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3.第六部 はじめに、3-1.第六部第一章 源流日本列島人                          

第五部概要で述べた記紀が高句麗王と百済王を転写した人工系譜である等の論理的事実の妥当性を検証するために、本第六部概要では倭国の歴史的流れを概観しました。
なお、第五部概要で投稿したものと一部重複する部分があることをお断りします。


はじめに

記紀は、国史らしくして編纂されたもので、金官加羅末王(=第26代継体)の後裔で、高句麗宰相であった「DNA匈奴金氏」である第40代天武(=淵蓋蘇文)が、645年の高句麗の実質滅亡後に親新羅の倭国亡命政権を樹立し、現住の倭国政事統括者に対抗するために、歴代高句麗王と歴代百済王を合体した皇統を捏造した古事記を編纂発議したのが発端、というのが私見です。
 
その後、これを継承した新羅・真骨正統第四代額田王の母系統後裔の呉系「トベ」系統の第44代元正と父の藤原不比等が編纂責任者となって、『大后』になれなかたった藤原宮子の子の第44代元正の皇位正統性ために編纂したのが日本書記です。
 
つまり、記紀は、「DNA匈奴金氏」、呉系「トベ」系統の父系祖の「DNA源流鮮卑族」和邇氏、親新羅の尾張氏外戚の呉系「トベ」系統の三つの血統を基盤とするものです。
 
以上の私見に基づいて、記紀は大きく三つの段階で構成されていると考察され、これに沿って倭国歴史の流れを概観しました。
第一章は、有史以前の日本列島の主な源流種族を列挙します。
第二章は、掘り起こした論理的事実によって初代匈奴系神武B前史を扱います。記紀は、これらの多くを神話で記載しました。
第三章は、記紀が記紀編纂者達に関係する前史を集約した皇朝と考察される神武B朝(第1~4代)、呉系倭人朝(第6~9代)、垂仁朝(第11~14代)、応神朝(第15、17代)、仁徳・反正朝(第16、18~20代)、雄略朝(第21~25代)を扱います。集約した皇朝は、国史性よりそれぞれの皇朝の集約意図が優先されています。
この皇朝の中で記紀の呉系倭人朝、垂仁朝、応神朝、反正朝、雄略朝は、呉系「トベ」系統の父系祖を飾り立てることが主目的です。そのために、遠祖の実在者を百済王に捏造して応神朝と雄略朝としました。
第四章は、記紀が本記とした皇朝で、『大王』と『大后』の共通の祖系譜の「DNA匈奴金氏」である第26代継体から倭国末王の第36代孝徳までを扱います。
第五章は、「DNA縄文人」である高句麗初王朝の第31代推古A物部(蘇我)馬子と第35代皇極A物部(蘇我)蝦夷の物部(蘇我)朝を扱います。記紀は、不都合な出来事を隠ぺいするために、物部(蘇我)朝を呉系「トベ」系統の父系祖の欽明朝に繰り込みました。
第六章は、皇位継承の正統性を主張するために記紀を編纂する必要があった倭国亡命政権を原初とする第37代斉明A淵蓋蘇文から第44代元正を扱いました。古事記は、第33代までの系譜を取り入れて第40代天武の継承元に高句麗と百済の王妃、新羅王族である第33代推古B額田部皇女としました。 日本書記は、(女帝)第44代元正の継承元に天武朝の『大后』である(女帝:第41代持統B鸕野讚良(ウノノサララ)にしました。
最後の第七章は、試論として「DNA源流鮮卑族和邇氏」の台頭の序となる記紀編纂の実務責任者の和邇氏藤原不比等と後裔の平安時代藤原朝を倭国のアイデンティティの変貌の原初としました。倭国以後の天上の「DNA縄文人」の『天皇』と地上の「DNA源流鮮卑族和邇氏」の藤原氏との男性二頭統治体制の変更が平安朝に起こり、その後の日本のアイデンティティに大きな影響を与えました。日本書紀は、平安時代にかなり修正・加筆がなされたことが推測できます。

3-1.源流日本列島人

3-1-1. 源流縄文人と扶余族系倭人と扶余族の共通原郷

源流日本列島人の主要な「DNA種族」である源流縄文人と扶余族系倭人と扶余族には共通の原郷がありました。共通の原郷は、三つの移動段階に分けることができます。
 
〇数字は、便宜的につけた原郷の移動段階です。
<第一原郷>
①源流縄文人や扶余族の原郷は、シベリアのバイカル湖・ウブス湖付近。「賽の河原」の原型の祭儀「オボ」の祖郷は、ウブス湖です。祭儀「オボ」は「意富比(高句麗語音:おぼひ)」になり、地名にも残っていきます。

