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「以前に観察したのと類似する出来事が生じると期待するのは最高度の軽率」 自然宗教をめぐる対話 ヒューム (著)

 前と同様の結果が次も出るだろうと期待することは軽率であると筆者は主張する。これは、「今まで通りやっていれば問題ない」という認識に一石を投じる考え方のように思う。「次は大丈夫であろうか」と毎回確認することが必要であると思う。

 マニュアルとは、ある出来事への決められた対処法である。お客様に〇〇と言われたときは△△をしてくださいといった、ルールのようなものだと思う。それは先人による長年の経験と反省のもとに作られたものであって一種の教科書のようなものであると思う。使う人からするとそれは答えのように映り、それを覚えて仕事をすることが最善であるように思え、いつしか「マニュアル通りやっていれば問題ない」という境地に至るのかもしれない。

 しかし、繰り返しになるが、前と同様の結果が次も出るだろうと期待することは軽率なのである。換言すれば、マニュアル通り対処すれば次も必ず良い対応ができると考えるのは実は軽率なのである。ではどう考えるべきか。

 マニュアルとはあくまでも作成時点における最善策だと考えればよいのではないだろうか。作った段階では非常に良いものである。しかし時間の経過とともに社会や文化が変化することは避けられず、それにともなってマニュアルの機能が低下することも避けられないように思う。いずれは機能しなくなるのがマニュアルというものなのではないだろうか。そのため、マニュアル通り対応をただすれば良いのではなく、毎回そのマニュアルによって適切に対処ができているかを確認する必要があると思う。

マニュアルとは答えとしてそこにあるものではなく、常にそれを使う人たちによって、作り変えられるものであると考える。


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