【アメリカ駐在妻:キャリア編】”私”が”私であること”をあきらめない
私は、2023年から夫のアメリカ駐在に帯同しています。帯同するにあたり、新卒から勤めていた職場を休職しました。
夫の駐在に帯同すると決意したは良いものの、現地での自身の生活を具体的に考えれば考えるほど、自分の存在意義に悩む、いわゆる「アイデンティティクライシス」に陥りました。
そして私は、渡米前にこの「アイデンティティクライシス」への対応策を見つけないと、自分の性格上渡米後に苦しむだろうと危機感を抱きました。
本noteでは、夫の駐在が決定してから、自分が考え、行動したことを記録に残そうと思います。
夫の駐在が決定した直後の気持ち
夫が海外勤務をずっと希望していたことを知っていたし、応援していたため、素直に喜ばしいことだと感じましたし、夫から駐在の話が出た時点で直観で「私も一緒に行く」と心に決めていました。
なぜ直感で決めたのかをいま改めて言語化してみると、以下のようになりました。
私自身にも海外志向があり、「学生時代から、いつか海外に住み働いてみたい」と願っていたこと
その都市に、私の職場の勤務拠点もあることから、そのままアメリカ支社で勤務できるのではないか、という楽観的な考えだったこと
夫の赴任するアメリカの都市は、私自身が大学時代に短期留学していた場所でもあり、あの大好きな場所でまた暮らせる!とワクワクしたこと
私の家族観として「その一瞬はどちらかの希望が優先されたとしても、一生を眺めた時には平等に希望を優先するようにしていくことで、一人では得られない経験を家族で得るとともに、家族で困難を乗り越えていくこと」があり、今回は夫の希望を優先するときだ、と考えていたこと
私と勤務先について
私は、日系企業の会社員でした。勤務先では、出社頻度については個人の裁量に任されており、私の場合は、通勤時間や業務効率を考えてほぼフルリモートで業務を遂行し、用事があるときだけ出社していました。
また、私の勤務先はアメリカ含めて各国に拠点を持っており、社員は、駐在員・研究員・トレーニー等の肩書で派遣されています。
そのため、アメリカからフルリモートで現在の仕事を継続する、もしくは、会社に配置転換制度を提案しアメリカ支社のポジションの空きがあればそこに配置転換してもらうことで、キャリアは継続できるのではないか?と淡い期待を抱いていました。
勤務先の制度
当事者になるまでなんとなくこんな制度あったよな?位の認識だったため、具体的な制度を人事に確認しました。
勤務先では、海外駐在帯同休職制度が運用されており、休職自体は理解を得やすい環境でした。
しかし、国内外での副業については、やむを得ない場合を除き、正式に社内では認められておらず、P&G等が実施しているような、駐在員のパートナーがキャリア継続を希望する場合に、パートナーの転勤先に帯同した人が、転勤先に配置転換できる仕組みや事例もありませんでした。
アイデンティティクライシス
この0か1かしかない状態しかない状況に、正直がっかりしましたし、子供はおらず、好きな仕事を休職してまで駐在帯同することの意味、その果てには、自分のアメリカでの存在意義が徐々にわからなくなっていくのを感じました。
それでいて、周囲に駐在帯同の話をすると、「私も仕事を休みたい」「羨ましい」「駐在帯同と仕事の両立なんてないものねだり」と言われることもあり、こんな望みを持つ自分自身をも責める時間も増えていき、気が付くと涙が出ているという状態が2か月近く続きました。
自分を責めながらも、本当に同じ考えに至る人はいないのか、とネットを調べていくと「アイデンティティクライシス」という言葉に出会いました。
私のアイデンティティが「仕事」「趣味」「パートナーの妻」「両親の娘」等で構成されていると考えた時に、渡米前の段階において「仕事」は私の50%近くを占めるものだったように思います。
さらに、私は自立して、自分の足で立っている自分が気に入っていました。家庭内では、「自分もパートナーと同様に稼いでいる」+「家庭の費用を折半している」+「家事を分担している」=「自分は自立しており、パートナーと対等である」と認識していたため、休職と同時に、自分が自立し、パートナーと対等でいるすべを失うと感じていました。
そのため、駐在帯同先で仕事をしないと、罪悪感で趣味をすることは憚られ、それでいて、妻の役割だけやっていると、これまで”私”が”私である”と思えていた側面がなくなってしまうのではないか?と不安になってしまいました。
それゆえ、キャリアを何らかの形でアメリカでも継続することが、自分の精神を安定させ、本来の目的であるパートナーを支えるということもできるのではないか、と感じていたところもあり、勤務先にはその環境がない、と言われてしまったことで、目の前が真っ暗になってしまいました。
それから
だいぶ長く落ち込んでいましたが、自身のお守りである「意志あるところに道は開く」という言葉を思い出し、「絶対にこのトレードオフを解消する手段は存在する」と信じて、親しい知人に相談したり自分での調査を継続しながら、”私”が”私であるため”の方法を模索し続けました。
次回の記事では、その内容を書きたいと思います。
2024/1/9追記: 続きの記事を書きました。
お読みくださり、ありがとうございます。l