①源流縄文人・源流匈奴系の原郷は、アムール川との近くの中国の海に流入しない内陸河川である黒河/弱水(ジャクスイ、ジャウス:松花江の古称)です。黒河/弱水(ジャクスイ、ジャウス)の音韻・漢字転訛には、「アマル(余)」「アマオル(天降)」「天(高句麗語:jam)⇒鴨(kam→kamo)」「チャウス(茶臼)」「弱水(ジャオス)⇒食(おす)国、八王子(やおす)」「鴨緑(江)⇒甲六⇒六甲」「鴨緑(オウリョク)⇒釜無⇒川無川、水無川]、等があります。

①「DNA匈奴休氏ニニギ族」の原郷は、中央アジアの安息国(=ペルシャ系パルチア王国)領内の亀茲(クチャ)です。

①朝鮮半島の楽浪[漢語音:le lang(ルーラン)]郡の原郷は、現在の中国新疆ウイグル自治区「楼蘭(ローラン)」です。「楼蘭(ローラン)」に由来する日本地名等には、「楽浪(ラクロウ⇒さざなみ)」=「笹」=「細(ササ)」、「膳所(ジェンジェン⇒ぜぜ)」、「上田(ジョウデン⇒うえだ)」があります。

①朝鮮半島の「帯方(turfan)」郡の原郷は、現在の中国新疆ウイグル自治区「吐魯番(トルファン、turfan)」です。「帯方(turfan)」に由来する日本地名等には、「取方(トルファンの形声漢字)⇒諏訪[「取方」に「ごんべん(言偏)」を付加]⇒諏訪(スファ→スワ)、周防(sufo)」があります。

①呉越系倭人・匈奴系の原郷は、中国江南地域(呉人系:蘇州、越人系:紹興青島)

①金官加羅の第二本拠地は、中央アジアの「トルコ=テュルク」の形成漢字である突厥

<第二原郷:多くの種族・部族が集結した東アジア>
②匈奴系と鮮卑族系と呉越系倭人が集結した原郷は、現中国東北省通化(トウカ)市付近です。「通化(トウカ)」に由来する日本地名等は、「通化(トウカ)⇒稲荷(トウカ)⇒いなり(稲荷)」。

<第三原郷:日本列島に渡来直前の祖郷の伽耶>
③匈奴系と鮮卑族系と春秋時代呉越系倭人の第三原郷は、金官加羅(韓国南部・釜山近傍)や賀羅/大加羅などの伽耶諸国。

(注)加羅諸国には、二つの中心的な国があり、前期盟主の金官加羅国(韓国南部・釜山近傍)[略字は「迦/加(カ)」]と後期盟主の賀羅国(=大加羅国)(韓国高霊地域)[略字は「賀/加(ガ/ゴ)]です。金官加羅王が避難移動して、新羅国王を乗っ取ってから、賀羅国/大加羅国は「母系DNA呉系倭人」系の妃および金官加羅国は新羅王庶子の居住地となった。新羅王庶子が新羅王となってから、金官加羅国と賀羅/大加羅国は新羅王の直轄分国となり、金官加羅国[略字は「迦」]と賀羅/大加羅国[略字は「賀/加]を併せた通称が「迦賀/迦加(カガ/カゴ)」となった。

(注)漢が匈奴を差別用語の「胡」と呼ぶことを禁じ,「国人(こくじん)」と呼ぶことにした(三国志)。
  
(注)「高句麗(こうくり)」の転訛語・転訛音は、「国津(コウクリ)⇒くにつ(国津)神、くくり(菊理)」。

3-1-2.日本列島先住の「DNA縄文人」・Y-DNA「D1a2系」

日本列島に約4万年前頃から先住している「DNA縄文人」は、日本列島全体に居住し、「DNA縄文人」である倭国部族同盟盟主は現在まで天皇として存続しています。先進文明(米、銅、鉄、漢字、土木、等)をもって渡来した「DNA呉越系倭人」と通婚同盟をし、ほぼ全員が混血します。

倭国時代になると、倭国と四韓の天上の非政事統括者の「母系DNA縄文人混血呉越系倭人」・Y-DNA相当「O1b2系」である母系制・群婚の倭国『大后』と地上の倭国政事統括者の「DNA呉越系倭人混血縄文人」・Y-DNA「D1a2a1系」である父系制倭国部族同盟盟主『大連』は、通婚同盟による同位共同統治をします。
そして、倭国部族同盟盟主族は、倭国『大后』である四韓の天上の非政事統括者「王妃」と四韓の王の親衛軍を管掌し、四韓の覇権を握ります。高句麗と百済の統治体制は倭国との二重政事構造である、というのが私見です。

