とか、この異様な雰囲気を一度感じ取っていなかったら、簡単に信用してしまいそうなほどの身なりの良さだ。
「水谷 雅彦だな」
「……? 私は水野、というものですが……ほら、表札もそちらにあります」
骸骨探偵が単刀直入に声をかけても、目の前の初老はとぼけるばかりだ。
……今すぐにでも殴りかかりたい気持ちに駆られるが、それを彼に向けて浴びせる罵声の言葉と共にグッと飲み込んで堪える。
あくまで、作戦をいきなり台無しにするわけにはいかない。
準備中に骸骨探偵から聞かされた役割の通り、僕は懐から手帳を取り出し、そこに挟んでいる姉の写真を奴に突き付ける。
「この写真の女の人……僕の姉、庭出助 翔子って言うんです。今、行方不明になっていて……何か、知っていることはありませんか」
「ふーむ……? 庭、出助さんですか……いえ、私はこのお方をお見かけしたこともないもので。申し訳ありませんが、知っていることは何もございません」
とぼけながら、丁寧な受け答えをされた。
……本当に、コイツのことを何も知らなければ紳士と勘違いしてしまいそうなほどの振る舞いだ。
こんな丁寧な受け答えや、にこやかな表情が出来るくせに……僕の姉を、攫ったというのか。
ますます怒りが増してくる。
「そうか……では、俺に見覚えはあるか」
「? はて……どこかでお会いなさいましたか?」
今度は骸骨探偵の質問。
だが、初老は首をかしげてとぼける。
「昼間に、住宅街で殴ったのだが、覚えていないか」
「! わ、わぁっ!」
骸骨探偵はサングラスとマスクを剥ぎ、骨だけの素顔を晒した。
水野、と名乗った初老は目を見開いて数歩後ずさった。
……僕が初めて骸骨探偵を見た時と、そっくりの反応だった。
隙だらけ、と見ていいな。
「が、骸骨……? あ、ああぁ、それは被り物ですか! そうで──」
「本物だよ」
「へ」
僕は大きく一歩踏み込んで、骸骨探偵のことを指さしているその左手を掴んだ。
そして、手帳と同じポケットに入れていた、秘密兵器を取り出す。
「いい加減、隠すのもやめろ」
秘密兵器──ガラスの瓶に詰められ、赤いキャップで封をされている白い粒粒。
普段はそれをぶちまけることがないように、内蓋というものが付いている。
だけど僕らは事前に内蓋を外した物を用意している。
何故なら、彼に向けてぶちまけるためだけに用意したものだから。
僕は赤いキャップを片手の親指だけで回し開け、素肌を晒している彼のその左手に中身を落とす。
「──っ、あ、があああっ!!!」
「……普通の人間なら、そうはならないよな。水谷 雅彦」
僕が彼の手にぶちまけたもの、それはどこのご家庭にもある調味料、塩だ。
塩は水を吸う、故に水の塊が人の形と化した水難法師に対して有効であるのだろう……と、骸骨探偵は語っていた。
実際、彼が昼間に水難法師を追い払った時もこれを使っていたわけだし。
そして、普通の人間なら塩に触れたくらいでどうこうなるわけじゃあない。
だが、彼は大量の塩に触れた左手が焼けただれていて、苦悶の声をあげながら左手を必死に押さえていた。
「が、あ、あぁっ……ひ、酷い……! 私に、私にこんなことをするなど……!」
「酷い……? ふざけるな、お前は……! お前は! 僕の姉を攫った怪異だろうが! そんな奴が、どうして今更被害者面なんて出来る!」
「──っ、確かに、確かに私は人ならざる身の者だ……だが、私はあなたの姉など知らない、人を攫ったことなど一度だってない。人ならざる者であれども、人の世に溶け込み、人として生きて来た!」
「どの口が……!」
僕は歯ぎしりと共に水谷 雅彦──いや、水難法師を睨みつけた。
この期に及んでとぼけるコイツは、絶対に許しちゃあいけない。
夜風が吹く中、僕は自分が踏みしめているコンクリートを割りそうなほどに足へ力を込めていた。
……逃げ出そうとしたら、今度はもう一本の塩を顔に浴びせてやる……!
