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アメリカに25年もいて。

25年アメリカで生活してきて、自分も変わったし、アメリカも変わった。世界も変わった。そりゃあそうだ、四半世紀なのだから。
はっきりとアメリカが変わってしまったと思ったのはセプテンバーイレブンだった。私が最初に暮らしたネブラスカ州オマハは、一生で一度も海を見たことがない人が多い土地だった。アメリカ人的な要素を凝縮したような人々ばかりだった。それは決して否定的なことではなく、珍しい東洋人に恐る恐る話しかけてくれたし、英語が通じると分かったらニッコリと笑って、こちらが分かりやすいようにゆっくりと話してくれた。自分たちが知っている世界で精一杯生きることを、明るく誇りに思っているような人々だった。

日曜日にはアップルパイを焼き近所に持って行くような、そんなアメリカがあった。良い意味でも悪い意味でもお人好しで分かりやすい、晴れの日のような雰囲気を持っていたのがアメリカ人だった。少なくとも私はそう思っていた。
それが変わってしまった。第二次世界大戦中にも爆撃を経験しなかったこの国の人々は、あれでとても変わってしまった。自分たちがそれほど憎まれていたのだということを、アメリカの人々は知らなかった。
誰かに自分が心底憎まれているのだと思うこと。その失望。
無邪気な人々が、無邪気でなくなってしまった。
その感覚をとても覚えている。
アメリカは超大国で、ニューヨークの摩天楼やハリウッドをイメージされるけれども、実際のアメリカはただただ広くて、何時間も真っ暗なハイウェイを運転してやっと小さな町の光が見えてくるような、そんな国だ。その小さな町に、小さな夫婦がいて、小さな子供を育てている、そんな国だ。ささやかな幸せを願っても届かない、そんな国だ。

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