以下は、「DNA縄文人」の入植経路と倭国部族同盟盟主の変遷概要です。
①最初に、Y-DNA「D1a2a1系」である尾張氏、物部氏の祖は、南方ルートでしました。

②Y-DNA「D1a2a2系」の祖が、北ルートの樺太・北海道経由で入島しました。出雲臣・出雲国造等が推測されます。

③5000年前頃から、「DNA縄文人」が日本列島から朝鮮半島南部にも渡来しました。

④250年頃、宇賀御魂命、大歳=ニギハヤヒと共に尾張氏や物部氏等が第一期ヤマト東遷しました。ニニギ族同盟の侵攻に備えてより安全な辺境のヤマトに移動したものです。第一期ヤマト東遷において、倭国部族同盟の盟主の尾張氏、第二代戸売(トメ)・宇賀御魂命(ウガノミタマノミコト)[=新羅金氏玉帽夫人=二代伽耶媛・宇迦御魂命]と第二代大国主・大歳(ヤマトでニギハヤヒと改名)[=新羅太子・葛文王骨正]は、敵との戦いに備えてより集権化した部族同盟としました。

⑤261年頃、ニニギ族神武B憂位居(ユウイキョ)の同盟軍が伽耶と新羅に報復再侵攻し、新羅第12代借用昔氏沾解尼師今(在位:247~261年)[=第4代大国主・建御名方主(弟)=八坂入彦]を滅ぼしました。
その後、大伴氏や「DNA源流匈奴」野(ノ)族や「DNA源流匈奴」坂(サカ)族のニニギ族同盟軍は日本列島に侵攻し、博多(同音韻は百済)、瀬戸内、畿内、ヤマトを制圧しました。世に言われている第二期ヤマト東遷です。この第二期ヤマト東遷には、宗主のニニギ族は参加しなかった、というのが私見です。そして、大伴氏も交えてヤマト等の広い地域に分散した緩い集権化部族同盟を樹立しました。この時、尾張氏から大伴氏に倭国部族同盟の盟主が移ります。尾張氏は、出雲、ヤマトから拠点を尾張国(愛知県、三重県)や古志国(越前・越中・越後)や関東や新羅に移します。

⑥304年、前趙の将軍の鮮卑族慕容部と高句麗王族分国の大加羅国王子・天日槍(アメノヒボコ)命[=高句麗第15代美川王(在位:300~331年)=第6代孝安]の同盟軍が高句麗第14代高氏烽上(ホウジョウ)王(在位:292~300 年)[=初代丹波道主・谿羽道主命(タニハミチヌシノミコト)]を滅ぼしました。その後、鮮卑族慕容部は朝鮮半島を南下して、伽耶に駐留し、力をつけます。鮮卑族慕容部を盟主とする同盟軍が、304年に百済慕容朝を建国しました。
その後、物部氏と「DNA源流鮮卑族」和邇氏と「DNA源流鮮卑族」前(サキ)族/新羅昔氏の同盟軍は、宗主慕容部から新文明を取り入て、倭国に回帰侵攻します。第三期ヤマト東遷をして、制します。この時から物部氏が台頭し、大伴氏と並んでいきます。

脚色された第二期ヤマト東遷(261年頃)や第三期ヤマト東遷(304年直後頃)は、ペルシア人混血部族の戦闘的侵攻で、倭国部族同盟の盟主の尾張氏と第二代戸売(トメ)・宇賀御魂命(ウガノミタマノミコト)は非常な脅威を感じ、示威的な巨大古墳を造ったというのが原初である、というのが私見です。例えば、日本列島で三世紀中頃から七世紀初頭頃にかけて築造された前方後円墳は、ヤマトに限らず全国にあり、「母系DNA呉越系倭人」である女性伴侶側の提案によって、「DNA縄文人」族が築造したというのが私見です。前方後円墳や前方後方墳は、高句麗王や百済王の王陵の形式と異なるもので、王陵が伝統的王陵形式を変えることはありません。

第37代斉明A淵蓋蘇文の親新羅の倭国亡命政権の樹立の時の倭国『大后』額田王は、新羅・尾張氏外戚系の新羅新骨正統第四代首主です。その母系後裔は、記紀編纂を主導した第42代文武(モンム)(在位:697~707年)、第43代元明(ゲンメイ)(女帝)(在位:707~715年)、第44代元正(ゲンショウ)(女帝)(在位:715~724年)です。