「もういい」
「……探偵さん」
「ここからは答え合わせの時間だ、水谷 雅彦……いや、水難法師」
骸骨探偵は、怒りに身を任せそうになっていた僕を手で制した。
そして自分が前に出て、帽子のつばを軽く指で弾いて、骨そのものの手を水難法師へと指さして向ける。
そのポーズはまさしく探偵の『犯人はお前だ』というポーズを体現したものだった。
「さぁ、お前の全てを暴こう」
「私の全て……だと?」
「まず──貴様は生前、つまり人間の頃……川遊びや水泳が趣味だったようだな」
骸骨探偵の言葉を、水難法師は否定しなかった。
そりゃあ、まぁ否定する材料はないだろう、そうでなかったらなんでプール付きの家なんかに住んでんだよって話だ。
「だが同時に、お前は生粋のサディストでもあった。若かりし頃はその悪性を理性で抑えていたのであろうが、大人になり、怪異になり、お前の欲求は加速していった。
そして、人は古来より自分の好きなものと好きなものを組み合わせて楽しむものだ。
例えばお前なら川遊びで人を苦しめる、とかな」
「……確かに私は水場で遊ぶことが好きだ、そして美しい者に対して嗜虐心を抱いているのもまた事実だ、生前も水場で遊んだが故に命を落とした。
だが、決してその水場で人を苦しめようだなどと、そんなことを思う必要がどこにある! 私が水場を好むのは、水の流れに身を任せ、揺れるあの自然の美しさを感じられるからこそだ! 断じて人を傷つけるためではない! そして、嗜虐心をがあろうとも、人を傷つけるのは人であれ人でなくても、私が人生で培ってきた道徳に反するものだ!」
ここだけは譲れない、と言わんばかりに水難法師が反論する。
……それでも、骸骨探偵は言葉を続ける。
「そうか……では、何故俺の仲間を襲った? 『水底に沈め』などと言いながら、顔を抑えつけた」
「知らない、私は何も知らない! それは恐らく私と似て非なる性質を持つ怪異だろう! 私はその時間帯、家で休息を取っていたのだ! 女性を襲って苦しめるなど、男として恥ずべき行為を私がしてたまるものか!」
「……まだ時間帯について何も言ってないんですけど、その時間帯、ってなんですか? あと、どうして襲われたのが女性って知ってるんですか?」
「っ、あ……」
自爆した。
水難法師は自己弁護に必死になろうとして、僕らがまだ聞いていない質問に対し先回りして答えていた。
経子が襲われたのがいつで、その襲われた経子がどんな子なのか、とか骸骨探偵は何も言っていない。
……ちょっと、あまりにもマヌケじゃないだろうか、この怪異。
「い、いや……そんなことはどうでもいい、私がその犯人だという証拠は!? 証拠が無ければ冤罪だ!」
「……そうか、では腹をまくってみろ、何もなければ疑いはすぐに晴れる」
骸骨探偵は水難法師の着ているスーツの一点を指さした。
だが、彼は要求に応じず黙りこくっているだけだった。
……それはもう、認めたも同然なんじゃないだろうか……と思っていると、手を動かすものは一人いた。
「どうした、やましいことでもあるのか? 例えば……昼間に塩をかけられたせいで、腹が焼け爛れていたり、とかな」
「あ、あぁっ……!」
骸骨探偵は怪異としても、人としても納得できる問いかけをして、水難法師の着ていたスーツ……のシャツを引っ張ってまくり上げた。
そこにあるのは、初老にしては鍛えられた肉体──ではなく、まるでゼリーのように固まった水だった。
しかし、表面にはあちこちが焼けただれたような様子だ。
「この焼けただれた後は、俺が俺の仲間を襲っていた水溜まりに向けてかけた塩の痕だ。
……何故、何も関係のないハズのお前についているのだろうな」
「っ、く、ぅ……そうだ、私が襲った……庭出助 翔子も、昼間見かけた女子高生も……私が襲った……だが」
だが?
何やら言い含んだような物言いに、僕は一歩近づいて問い詰めようとした。
が、向こうはもうやけっぱちだった。
「私は何も悪くないのだ!」
「おわっ」
水難法師は不用意に近づいてしまった僕を突き飛ばして、その場から走り去ろうと背を向けた。
だが、既にその行動は探偵としての経験豊富な骸骨探偵の前では見え透いた行動に過ぎなかった。
逃げる経路も予測済みだった骸骨探偵は、決して素早いというわけではないが、無駄のない動きで水難法師の進行方向へ先回りしていた。
「ふんっ!」
「うごぁっ……! が、ぁ、ぇ……!?」
やけにのろのろとした速度で逃げようとする水難法師に対し、骸骨探偵は鋭い……ってほどでもないパンチを繰り出した。
パシャン、という軽そうな音が響いた……と思うと、水難法師は目をぱちくりとさせながら頬を押さえていた。
「……本当に、効くんだ」
「あぁ、これが俺の怪異としての能力で……骨だけの身体という制約を抱えながらも、数々の怪異を祓った力だ」
骸骨探偵の、怪異としての在り方……というか、出来ること。
水難法師が自身の体を水へと変え、自在な形状への変化や水としての性質そのものを利用できるような力。
それ同様に、骸骨探偵が持っている力は。
「相手の凶行を暴いた時、その力を大きく弱体化させる……それが、骸骨探偵と名乗る俺の力であり、在り方だ」
「……すご」
端的に言えば、今の水難法師は凄く弱くなっているってことだ。
それこそ、女子高生にパワー負けするような骸骨探偵よりも。
「さぁ、次はお前の罪を償わせよう」
骸骨探偵はコートを着たままだが、腰を落としてファイティングポーズを取った。
……僕も、僕の出来ることをするために、懐へ手を突っ込んだ。
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