見出し画像

仲良くできる人が増えると自己理解が深まったりする

わたしには大きく分けて3種類の友達がいます。
高校までに一緒だった田舎・進学校出身の友達。
大学で仲良くなった助け合いの精神が強い心優しい友達。そして、趣味を通して出会ったお洒落で美意識の高い友達。

まったく違うジャンルの人と関わる機会を持とうとしてきたら、いつの間にかこうなっていました。類は友を呼ぶといいますが、あまりに自分と似通った人とばかりつるんでいては他のジャンルへの理解は進みません。言うなれば視野が狭いまま、ということです。そんな人が素敵だろうか?と考えた時、わたしはそうはなるまいと18歳のころ決めました。
できるだけ世の中を見てこようと、大学時代はアルバイトをたくさんしました。常に2、3個かけもちで、家にはほとんどいない生活でした。
社会科見学だ!と割り切って半年程度で辞めてしまうことが多かったですが、面白くなってきて意外と長く続いたものもありました。
うどん屋、旅館の仲居、葬式場のスタッフ、工場の単純作業、居酒屋、冷凍庫内での肉体労働、洗い場、ガールズバー、キャバクラ、ラウンジ、コーヒー専門店でのホール兼バリスタ。
様々なお客さんと同僚がいました。ついでに、自分には肉体労働は合わず、どちらかと言えば頭を働かせる接客や、技術が必要な専門的な作業が向いていそうだなとわかりました。

世の中が見えてくると意外なことが起こります。いつも怒鳴ってばかりの葬式場のお局さんが毒母と全く同じ言動をしていたり。
自分はなんて駄目なんだと思っていても、新しく入ってきた後輩がもっと不器用でイライラしてしまったり。
自分はメンヘラだ、と思っていたけれどガールズバーの同僚の女の子が腕を深く切り付けてしまって包帯でぐるぐるにして出勤してきたり。
自分が思っていたよりもいろんな人がいて、自分が思っていたよりも自分はまともかも?と思えたりするのです。

これ、お分かりでしょうか??
つまり、外に出なければ自分のことは分かりづらいのです。それは、私たちが社会的な生き物だからです。どうしても他と比べて・平均と比べてどうだろうか、と評価されます。
そうなってくると、比べる対象が身の回りの家族のなかだけや、地元の小さいコミュニティ、自分と似ている環境のグループだけだと、自己理解の精度が低くなってしまうのです。

自分のことを知りたいなら、外に目を向けること。自分のなかでいくら考えをこねくり回しても、歪んだメガネで見ているので偏りが出てきます。そのメガネは自分では外せません。外してくれるのは他人です。

この記事を読んでくださっているということは、きっと人間関係で悩んだり、自分のことを知りたいと思っている方なのだろうと思います。素晴らしいその心がけを忘れずに少しずつ、1人でも多くと関わってみましょう。少し時間がかかるかもしれませんが、じわじわと自分のことも見えてくるはずです。関わっていくなかで、友達ができたり恋愛になったりすることもあるかもしれません。

人と関わるの怖い、傷付くかもしれないと思いますよね。わたしも18のときはとても怖かったです。でも、今はあのとき踏み出せてよかったなと思っています。少しだけ、あなたの背中を押せたら嬉しいです。心から応援しています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?