新羅の尾張氏が日本の政事統括者になると、女帝が出現します。これは、倭国政事統括者は「DNA縄文人」であるのと新羅王は男王であるので、「DNA匈奴金氏」系を倭国天皇にできないからです。
 
以上のように、「DNA縄文人」である倭国政事統括者の氏族は、尾張氏⇒大伴氏⇒物部氏⇒尾張氏⇒大伴氏と変遷します。

その後、大伴氏系の第46代孝謙天皇(在位:749~758年)=重祚第48代称徳天皇(在位:764~770年)が倭国非政事統括者になります。
そして、平安時代に、天上の「DNA縄文人」の『天皇』、地上の「DNA和邇氏」の藤原氏と変遷します。この変遷の過程で、神社の由緒を切り離し、神主の系統変更が起こります。
 
韓国には、約4%の「DNA縄文人」・Y-DNA「D1a2系」がいます。この「DNA縄文人」は、大陸からでなく、日本列島から入島したことが、最近のDNA科学から推察されています。朝鮮半島は、約1.2万年前から約7千年前までの約5千年間、無人でありました。したがって、「DNA縄文人」と「DNA倭人」は、大陸の右ルートではなく、南方の左ルートで、奄美、南九州経由の日本列島から渡来したのが最初であったことが推測されます。紀元前4000年頃の縄文式土器が朝鮮半島南部から中部で発掘されています。三韓の王妃の外戚として王の親衛軍を管掌した「DNA呉越系倭人混血縄文人」である倭国部族連合大首長『大連』の派遣者の後裔もいます。
 
縄文文化の名残と思われる例です。
①古代信仰(主は、源流縄文人、源流匈奴系)を隠喩する祭儀「オボ」、つまり、「賽の河原」や力石。
②自然と多民族との共存共生。
③多神信仰。
④精霊信仰の神奈備山、磐座(イワクラ)、巨木建造物。
⑤弥生人文化に触発された時に根源の生命力が突沸した縄文土器(長岡市の「火炎土器」「王冠土器」、茅野市の「縄文のビーナス」「仮面の女神」、青森県の「遮光土偶」、八戸市の「合掌土偶」、等)。
⑥「DNA縄文人」の女系伴侶が「母系DNA呉越系倭人」となることによって倭国の日常文化(食器、等)は弥生人文化に主流が移行か。

3-1-3.「DNA源流縄文人」と共に日本列島に入島した「DNA源流ツングース」・Y-DNA「C系」

「DNA源流ツングース」・Y-DNA「C1系」は、当初は「DNA源流縄文人」と共同行動していたとされており、約4万年前頃に日本列島に入植した可能性があります。

Y-DNA「C系」には、Y-DNA「C1系」とY-DNA「C2系」の二つの系統があります。
Y-DNA「C1系」は、中国江南の沿岸漁労民や陸稲稲作民で、南方から南海ルートの奄美経由で入島しました。この後裔は、本人の髭を植えた木造との伝承がある豊臣秀吉がいます。
Y-DNA「C2系」は内陸ハンタで、2万~1.8万年前にシベリアから日本列島に流入しました。アイヌ人支配者の約3%のニヴフ(ギリヤーク)族、清朝の太祖・愛新覚羅 弩爾哈赤(ヌルハチ)、北朝鮮・金日成、諸葛孔明(181~234年)]がいます。

3-1-4.弥生人系源流渡来人

(1)「DNA源流鮮卑族」前(サキ)族・Y-DNA「O2a2a系」

日本列島に居ついた「DNA源流鮮卑族」は、日本固有遺伝子の「DNA源流鮮卑族」前(サキ)族・Y-DNA「O2a2a1a1b(CTS201、M188等)」です。縄文人と混血し、ペルシア人と混血していないと推測されます。
日本列島から朝鮮半島に渡来して、新羅では昔氏を称します。

小林恵子は、渡来弥生人の二つの大きな勢力である「トベ」系統『大后』の父系祖の鮮卑族系と『大王』の父系祖の匈奴系のそれぞれの祖神を見出しました。記紀は匈奴系の始神として「DNA匈奴休氏」である初代神武B憂位居(ユイロ/ユイキョ)[=高句麗第11代高氏始祖東川王憂位居(在位:227~248年)]のみを記載しています。

