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骸骨探偵・エピローグ


#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

 ──行方不明だった姉、庭出助 翔子を救出し、病院へと搬送して、翌日。
 僕はまた探偵事務所・コツコツへと足を運んだ。
 高校時代にしていたアルバイトでたまったお金を大量に下ろして、封筒に詰めて。

「ごめんください、庭出助です」

「あ、鍵開いてますから。どうぞー」

 玄関の扉をノックすると、経子の声がした。
 声の通りに扉を引っ張ってみると、確かに鍵はかかっていなかった。
 不用心じゃないだろうか……と思うが、骸骨探偵がいる以上、ここに押し入ったって悲鳴を上げて逃げ帰るのがオチだろう。

「……これ、報酬です」

「はーい、えーと……」

 何枚ものの一万円札を詰めた封筒を、経子に手渡す。
 彼女は中身を全て取り出し、慣れた手つきでぺぺぺぺぺぺぺぺぺ……と音を立ててお札をまくり、数を数える。
 あまりにも素早い動作だっただけに、本当に数えられているか心配になったが、問題はなかったようだ。

「はい。確かに受け取りました、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ……おかげで、姉を見つけて、助け出すことが出来ました」

「助け出したのも、見つけたのもお前自身の力だ。庭出助」

 僕が深々と頭を下げると、奥の方の机でタイプライターをカチャカチャといじっている骸骨探偵が口を開いた。
 おそらく今回の事件のレポートでもまとめているのか、経子がお金を数えるのと同様に慣れた手つきで入力を続けていた。
 今時にタイプライターが存在することに驚いたけれども、こうして見ると、改めて彼から探偵らしさのようなものが感じられた。
 僕が今まで人生で出会ってきた探偵って、彼しかいないんだけれども。

「でも、僕は骸骨探偵さんがいなかったらあの場で何もできなかった……仮に、よしんば真実を知ったとしても、水難法師に殺されるのがオチでしょ」

 水難法師は、確かに塩でダメージを与えることが出来た。
 けれどそれは骸骨探偵自身が教えてくれたことだし、最後の戦いのときだってそうだ、彼が推理で水難法師の力を弱めたから。
 結局僕のやったことなんて、少しの聞き込みと塩をぶちまけただけだ。

「……お前の姉は、刻一刻を争うような容体だったのだろう」

「そう、ですね」

 今もまだ、姉の意識は戻っていない。
 衰弱しきっていて、目が覚めればきっと廃人のようになっている可能性もある。
 僕を絶望させるには十分なくらいの情報がそこにあったんだ。

「お前が聞き込み調査を行ったおかげで、少しだが情報が早く集まった。
お前が俺を援護したから、余裕を持った上で早くに決着をつけることが出来た。
お前がいたから、あの場で水難法師を祓わず捕えるという形で決着をつけられた。
故に、被害者の救出が早くにできた」

「でも、僕は……」

「誇れ。お前はよくやった」

 骸骨探偵の、優しい声音で発されるその言葉は。
 我慢していた僕の涙腺を決壊させ、再び涙を流させるのには十分だった。

「ぅ、うっ、ぅぅっ……く、ぁぁっ……っ、ぅ……す、ぅっ……あぁっ……! ありがとう……ござい、ます……!」

 僕はその場に突っ伏した。
 両親を早くに亡くして、僕にとっての家族は姉だけだった。
 そんな姉が行方不明になって、僕の胸にはぽっかりと穴が開いていた。
 一人でどれだけ探しても、警察を頼っても、見つけることが叶わなかった。
 藁にもすがる思いで骸骨探偵(かれ)らに頼んで、ようやく見つけても、姉はあんなボロボロになっていた。
 生きているだけ儲けもの、そうは言ったのだとしても、大好きな姉があんな風に傷ついていたのだ。
 辛さが波のように押しかけてきて、僕の心をグチャグチャにしていった。
 でも、それでも……自分は確かに姉を助けることが出来たのだと、僕がいたから姉を生きて帰せたのだという言葉が、僕を報われた気にさせた。
 骸骨探偵のように、経子のように、こんな僕を肯定してくれる人がいた。
 それが嬉しくて、嬉しくて……その言葉がキッカケで、僕に涙を流させた。

「ところで、だ」

「……はい」

 僕が泣き止む頃、骸骨探偵は引き出しから一つの瓶を取り出した。
 何かと思うと、瓶の中には人が入っていた。
 小さな小さな人……水谷 雅彦──いや、小さくなった水難法師だ。
 中にいる彼はすっかりと意気消沈したというか、諦めきって瓶の中で寝ていた。
 いや、眠っているというか……立つ気力すら失った状態、だからその場に倒れていると言うべきか。

