#33 精神科での初入院。
♡Mayu♡です。前回は暗いお話となってしまい申し訳ありませんでした。良い事ばかりを書かずにちゃんと私の身に起こった事実をお話ししなければ、「私のように苦しんでいる方にとって参考になる記事にならない」「意味がない」と考え、あえて暗い私の苦しかった過去をお話しいたしました。脳腫瘍のお話よりもこちらの方が精神面においては辛かったと今でも思っています。前向きだとよく言われることの多い私ですが、しんどい時もあります。人間だもの。ご不快な方もいらしたことでしょう。心よりお詫び申し上げます。
タイトルの通り、複数回に分けて精神科での入院について綴ります。怖かったことが多いので、途中でお休みをいただきながらの投稿になるかもしれません。引き続き暗い時の話にもなってしまうので前もってお詫び申し上げます。
※大学病院で薬を増薬したり減薬してみたりした前回、前々回の記事はこちらです↓↓
さて、私は入院日が確定しました。2021.11.25(木)の午後でした。それが確定した時、私はBリハに直接出向き、一旦退所する旨を伝えました。入院前日には、老衰化した愛犬クッキーに自宅横の公園の前に止まった自家用車の車内でお別れをしました。
私「クッキー、私はお薬を減らすために入院してくるね。退院したらまた会えるから、それまで元気に過ごすんだよ。待っててね❣️」
と言いました。愛犬クッキーはもう徘徊することもできず、寝たきり。おむつをして毎日点滴のために動物病院に通院し、点滴と注射器による栄養摂取をするほどに弱っていました。それでも、クッキーはMayuちゃん頑張ってと言わんばかりに大人しく私の言ったことを聞いていました。それが最期のお別れになるなんて当時の私は知る由もありませんでした。
そして入院当日。常備薬を持参するように指示があったのでそれを持って受付を済ませると、精神科受付窓口の方より常備薬以外は薬の過剰摂取をする恐れがあるためという理由で没収され、ナースコールを使って何かあった際には薬を飲みたい旨を伝えるよう言われました。脳神経外科では風邪を引けば適切な薬を出してくれるのに、精神科ではここまで徹底的に薬のことを管理しているのかと驚きました。私はPCR検査をして、空床となった部屋での生活がスタートしました。当日は部屋をはじめとする精神科のフロア説明を受けました。それからすぐに呼び出され、CT検査室へと連れていかれました。
検査技師「念のため、脳腫瘍が拡大していないかをチェックするための検査をしますね。よろしくお願いします。」
私「どうぞよろしくお願いします。」
と言って検査は無事終了しました。その後、私はお願いしたリハビリを毎日しながら日々を過ごした後、てんかんでお世話になった脳神経外科の主治医②がやってきました。
主治医②「早速ですがこれから減薬スタートです🔫我々はイーケプラ、リボトリールという薬を、精神科ではイーケプラをなくしたいと考えています。そこで、まずはイーケブラの減薬から始めます。あなたは今、一日イーケプラを12錠飲んでいますが、1日あたり4錠減らして1日あたり8錠飲んでください。」
私「ちょっと待ってください。そんなに一気に減らしててんかん発作を起こしたらと思うと怖くて減らす勇気が出ません。」
主治医②「てんかん発作が起きても適切な処置が行える様に入院したんでしょう。我々を信じてください。」
と言われ、私は減薬することとなりました。不安になると私は吐き気がどんどん増していくようです。ただでさえ吐き気があって大変だというのに。ナースコールで、
私「ものすごく気持ち悪いです。吐き気止めはありますか?」
看護師「わかりました。吐き気止め、メトクロプラミドを持ってきます。ただし!一日2回しか飲めませんので吐き気がMAXになったら飲んだ方がいいですよ」
と言われました。とは言っても唯一の救いであるシャワー入浴は時間が決められていて、大抵午前中にシャワーだとするとどうしよう😱と吐き気と毎日闘っていました。
それから、病棟担当となる医師は私よりも若い医師でした。
医師「これからよろしくね。」
私「よろしくお願いします。ところで、主治医③の声が聞こえないのですが」
医師「主治医③は普段研究されていて病棟にはいないのよ。私だって忙しいんだからあんまり来れないからね。」
と言われました。私はその医師(20代の新米医師)に忙しい中、仕方なく来てあげてるんだからねというような口調で馬鹿にされている気が勝手にしてならず、
私「あなたのチャラチャラした言い方や上から目線の言い方に無性に腹が立ちます。病人だからって見下しているんですか?そのような言い方をされると腹が立ちます。」
医師「あっそう。でもここは病院だから私の言うことは絶対。わかったわね。それから、一応伝えておくけど、精神科ではてんかん発作が起きても脳神経外科で処置することとなるわ。数年前に本大学病院ではてんかんは脳神経外科が担当することに変わったらしいの。他の病院もそうなのかもしれないけど。というわけで、てんかん発作が起きたら脳神経外科での処置になると思うからよろしくね〜」