小林恵子は、鮮卑族系の始神として、但馬生まれの脱解[=高句麗第3代(解氏)大武神(タイブシン)王(在位:AD18~44年)=新羅第4代昔(ソク/ソ)氏脱解(タレ)王 (在位:AD57~80年、BC7年生)=住吉神社祭神・底筒男命]を見出し、鮮卑族系初代神武A脱解としました。本著者は、鮮卑族系初代神武Aは、但馬一之宮出石神社祭神の出石八前(ヤサキ/ヤマエ)大神と比定しました。
女首長の濊(ワイ)族・Y-DNA相当「O1b1系」と男首長の「DNA源流鮮卑族」前(サキ)族・Y-DNA「O2a2a1a1b(CTS201、M188等)」が通婚同盟したのが、八・前(ヤ・サキ)族です。
高句麗第3代大武神(タイブシン)王脱解(タレ)(在位:18~44年)=新羅第4代昔(ソク/ソ)氏脱解(タレ)王 (在位:57~80年)は、日本列島から朝鮮半島に渡来したことを示す日本固有のY-DNAです。
紀元前後には、「DNA縄文人」と「DNA源流鮮卑族前(サキ)族」は、朝鮮半島にかなり強い地盤を形成したと推測されます。

因みに、祖は遊牧狩猟民で、朝鮮半島に居ついたのが「DNA源流鮮卑族」和邇氏・Y-DNA「O2a2b1a(F450/M1667)です。
DNAから見ると、「DNA鮮卑族慕容部」・Y-DNA「O2a2b1a1(M117)」は、「DNA源流鮮卑族」和邇氏の分枝です。

(注)有名人のハプログループ (fc2.com)を2024.2.8に再確認したところ、秦系は、鮮卑族系から匈奴系のY-DNA「O2a1b1a2a1a1a」に変更されていました。秦始皇帝は、Y-DNA[O2a1b1a2a1a1a(O-CTS6279)」であると推定。秦河勝は、Y-DNA[O2a1b1a2a1a1a1(O-F25545)」であると推定。秦河勝の子孫としては、楽家の東儀家、猿楽の始祖観阿弥・世阿弥親子、四国の戦国大名の長宗我部元親・長宗我部盛親親子などが知られる。中国 秦代の方術士・徐福は、Y-DNA「O2a1b1a2a1a1a2(O-MF14479)」であると推定しています。

(2)「DNA源流呉系倭人」クマ(熊、米、芋、雲)族・Y-DNA「O1b1系」

紀元前400年頃~0年頃、先進文明(米作、青銅、等)をもった「DNA江南沿岸系源流倭人」・Y-DNA「O1b1系」と「DNA源流呉系倭人」・Y-DNA「O1b1系」が中国江南地域から日本列島へ渡来します。初期の日本列島への渡来は、左回りの南海ルートの奄美経由です。
その後、右回りの朝鮮半島経由による入島となります。当時は、大陸から移入される先進文化圏は北九州ではなく、日本海沿岸でした。日本海の自然海流に乗ると、朝鮮半島から島根県隠岐の島・島根半島、石川県能登半島に着きます。最短の北九州へは海流が激しく、当時の船では横断は非常に困難でした。
そして、出雲の「DNA源流呉系倭人」族が、日本列島初の弥生人系部族連合の盟主(原初出雲王朝)となり、後に、筑紫に避難移動して早良(サガラ)国を建国、更に避難移動して新羅朴氏朝を建国します。
原初出雲王朝を築いた「DNA縄文人混血源流呉系倭人」クモ(熊/雲)族の朝鮮半島からの最初の入島地は島根県石見(石見国一之宮・物部神社)です。

その後、「DNA源流呉系倭人」クモ(熊/雲)族は、島根県西出雲地域で、鉄文化を持っている「DNA濊族(倭名:八族)」と通婚同盟し、八雲(ヤ・クモ)族となりました。島根県西出雲の須佐神社は、八雲(ヤクモ)族の大穴持(オオナムジ)が祭神です。「DNA濊」・Y-DNA「O1b1系」である大穴持(オオナムジ)は、「DNA匈奴金氏」・Y-DNA「O2a1系」である初代大国主・スサノオとは別人です。
濊(ワイ)族の倭名は、ヤ(八、矢、夜)族です。

この島根県出雲地域の女首長の「母系DNA源流呉系倭人」クモ(熊/雲)族と男首長の「DNA源流匈奴」野(ノ)族(=牛族)が通婚同盟し、熊野(クマ・ノ)族になります。「熊(クマ)」は、呉人系のトーテム「蛇」と同音韻の表記漢字です。「野(ノ)」は、「DNA源流匈奴」系のトーテム「牛」と同音韻の表記漢字です。この根拠地が、島根県松江市の出雲一之宮熊野神社です。