「コレについては、お前に任せよう」

「わかりました」

 この世で一番恨んでいるものは何ですか? と聞かれれば、僕は間違いなくコレだと言うだろう。
 自分の欲に身を任せ、多くの人を傷つけ、僕の姉にも手を出した最低最悪の存在。
 元が同じ人間だったとも思いたくない、醜悪の極みたる汚物だ。
 それの扱いを任せる、と骸骨探偵は僕に彼が入った瓶を手渡してきた。
 ……なら、僕のやることはもう既に決まっていた、僕がこいつをどうにかできるというのなら、と考えていたこと。

「……水難法師」

「……」

「お前はさ、欲に身を任せたんだよな」

「……そうだ」

「あんなことをされたらどうなるかなんて、どれだけ傷つくかなんて、わからなくても想像がついただろうに……お前は欲に身を任せて二人の人の命を奪って、三人の心を壊した」

「……そうだ」

 淡々と、こいつの犯した罪を述べていく。
 こいつ自身も、淡々とそれに応える。

「……お前はさ、人を殺したかったの?」

「違う、私はただ楽しみたかっただけだ……死は、結果の1つだ」

「そっか……なら、僕もそうしてみるよ」

 ……僕は、きっとこの水難法師のように人を苦しめた怪異と同様の外道に堕ちるかもしれない。
 それでも……この行為が何も生まなくて、僕をただ悪の道に堕とすことだったとしても。
 僕は僕自身の手で僕の心を清算して、前を向いて生きていたいと思う。
 だから、きっとこれは僕自身の手でやらなくっちゃいけない事なのだろう、と思う。

「お前のことは殺さなくちゃいけないし、殺したい」

「……!」

 諦めきっていたくせに、まだ希望があるのだとでも思っていたのか水難法師は目を見開いた。
 死を直感的にイメージしたからか、呼吸を荒くし始めたともうと必死に瓶を叩き始めた。
 けれど瓶にはヒビが入ることもなく、僕が軽く瓶を振り回したら彼は体のあちこちを瓶の中でぶつけ、目を回した。
 ……こんな、ちっぽけな奴に姉の人生を台無しにされたのだと思うと、出てくるのは恨み言ではなくため息だった。

「骸骨探偵さん」

「なんだ」

「……こいつ、殺してもいいですか」

「構わん、好きにしろ」

「……わかりました」

 先日の昼、襲われていた経子を助けるために骸骨探偵が持ってきた塩の本来の置き場所……即ち、この探偵事務所のキッチンを借りる。
 そこのコンロに鍋を置いて、あとはこの瓶の中身を火にかけるだけで……僕の清算は終わる。
 いたって単純、僕の憎しみはそれだけで終わるのだ。
 水をただ火にかけて、蒸発させるだけ、小学生にだって出来るような、とてもとても簡単なこと。

「……やらないのか」

「……わかんないんです」

 だのに、僕の手は、足は、探偵事務所の客室から動かなかった。
 瓶の蓋を開けることも、この水難法師を蒸発させることも、頭の中に浮かべたこいつの処分方法の第一歩すら、出来なかった。
 殺したいのに、こいつを殺して気持ちを清算したいのに、僕の手も足も動いてくれなかったのだ。
 人じゃないのに、人の形をしているせいだからなのか。

「僕は、こいつのことが凄く憎い。何回でも殺したいくらい、憎くて仕方がないんです……けど、それでも、どうしてかこいつを殺すって出来ないんです……体が、拒絶するみたいで……」

「……それは、きっとお前が姉に善い人間として育てられたからだろう」

 骸骨探偵の言葉は、驚くほど今の僕の悩みの核心をついていたと思う。
 ……確かに、そうだったのかもしれない。
 僕の人生は姉を追いかけることから始まっていた。
 僕にとって一番立派な人……それは姉で、姉は僕の善悪の指針だった。
 姉ならどうする、姉ならこうする、姉ならどんな対応をする。
 そういうことを頭に浮かべて、常々実行に移してきた。
 だからこそなのか、何かを殺すという状況においても、善性の塊みたいな姉ならどうするか、という考えをしているからなのか。

「じゃあ、僕はどうすればいいんですか……?」

「……答えが出ないのならば、答えが出る日まで考えればいい。
だから今すぐどうこうする気が起きないのならば、そいつをしばらく保存しておいて、自分で手を下して殺したいと思った時に殺せばいいし、そう思わないのならばいつまでも放置しておけばいい」

「……その答えは、どうやったら出せますか?」

「わからんな、俺は探偵を始めた時には既に怪異を殺すことも祓うことも疑問に思っていなかった……だから、自分でもどうやって答えを出したかわかってなどいない。
だが、相談をしたければいつでも来い、俺の人生観に基づく答えでよければ教えてやる」

 彼の顔は骸骨だし、顔の肉もないし、目もないからその表情は読み取ることが出来ない。
 けれど、彼の声色から、彼の振る舞いから、自然と伝わってくるものはある。
 骸骨探偵は、僕の姉と同じくらい優しくて……彼もまた、善い人なのだろう。
 
