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美術館

僕はひとりでいる時間が好きだ。
他人がいらないわけじゃない。むしろいてほしい。けれどそれは、人生で当たり前のことだ。
自分の人生を歩むのが各々の目的であるが、ひとりでそれを達成することはできない。

ひとりでいる時間は 美術館で作品をミる時間と同じである。

本当の意味で己と向き合い、本当の意味で自分を理解することは
美術館で静かに頑なに作品を眺め、その細部までミて、心を満たすこと。

この時間が最も大切だ。
誰にとっても、己を見失って生きていくことは理想的でない。

ただ、外の世界ではそうはいかない。
多くの人の並み木に押し寄せられ、強制的に座標をずらされる。
忙しい群衆の端くれを演じなければならない。
せっせと回らなければならない。

エラいヒト達のご意向だ。
僕は昔から滅私奉公という言葉が嫌いだ。
自己犠牲という言葉もついでに嫌いだ。



さて、カキコさんの途中で眠ってしまい、今2023/12/03 23:36に目覚めたところだ。
何ということだ。知らない幽霊が僕のブログを編纂し、関係のない話題をつらつらとカキコしてしまっている。
誰だ、この幽霊は?
僕の意識の外の賢者か?
僕のフリをしているが、随分とかわいらしいことをするな!?
まあ、せっかくなので、このカキコは残しておこう。
誰かが時間をかけてカキコしたものを消すほど僕は鬼じゃない。
さて。

───いっそのことその類の言葉はぜんぶ嫌いだと言いたいが、例外的に僕の利になる言葉もあるかも知れない。
それが言葉の怖いところなので、今のところこのふたつの言葉だけを目の敵にしておく。
敵を作らない生き方はどうあれ不可能だが、可能ならば敵を増やすより味方を増やす方がいい。
話が逸れた。いや、逸らした。話を逸らせば長くなるということを全国の教師の皆さんにお伝えするため、も少しだけ逸らす。失礼。
貴重な授業時間を世間話や身の上話に割いてしまい、試験前までのスケジュールに乱れが生じるケースを僕は何度か見てきた。
加えて、お歳を召すと同じ話を繰り返しはじめるので2倍3倍の時間がかかることになる。
考えてほしい。まず試験までに生徒たちを万全な状況に導いてからにするべきだ。
さもなければ第二次世界大戦が45分で終わってしまうようなことになりかねない。僕は経験があるから言っているが、経験がなくても同じことを言うはずだ。
僕はそういう生き物だ。
世界線が変わっても、僕の軸がぶれているならそれは僕ではない。同じ名前で同じ顔でも、思想の根本が違う生き物ならそれは僕ではない。
よし、そろそろ話を戻そう。でも、時は戻らない。失ったものは戻ってこない。僕だって、こんな文章に5分くらい消費してしまって後悔している。───

以上が幽霊さんのお言葉だ。
さあ、もうそろそろ無駄な話とサヨナラしよう。

僕が滅私奉公や自己犠牲を目の敵にするのは、それらが漏れなく洗脳の賜物であるからだ。
エラいヒトはアナタ達から、大きな幸せを奪っている。
どんな人間も、自然界にあれば自ずと大きな幸せを求めるように仕組まれている。
それが生存本能だ。
しかし、エラいヒトの管理下にある世界では、偽りの生存本能が幅を利かせている。
他人のために生きる幸せ。
他人のために己を犠牲にする幸せ。
他人のためにすべてを投げ捨てる幸せ。
幸せではないが、幸せと思い込まされている。
なぜなら称賛があるからだ。他者があるからだ。
しかし他者とは美術館に必要のない存在だ。
語り合うことはできても、究極的にはいらない存在だ。
僕は世界を滅ぼしたいわけではないし、そんなことを願うほどやさぐれてもいない。
初めにカキコさんした通り、善良な市民と呼ばれるモノの一部だ。
面倒だから、そう振る舞っている。

本当にただ、他者というもののために犠牲になることほど不純な生き方はない。
それが称賛される理由を、本当は誰もが知っているはずだ。

『やりたくないから』だ。

ほら、自分を犠牲にすれば皆から褒められるよ!(俺はやらないけどな!)

あのヒト立派ねぇ、若いのに滅私奉公なんて素晴らしいわ!(私はまっぴらごめんよ!)

こんなものである。お互い、本当はそれがイヤなものなのだ。だが、それがなくては生きていけないと思い込んでいるから誰かに押し付けようとする。

ハッキリ言おう。

自己犠牲がなくとも世界は回る!
滅私奉公がなくとも金は稼げる!

何の問題もない。僕のキライな言葉が消えて、僕の機嫌がちょっと良くなるくらいだ。
そしたら僕は世界に向けてアリガトのビームを撃つだろう。感謝は尊く眩い。

エラいヒトから脱却しても、アナタは生きていける。
アナタがしなければならないと思っていることのほとんどはエラいヒトの洗脳であり、しなくてもいいものだ。
赤子の頃から地下で軟禁生活を送っていれば、太陽という言葉も知らないだろう。
極論。
すべては、そんな知っているか知らないかの違いでしかない。
エラいヒトの洗脳の及ばぬ場所で育てば、きっと皆最初から自分と向き合っていただろう。

本当にやりたいことは?

美術館のどこかにある秘蔵の作品。
今からでもいい。
美術館が秘密警察から守り抜いたその作品と向き合ってみよう。

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