と言って去っていきました。これまでの主治医①、②、③はとても信頼出来る方でしたが、こんな事務的なお医者さんもいるんだと実感しました。
そして、私は主治医③が脳神経外科で入院するようお願いされた理由をやっと理解しました。てんかんが脳神経外科マターで、精神科の治療範疇ではないのだと。
それから、ただでさえ不安で吐き気も増しているのに新米医師(ましてや精神科の先生)の人を見下すような態度はないだろうと異常なまでに腹が立って巻いていたタオルを投げまくりました(笑)
持参した簡易式加湿器も投げました。(壊れなくて良かった)ただ、当然目が見えないので見つけることができず、ナースコールでタオルを拾っていただいたりと、恥ずかしい思いをしたことを今も鮮明に覚えています。
リハビリをして、吐き気止めを飲みながらの生活を数日続けているうちに、私はあることに気づきました。朝、昼のごはんは食べられる。でも、夕食は吐き気がものすごく、食欲はわかず、一口も食べられないということです。そのため、私は朝、昼ご飯のみはしっかり食べるよう意識しました。
3日後くらいしてからでしょうか。病棟担当の医師がやってきました。研修医も同伴でした。
医師「てんかん発作起きてないよね?」
私「てんかん発作は起きていないです。」
医師「それならよかった。じゃあ私はこれで失礼するわ。」
と去っていきました。事務的に私の部屋に来て形式的な診察し、記録を残して去っていくので、もうちょっと心配してくれても良いじゃないかと思いつつ、吐き気と闘っている私はその余裕すらありませんでした😭
減薬が始まってから1週間後、私は主治医③にようやく会うことができました👏
主治医③「Mayuさん、これからお薬を変更します。イーケプラに加えてリボトリールを減らそうと脳外、精神科双方で判断しました。そこで、リボトリールの代わりとなるリオレサールというお薬を試してみましょう。まずはリオレサールを2錠増やす代わりにリボトリールを2錠減らしましょう。」
※リオレサールは、
筋肉を緊張させている神経をしずめる作用がある薬のことで、筋肉の血流改善効果もあるそうです。体のこわばり感やつっぱり感をやわらげ、動作や歩行の回復を助ける効果があるようです。(Safariより一部伐採)
私「てんかん発作が起こる確率は同程度ですか?」
主治医③「私が思うに、リボトリールで感情コントロールができなかったMayuさんにはこちらの方があっていて、心の落ち着きを取り戻すと思うの。副作用もほとんどないと思うしね。ただ、この薬は抗てんかん薬ではありません。でも、気分も落ち着いてむしろてんかん発作の確率は下がるんじゃないかと期待しているわ。ちなみに、てんかん発作は一般的に脳の電気信号の異常によって引き起こされることが多いとされているわ。」
私「わかりました。いきなり2錠も代替して良いのでしょうか。」
主治医③「ここは大学病院。あなたが安心できる場所よ。だから大丈夫🙆♀️看護師も24時間体制で見守ってくれている。そう思ったら安心じゃない?」
という私が安心してくださるような言葉を投げかけてくださいました。それで私は主治医③はやはり医学的知識もあって、私の心に寄り添ってくれる温かい医師だと改めて実感しました。
代替した薬も含めて抗てんかん薬を飲み始めて少ししてから……私は突然悲しい気持ちに苛まれました。悲しくて悲しくて、無性に空に旅立ちたくなりました。でも、ここは凶器どころか薬すらも厳格に管理されている精神科。私はどうにかして空に旅立つべく、タオルを巻いて首を絞めたり、水道の蛇口に水を溜めて顔を突っ込んでみたり、できる限り多くのことを試しました。今思えばよく看護師さんにバレなかったなと思いますが……
そんな中で迎えた朝イチでの脳神経外科受診。
私「私、無性に悲しいんです。悲しくて悲しくてどうにかなってしまいそう。空に旅立つ方法を考えています。」
主治医①「リオレサールはそんな副作用がないはずなんだけどな。主治医②早くきて!」
主治医②「副作用がないとされているのがリオレサールだよ。冗談抜きに
そう思うの?」
私「はい。私は副作用がないからという理由でリオレサールを快諾して飲み始めたんです。こんなことになるなんて思ってなかった。先生、本当に空に旅立ちたい。脳腫瘍で苦しんで、てんかん発作でも苦しんで、そんな苦しみばかりの人生を続けるなんて無理だよ。先生、死ぬ方法教えてよ!ねえ先生!」
と言い放ちました。困った主治医①、②は私に病室に戻るように指示しました。そして、主治医①、②、③は今後の減薬の方針等について話し合う時間を設け、悩んでいるようでした。
長くなってしまったので今回はここで終わりにします。
最後までお読みくださりありがとうございました🙇感謝申し上げます。
(本内容は2021年当時に私の身に起こったことを振り返りながら記事にしています)
2023.10.01記
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