自分に必要のない知識を勉強する理由

 現在、塾講師として勉強を子どもたちに教えているのですが、
そうすると決まって「なぜ勉強をする必要があるのか?」と聞かれます。
「英語とか数学とか私には必要ない」と。
 
 これは裏返すと、「私に必要だと思われることは勉強する」という主張につながるように感じます。
たしかに自分に必要だと思えられれば勉強するメリットもありますし、モチベーションも高く持つことができるでしょう。また、「やりたいことをやればいい」という現代において、自分に必要なことを勉強し、やりたいことをやるというのは理に適っているようにも感じる。
 
 では、本当に「私には必要ない」ことは勉強しなくてよいのか。
 
 これまで多くの大人は「いずれ役に立つから」や「勉強していて損は結局ない」ということを助言し、子どもたちに勉強をさせてきたように感じます。
 
 これに関して、自分はまだ人生経験を語れるほど長く生きていないので分からないというのが現状です。長く生きれば本当に役に立つのかもしれませんし、損はないのかもしれません。
 
 ただ、自分がいつも思うのは、そうした助言は結局、その人のためになるという、自分視点に立脚しているということです。
 
「いずれ (自分の) 役に立つ」「(自分の) 損はない」というように自分にとって勉強がどんな影響をもたらしてくれるかという視点で話されているように思います。
 
 それに、立ち返るとそもそも、「英語とか数学とか私には必要ない」という主張すら自分視点に立脚していると思います。
 
 
自分はこの「自分視点」に立つ限り、勉強の必要性は見えづらくなってしまうように考えています。自分に必要ないわけですから。
 
 
 
 
 
 自分にとって必要のないことを勉強する理由には、
「自分」ではなく「他者」がカギを握るように感じます。
 
 
それは、誰かがこの知識に興味を持っているという視点です。
 
 
考えてみるに、自分が学校で勉強してきた内容とはすべて
過去に興味を持った他人による知識の集積です。
 
過去にだれかが異様に興味を持ったからこそ、論文がかかれ、本が出版され、長い年月をかけて現代の人にも伝えられているわけです。
 
世界はあらゆる知識で作られていると考えると、
世界は多様な興味から作られているとも考えられます。
 
また、現在においても、誰かは自分の興味のないことに興味を持つわけです。
 
 
自分からすれば、sinもcosもつまらないが、建築家を目指す友達は楽しそうに問題を解いている。
自分からすれば、昆虫に興味はないが、あいつはカブトムシをとるために朝早くから外に出ている。なんで虫にそんな熱くなっているのかな。
 
 
世界には自分以外にもとんでもなく多くの人間がいて、
それぞれが自由に興味を持つことになります。
それはつまり世界は様々な興味だらけになることになります。
 
他人は自分が興味を持たないことに興味を持つ自由を持っています。そのため、自分が興味を持っていないものにたいしても他人は興味をいだく可能性があります。


そう考えると、他人を、世界を、本当に知ろうとするとき、知りたいと思ったときには、
ひとは「自分にとっては必要のないこと」を勉強する必要性が出てくるように思います。
 
もちろん、興味のあう仲間やその世界とだけ付き合っていくのであればそんな必要はありません。
しかし、自分の世界をひろげていこうと考えたときには勉強が必要になると思います。
 
そもそも勉強とは世界をひろげるという営みであったことからも私はそう思います。
 
むしろ、「なぜこの人は自分がまったく興味をもてないことに、ここまで興味を持っているのだろうか?」と思えれば少しは楽しくなるのではないでしょうか。
 
 
 
ここまで、他者視点から自分にとって必要のないことを勉強する重要性について論じてきましたが、最後に自分視点からも自分にとって必要のないことを勉強する重要性を述べたいように思います。
 
あらゆることを勉強した人はおそらく聞き上手になるように思います。
 
現代、話し上手、もっといえば発信上手な人が多いように思います。
それは、SNSの発達によってそうした人が求められているという時代背景も要因の一つになるかと思います。
 
解説動画、紹介動画など自分が詳しく知っていることをコンテンツ化し広く周知していく活動が現在の主流のひとつのように感じます。
 
ただ、そうした発信というのは発信したい内容にさえ詳しければできるように思います。
 
例えば、1週間コーデを発信したいと思う人は服の知識だけに特化していれば十分です。
レシピ紹介動画というのも料理の知識にさえ詳しければできます。
 
 
ただ、内容を受ける側はそうはいきません。
発信したい側は自分の興味があることを取り上げればよいですが、
 
受け手はどういった内容がくるか予測ができません。つまり、受けるのをうまくなるためには何がきてもいいような知識を事前に習得しておく必要があります。
 
なにがきてもいいくらい、自分の利害に関係なく勉強を積んできた人は
どんなジャンルにも対応できる優れた受け手になるように思います。
 
SNSの発展によって発信がいくらでも可能になった現代において、
様々なコンテンツをうまく受けることのできる「聞き上手」さんは重宝されるように思います。
 
そうなるためには、必要性のない勉強をする必要があるのかもしれません。

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