その後、秦、漢の追放に会って朝鮮半島に避難移住した「DNA呉越系倭人」は、漢時代になると玄界灘を横断できる船に進歩したので、九州筑紫に多数が入島してきました。

「DNA源流呉系倭人」は、トーテム「蛇」と同音韻のクマの形成漢字「熊、米、芋、雲」の部族名を用い、形成漢字の違いはそれぞれ入島ルートが違う部族によると推測されます。
「母系DNA呉系倭人」と「DNA縄文人」との通婚は紀元前の相当古い時代から始まったと推測され、関西で縄文人とほぼ全員が混血し、Y-DNA「O1b2系」に遺伝子変異します。
源流呉系倭人は、甕(カメ)棺です。

紀元前2世紀頃、「DNA縄文人混血源流呉系倭人」・Y-DNA「O1b2系」の原初出雲族は、「DNA鮮卑族拓跋部」である高句麗・朱蒙の臣下の「DNA源流鮮卑族」の侵攻により、九州筑紫に避難移動し、現福岡市で発掘された最も古い早良(サガラ)国を建国しました。高句麗初代東明聖王(在位:B.C.58~B.C.19年)の同盟軍は、高句麗の前の扶余族盟主である濊(ワイ)族・Y-DNA「O1b1系」か坂族・Y-DNA「O2a1系」と考えられます。早良(サガラ)国の古墳からは、支石墓、甕(カメ)棺、銅鐸(ドウタク)が発掘されました。トーテムは、南方系「DNA呉系倭人」を示す「蛇」です。早良(サガラ)国王の倭名は「長髄(ナガスネ)彦」で、ヤマトでは「大物主」と称されました。「DNA呉系倭人」は、モン族とか、ナガ族と呼ばれていました。「長髄彦(ナガスネヒコ)」の語源は、呉系ナガ族の村[ス]主[ネ]の意で、「DNA呉系倭人」ナガ族の村主の通称です。「大物主」の語源は、呉系モン族の主の意です。長髄(ナガスネ)彦=大物主A(奈良県大神神社祭神)=葛城氏少彦名=住吉神社祭神・上筒男命の称号や名があります。
北京市周辺に見られる扶余族 「DNA鮮卑族拓跋部」解(ヘ)氏の四隅突出型古墳は、島根県出雲地域、鳥取県伯耆地域にもあります。

紀元前57年頃、ペルシア人混血「DNA匈奴」サカ(坂)族・Y-DNA「O2a1系」の侵攻により、「DNA源流呉系倭人」である早良(サガラ)国王族は、新羅に避難移動し、新羅初代朴氏始祖赫居世・居西干(コセイカン、王称)(在位:B.C.57~AD4年)となり、新羅の前身の朝鮮半島南東部にあった辰韓十二国のうちの1つ、斯蘆(シロ)国を建国しました。その後、現韓国の漢江南岸に移り「徐那伐(ソフル)」と国名を改称してAD60年まで国都にしていました。

(3)「DNA源流匈奴」野(ノ)族・Y-DNA「O2a1系」

祖が狩猟遊牧民で、日本列島全体に居住する弥生人の基盤層です。
「野(ノ)」は、トーテムの「牛」と同音韻の形成漢字です。
初期に「DNA源流呉系倭人」熊(クマ)族・Y-DNA「O1b1系」と同盟(熊野神社)しました。

(4)「DNA濊(ワイ)」ヤ(八、夜、矢)族・Y-DNA「O1b1系」

日本列島に最初に金属業を持ち込んだのが、濊(ワイ)族・Y-DNA「O1b1系」です。日本列島全体に居住していました。
濊(ワイ)族の倭名は、ヤ(矢/八/夜)族です。
愛宕(アタゴ)神社系で、祖神・カグツチ(加具土命)を祀っています。
濊(ワイ)族は、集権化・領土保持を好まず、金属を探し回った生活をしたようです。
トーテムは虎、ムカデ(金属業の濊)です。

(5)「DNAペルシア人混血匈奴」サカ(坂)族・Y-DNA「O2a1系」

匈奴金氏と同じDNA種族(Y-DNA「O2a1系」)で、朝鮮半島や九州の紀元後の先住者です。
サカ(坂)族の筑後水沼(福岡県)の県主(アガタヌシ)の猿大海(サルノオオミ)の祖が、邪馬台国卑弥呼同盟を滅ぼしました。
猿大海(サルノオオミ)と卑弥呼の妹の與止日女(ヨドヒメ)との娘の台与(トヨ)Aが、248年に邪馬台国盟主女王に即位します。 
台与(トヨ)Aと宇迦御魂命(ウガノミタマノミコト)=新羅・玉帽夫人との関係は、不明です。

