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#32 抗てんかん薬の副作用で家庭崩壊💥💀

♡Mayu♡です。前回のnoteでは予告だけして終わってしまいました。今回はその続きを書きます。最後までお読みくださったら幸いです🙇


抗てんかん薬を増やしてから数週間後、私はイライラが止まらなくなりました。そして、物に八つ当たりするようになりました。それから、夏頃から土日は実家を離れ、夫の元で暮らすようになったのですが、なぜか自然とベランダに行ったり、玄関前の踊り場で身を乗り出すことが増えました。その度に夫や昼間の間家に来ている父が慌てて止めるのですが、それでも私は構わず自然とそのような行為をするようになりました。
加えて、私は母との関係が悪化しました。抗てんかん薬が増えたことによって私がイライラして文句を言うと、母もイライラしてしまい売り言葉に買い言葉でどんどん言い合いがエスカレートするようになりました。すると私は愛犬がいるのはわかっていながら、母に大きな声で怒鳴るようになったのです。老犬となった愛犬を連れてのBリハ通所は母にとっても負担がかかっていたと思うので、今思い返せばなんて馬鹿なことをしたのだろうと猛省していますが、当時の私はイラつきを抑えきれず、母と口を開けば言い合いになるようになり関係は悪化していくばかりでした。


ちょうどその頃に妹が心身の不調で休職しており、妹と喧嘩することも多くなりました。このまま母や妹と一緒に居続けることは私には無理だ、私の心がどんどん崩壊してしまうと考え、私は実家と距離を取ることにしました。


それでも、夫の前でも怒鳴る事はなくても気がつくとベランダに出るなどの行動を繰り返すようになり、夫はどうしたら良いのかわからず悩み心身が疲弊するようになっていました🥹

Bリハでも、私は訓練士さんとの関係が悪化して、ちょっとのいざこざに怒り狂うようになり、訓練をサボる機会が増えました。午前中からの訓練も、私が受けたいと思う訓練だけを取捨選択して受講するようになっていきました。
担任となる訓練士さんやBリハでも友人にも罵詈雑言を浴びせるようにもなりました。

どうしたら良いのかわからなくなった夫は主治医に相談して増薬した抗てんかん薬を減薬すべきかの連絡をとっていました。結果、私は増薬分の薬を減らし、元の状態に戻すことになったのです。
※増薬した抗てんかん薬、リボトリールというお薬は人によっては感情の抑制か効きづらくなることもあるとのことでした。それに対し、服薬している2薬、Eプラやビムバットは、過剰に興奮した脳内神経を抑える効果があり、一般巻に広く知られた抗てんかん薬だそうです。(後に精神科の先生から聞いた内容です)
それでも……私の心は壊れたまま元には戻らず、どうしていいのかわからない、限界の状況を迎えていました👿

そこで主治医は困った末、てんかんについて詳しい、精神科の医師を紹介してくれ、私は精神科の先生の元に通うこととなるのです。

精神科の先生(以降主治医③と略します)は、てんかんの副作用や増薬、薬に関することを専門にしておられ、脳波の研究もしておられるようで、(脳波の検査でてんかんと確定診断をしてくれたのが主治医③です)私が初診で相談に伺った時、
主治医③「あなたのお薬手帳を見る限り、抗うつ薬が処方されているわね。それはなぜ?」
と質問されました。
私「脳腫瘍、てんかんで入退院をした際にPTSDになる可能性があるかもしれないと母が主治医に相談して、近所の精神科の病院を受診したら抗うつ薬が処方されました。」
と言いました。
主治医③「この薬が悪さをしている可能性があるわ。毎日飲んでいる薬は2錠あるみたいだから、2週間に1度のペースで減らしましょう。すると1ヶ月後には0錠になるし、それであなたの心が少しは落ち着くかもしれないわ。」
と言ってくれました。私は指示に従い、半月に一度のペースで1錠薬を減らしていきました。
それでも、私の心は荒んだまま。加えて、薬を減らしたことによる離脱症状なのかは定かではないのでわかりませんが、急激な吐き気を催すようになりました。一つだけ救いだったのは、シャワーを浴びることで少しだけ吐き気が軽減することでした。

2度目の大学病院で精神科を受診した際に、
私「吐き気がものすごいです。唯一の救いはシャワーを浴びることで少しだけ吐き気が軽減することです。特に夕方以降に吐き気が強くなり、困っています。」
主治医③「それは困ったわね。でも、薬を減らすことができたのは私は良かったと思っているわ。」
私「それから、薬を減らしたところで無意識にベランダに出て身を乗り出してしまう症状は落ち着きません。むしろ悪化しているようにも感じます。」
主治医③「ここ最近てんかん発作は起きているのかしら?」
私「鍼灸院でてんかんの治療もしていただいているので今のところてんかん発作は起きていません。」
主治医③「薬の多量摂取が原因で心が荒んでいっているのかもしれない。それを打破するためには薬を減らすのがベストだと思う。抗てんかん薬を飲み始めてから1年は経っていて、てんかん発作も起きてないとのことだし。あなたの場合、抗てんかん薬の錠数がとても多い。減らしましょう。」
私「嫌です。薬を減らしててんかん発作が起こってまた入院するなんてごめんです。てんかん発作が起こると想像するだけで何回もした脳腫瘍の手術を思い出して涙が止まらなくなります。」
主治医③「じゃあ入院して薬の減薬をするのはどう?」
私「その場合にはてんかん発作が起きたら適切に対処していただけるということですね?それだったら入院します。」
主治医③「申し訳ないけど、精神科は今満床状態だから脳神経外科での入院を🙏。」
私「そのようでしたらお断りします。脳神経外科で匙を投げられて、私は精神科の先生の元でお世話になることになったんです。それなのにまた脳神経外科に回されて、その場合は命の危機に瀕している方が多くおられるから、私のようなてんかん患者は後回しにされるに決まっています。でしたら、また近所のお医者さんで抗うつ薬を処方してもらいます。」
主治医③「満床だから空き状況次第だけど、あなたの症状を放置すると取り返しの付かない事になりかねない。教授等にもこれから相談しますが、あなたを精神科で受け入れることにします。そしてあなたは抗てんかん薬の減薬に取り組む、これでいいわね?」
と言って、私は精神科での入院を許可していただきました。ただ、いつになったら空床が出るのかわからないので、いつ入院になるのかはわからず、空床が出たらその翌日には即入院することを約束しました🖐️


これで言葉での攻撃や気がつくとベランダに出てしまったりをしなくて済むようになる、そして心も落ち着くようになるかもしれないと思うと私はホッとした気持ちになりました。主治医③の診察室を退出する際、私は涙を流しながらの退出でした。


ただ、いつ空床が出るからもわからないので、Bリハに事情を話し、リハビリの途中ではあるが、一旦訓練は中止となるだろうという旨をお話しました。Bリハの担任には、
「行っておいで。私たちはあなたが元気に明るい姿で戻ってくるのを待っているから。それまでは一生懸命訓練に取り組むことを願っているよ。」
と言ってくれました。私は頑張るという言葉を発して電話を切りました。


そして私は入院日が確定するまでの間、心はボロボロでしたが少しだけ希望が見えた事でサボっていた訓練を一生懸命取り組むことにしました。


長文になってしまったので、今回はここまでにします。
次回は入院での抗てんかん薬の減薬についてnoteに綴ろうと思います。


最後までお読みくださりありがとうございました。

(本内容は2021年当時に私の身に起こったことを振り返りながら記事にしています)
2023.09.24記


※できることなら思い出したくはないことだったため、思い出すのに結構な時間を要しました。

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