「……ありがとうございます、骸骨探偵さん」

「気にするな、どの道お前はこの先前を向いて生きていかなければならないだろう。これからのためにもな」

「正直、よくわからないですけど……これからは、姉の入院費とか稼いで、姉が社会復帰するまで、自分で家のこととか、全部やんないとな、ってのはありますよね……」

 まだ気持ちも晴れていない、心に影は差したままで、恨みと悩みが渦巻いて、僕に迷いを生んでいる。
 アイツさえいなければこんなことにはならなかった、こんな思考を抱くことはなかった、
 けれど……けれど、もうそんなことで迷いっぱなしでいられるわけでもないのだ。
 これから姉が快復するまで……いや、快復しても尚、この先彼女を支えていくことを今後の指針としなければならないのだから。

「就職に、苦労しているのか」

「はい……特段、自分に何が出来るってことのほどもないですし、ホントにふつーの大学生なんで、僕」

「……そうか。なら、ここで働くというのはどうだ」

「……え」

 今、目の前の骸骨は何と言っただろうか。
 コツコツ、と骨を鳴らして、僕に向かって、何と言っただろうか。
 もう一度聞きたい、聞き間違いであると思いたいから。

「あの、もう一度言ってもらっても」

「ここで働く、というのはどうだ」

 ……聞き間違いなんかじゃ、なかった。
 骸骨探偵は僕の前に手を差し出して、僕をスカウトしていたのだ。

「お前は怪異を見て恐怖こそしたが、冷静さを失うような真似はしていない。
水難法師に対しては怒りで感情を露にこそしていたが、それでもそれ以降は冷静だった。
奴の失言を察知させ、更には有効になる攻撃を繰り出すように立ちまわっていた。
それはまさに俺のような探偵の助手としての適性が非常に高い」

「え、えぇっと……」

「……まぁ、化け物の世界に関わり続けるのが嫌なら断ってくれても構わないが……ギャラはこれだけ出ると約束しよう」

 僕のことを褒めちぎった骸骨探偵がちらりと隣を向く。
 そこには経子が立っていて、彼女は電卓をカチャカチャと叩く。
 何を……と思ったら、経子は電卓で算出した数字を僕の前に出してくる。

「い、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……は、はへぇ……!?」

「まぁウチは時給制でなく出来高払いではあるが、実績は十二分にある、依頼はいつでも来るワケだ。現に高校生二人が問題なく生活できる程度には稼げているのでな」

「こ、高校生二人が生活?」

 高校生と言うと、何かとお金のかかる時期だ。
 僕も高校時代はかなり苦労したな……アルバイトに必死だったし、親戚からも仕送りを貰って、半ば借金にまみれた状態だったし。

「あぁ、道馬は居候で、私はここで住み込んで働いてるの。道馬に至ってはほぼ居候だけど、それで皆十分食べてけるくらいには稼げるんだ」

「……定期的でないことはどうしようもないが、普通の企業への就職を急ぐよりも、今からでもここで働いた方が稼げることだけは保証してやる。
それに、いまお前に生じている迷いに答えを出すには、怪異を祓う経験を積むことが一番だろう、と俺は思っている」

 僕は顎に手を当てて考えた。
 今回は、運よく僕は無傷で終わることが出来た、骸骨探偵を助けることも出来た。
 けれど次似たような事件に首を突っ込んで無事である保証はないし、下手をすれば死ぬ可能性もある。
 探偵業……それも、人ならざる怪異を相手にする以上はそういう危険も十二分にあるのだ。
 ……それでも、それでも、だ。

「やります、やらせてください。僕をあなたの助手にしてください、骸骨探偵さん」

 僕は、僕を信頼してくれたこの人たちに眼差しに応えたい、そしてこの人たちの下で、怪異を殺す殺さないに関する答えを出したい。
 いやまぁ、骸骨探偵に目なんてないんだけどね。
 それでも……僕を肯定してくれて、僕を信じてスカウトをしてくれた彼らに応えて、その上で答えを出して、この事件を清算したいのだ。

「……入社成立だな、今後ともよろしく頼むぞ、助手」

「ようこそ、探偵事務所・コツコツへ!」

「Congratulations on joining the company! と言ったところかな、おめでとう。庭出助 修也、君のおかげで僕の出番は減りそうだ」

 骸骨探偵は手を差し出し、経子は姉を思わせるような笑みを浮かべ、気付けばいつの間にか部屋から出てきた音玄が隅っこから顔だけ覗かせてほほ笑んでいた。
 この個性豊かな彼らと共に、僕の「これから」を歩んでいく。
 きっと多くの苦難とか、命の危機とか、とんでもなく怖い目に遭うことが待っているのだろう。
 けれど、僕は逃げずに挑んで、怪異たちの恐怖に苦しめられる人を助ける人になって、今の迷いも断ち切れるようになりたい。
 もう二度と、姉のような人を出さないために……そして、姉のためにも頑張って生きていたい。

「これからご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします!」

 その日、僕は探偵の助手としての第一歩を踏み出した。

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