3-1-5.朝鮮半島の祖や宗主を祭祀した源流渡来人系の神社

日本列島には、日本人男性の約半数弱を占める九夷[夫餘(フヨ)、高句麗、東沃沮(ヨクソ)、邑婁(ユウロウ)、濊(ワイ)、馬韓、辰韓、弁辰、倭人]と呼ばれている多くの弥生人部族が渡来してきました。彼らは、それぞれの自分たちの祖郷の朝鮮半島の始祖や宗主を倭国のそれぞれの神社に祭祀しました。そして、倭国でのそれぞれの部族の出来事は、自分たちの始祖や宗主の名で伝承していきました。
彼らの中の大きな勢力は、「DNA源流匈奴」野族と「DNA源流鮮卑族」前族と「DNA源流鮮卑族」和邇族です。彼らの宗主の朝鮮半島の王が実際に倭国を統治したことはありませんが、宗主として崇(アガ)め、記紀の倭国『大王』として記されています。同一人の倭王『大王』や部族祖を祭祀する神社が各地に多数あることがこれを裏付けています。このことは、記紀が朝鮮半島の出来事を倭国に転写するのを容易にしました。

<源流渡来人系の神社の由来の考察>

科学的根拠のない「言霊(コトダマ)」ではなく、「DNA種族」と「呼び名に近い音韻の字義を離れた形成漢字の重層性」を由来の論理的アプローチの基盤としました。
 
①源流出雲族(=源流呉系倭人)の神社系:トーテムは「蛇」
トーテムは「蛇」の神社:奈良県大神神社、松江市の阿太加夜(アダカイ/アダカヤ)神社。

②サキ(前/崎/箭/咲/佐只)神社系:「DNA源流鮮卑族サキ(前)族」・YーDNA「O2a2a系」の祖神
「DNA源流鮮卑族」サキ(前)族・Y-DNA「O2a2a系」である神社は、前(サキ)神社系、前(サキ)族とヤ(八、夜、矢)族が合体した但馬一之宮出石神社[祭神・出石八前(ヤサキ/ヤマエ)大神]、等です。
日本列島を主に基盤としていた「DNA源流鮮卑族」前(サキ)族・Y-DNA「O2a2a系」は、日本列島に広く分布した初期の遊牧狩猟の弥生人で、弥生人の基層になります。
サキ(前)族・Y-DNA「O2a2a系」のDNAは、日本固有種で、縄文人混血と推測されます。
「前(サキ、saki)」と「昔(新羅語はソク、soku」が同意の形成漢字であるように、倭国サキ(前)族は、日本列島から渡来した新羅昔(ソク)氏と同族です。

因みに、古代に遊牧狩猟民であった同じ「DNA種族」には、朝鮮半島を主に基盤としていた「DNA源流鮮卑族」和邇族・Y-DNA「O2a2b系」がいます。和邇族のDNA分枝の「DNA鮮卑族慕容部」・Y-DNA「O2a2b系」は、ペルシア(スキタイ)人との混血です。

<前(サキ)の名が残っている地名、神名、神社>
・伊豆志八前(ヤサキ/ヤマエ)大神:但馬一之宮出石神社主祭神、兵庫県豊岡市出石町宮内99。
・石切劔箭(イシキリツルギヤ)神社:大阪府東大阪市東石切町1丁目1−1、主祭神:饒速日(ニギハヤヒ)尊、可美真手(ウマシマデ)命。
・相模国四ノ宮・前鳥(サキトリ)神社:神奈川県平塚市四ノ宮四丁目14-26、主祭神:莵道稚郎子命、日本武尊(後に合祀)。
・前(サキ)島:岡山県瀬戸内市牛窓町。
・咲前(サキ・サキ)神社:534年創建、群馬県安中市鷺宮3308、祭神:健経津主命、大己貴命、保食命。
・上野国一之宮貫前(ヌキサキ)神社:群馬県富岡市一ノ宮1535 、主祭神:経津主神、姫大神。
・安房国一之宮洲崎(スノサキ)神社:千葉県館山市州崎1344。
・大前(オオサキ)神社:栃木県真岡市東郷937。
・大崎(オオサキ)八幡宮:宮城県仙台市青葉区八幡4丁目6-1。
・蜂前(ハチサキ)神社:静岡県浜松市北区細江町中川6915、祭神:熯速日命、甕速日命、武甕槌命。
・伊蘇乃佐只(イソノサキ)神社:鳥取県八頭郡八頭町安井宿字宮ノ後297。
・神前(カミサキ)神社:愛知県半田市亀崎町2丁目92、祭神 : 神倭磐余彦命。
・神﨑(カンザキ)神社:鳥取県東伯郡琴浦町赤碕210、祭神:素戔鳴(スサノオ)命。
・筥崎(ハコサキ)八幡宮:福岡市東区箱崎1-22-1、主祭神:第十五代応神天皇。
・山崎、川崎。

③愛宕(アタゴ)神社系:濊(ワイ)族=倭名・ヤ(矢/八/夜)族の祖神
祖神はカグツチ(加具土命)。

④熊野神社系:<倭名・熊(同音韻は蛇)族>と<倭名・野(同音韻は牛)族>が部族合体した祖神
「熊」は、「DNA源流呉系倭人」・Y-DNA「O1b1系」のトーテム「蛇」の音韻の別な表記漢字で、「クマ(熊)」と同音韻の形成漢字には「米、芋、雲」等もあります。鮮卑族慕容部のトーテムが「熊」であるのは、女性伴侶の「母系DNA源流呉系倭人」・Y-DNA「O1b1」系のトーテムに由来するものです。
「野」は、「DNA源流匈奴」・Y-DNA「O1b1系」のトーテム「牛」の同音韻の形成漢字です。
倭名の熊(同韻漢語:蛇)族=クマ(熊、芋、米、雲)族の女性伴侶と倭名の野(同韻漢語:牛)族が同盟通婚した「蛇・牛⇒熊・野」族の倭国祖神社は、熊野神社系です。
呉越は、女性を先に、男性を後に表わす慣習で、これに添って「熊(女性)・野(男性)」の順になっています。

⑤八雲神社系:<濊族=倭名・ヤ(矢/八/夜)族[女性伴侶は「母系DNA越系倭人」]>と<雲(=同韻漢語:熊)族=クマ(熊、芋、米、雲)族=源流出雲族=「DNA源流呉系倭人」]>が部族合体した祖神
「八」は、濊(ワイ)族・Y-DNA「O1b1系」の倭名のヤ(矢/八/夜)です。
「雲」は、「DNA源流呉系倭人」・Y-DNA「O1b1系」のトーテム「蛇」の音韻の別な表記漢字で、同音韻の形成漢字には「熊、米、芋、雲」等もあります。
なお、呉越以外は、男性を先に、女性を後に表わす慣習で、これに添って「八(男性)・雲(女性)」の順になっています。

スサノオ神社、祇園(ギオン)神社、須賀神社、オオ(多/太/大)神社系
祖神は、初代大国主・スサノオ、第2代大国主・大歳です。

⑦八坂神社系:<濊(ワイ)族=倭名・ヤ(矢/八/夜)族>と<漢語名・匈奴金氏サカ(=坂、スキタイ)族>が部族合体した祖神
ヤ(矢/八/夜)族の女性伴侶は「母系DNA越系倭人」で、「八(女性)坂(男性)」の合体名順は女・男順になっています。
漢語名は、坂(サカ)族です。
 
⑧稲荷神社系と伊勢神宮外宮
主祭神は「戸売(トメ)」系統の宇迦御魂命(ウガノミタマノミコト)=新羅・玉帽夫人です。

(注)「源流出雲族=源流呉系倭人」、「源流匈奴」、「源流鮮卑族」に使った「源流」は、DNAの立場からではなく、日本列島、朝鮮半島に有史以前から居住していた源初族という意味で使いました。 憶測ですが、「源流匈奴野族」、「源流鮮卑族前(サキ)族」は、日本固有の「DNA」であるので、縄文人混血で、ペルシア人と非混血であると思われます。一方、「DNA匈奴休氏ニニギ族」、「DNA匈奴金氏」、「DNA鮮卑族慕容部」、「DNA源流鮮卑族和邇氏」は、ペルシア人と混血であると思われます。
(注)合体氏族名の順序は、呉越の記載様式は女性氏族名が先、匈奴や鮮卑族の記載様式は、男性氏族名が先です。例えば、呉越系統の女性と匈奴や鮮卑族の男性が通婚合体した部族は、女性氏族名が先に表記されています。
(注)呉系「トベ」系統の神社守護神は「蛇」、越系「戸売(トメ)」系統の神社守護神は「犬(狐)、太陽」です。

<以上>