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ヘルパー物語②


眠い、眠すぎる。なんでこんなに眠くなるのか。
それでもお客さんのところに行けば、パッと目が覚めるのだから不思議なんだ。
電動自転車を漕ぐ。
電動自転車は、訪問ヘルパーのために開発されたと聞いたことがある。おしゃれママさん達のためではないんだ!と少し嬉しくなった。

ヘルパーの仕事は奥が深いと思う。

Yさまのお家は息子さんの家。
Yさまのダンナさま亡き後、体調崩されたYさまを息子さんがお家に連れて帰ってきた。
Gはそこへ訪問に行くのに、謎の抵抗感があった。
部屋に物が溢れているから?
それらがあまりにすごくて散らかり過ぎてるように感じるから?
Gはそうに違いないと思い、そんなくだらない事で困ってるお客さまを否定してはいけない!と、自分を戒めた。そう強く自分に言い聞かせて訪問したから、一二回はいい感じだった。
なのに何故か三回目の訪問で、どうしても心がそこから逃げたがる。あの部屋の散らかりようにはすっかり慣れたのに!
丁度Yさまの方でも用事ができたと言って、三回目の訪問がなくなった。
仕事がなくなるなんて落ち込む。自分的にはありがたいけど、こんな調子で仕事がなくなるのは困る事だ。なんで私は逃げたいのか。
そしたらハッとしたんだ。
Yさまの家はあんなに散らかっているけど、息子さんはYさまを積極的に家に連れ帰って、過ぎるくらいに世話してるんだ。世間体とかそんなの全然関係なく、Yさまにご飯ちゃんと食べろとか、本気で怒ったりされてるんだ。
Gは無意識に"マザコン"と言うレッテルを頭の隅に貼り付けていた。はじめに。だから部屋がこんなに散らかってるって。
息子さんはそれまで1人でしっかり生活営まれてきているのに!
Gの子育てはしっちゃかめっちゃかだったから、娘たちが自活してくれてるだけでもありがたいんだ。
Gに何かあったとしても、娘たちは自分達のことで忙しいに違いない。あのお家のようにGが扱われる事はないだろう。当然だと思う。
なんだ。私はきっと羨ましかったんだ。あんな風に自分を必要として欲しかったのかも?一体幾つになるまで隣の芝生の青さを羨み続けるんだ!Gは自分に頭にくるけど、こうして進む以外の術を知らない。
そうして訪問した三回目では、思った以上に全てがスムーズだった。✝️

図太くないと出来ないし、無神経すぎても出来ない仕事なのかもしれない。
Gの上司に当たるKヘルパーは、Gより十年分くらい先輩ヘルパーだけど、Gの方が5学年くらい人生においては先輩である。といって、30過ぎれば女は皆同じとGの尊敬する大女優はテレビのトーク番組で話してた。確かに、50前後の女性同士で、5学年歳が違うからといって、そこにどんな差があるのだろうと、Gも時々思ったりする。✝️
なのに。
仕事をしっかりする事を自分の支えにしてきたGにとって、Kの存在は今まで出会ったことのない感覚と感情を引っ張り出すのだ。
新規のお客さまについてKから指導を受ける時の、言葉で上手く説明出来ない違和感?さらに上司である先輩ヘルパーAの時には感じないのだ(歳上)。生きてきた長さとか(あれ?やっぱり歳?)人生丸ごとの経験値の違いかと思ってる。そうだ。そういえばAさんは、聞くところによるとかなり色んな事をされてきてるのだった。✝️とすると、やっぱり年齢ではないのだ!歳上だって、世間知らずの上司が訳わからないことを言ってきたりしたとしたら、それは違和感とは違うだろうけど、反感とかストレスとか湧いてくるだろう。なんでこんなにしっかり仕事できるKに、Gは違和感を感じるのか、不思議だったのだ。✝️歳下に教わる事へのプライドか?と、そんなちっぽけな事に拘ってるのだとしたら、そういう自分をどうコントロールしたら、違和感を外して素直に仕事に専念出来るのか?そもそもこの違和感の正体は何なんだろう?✝️

Gは御役所仕事にすぐ頭に来たり、行政のする事にいい印象を持っていなかった。
それが福祉資格取るために勉強したら「介護保険制度」の凄さに感動してしまった。
勉強する時は正直、挑む気持ちだったのだ。
身内に障がい福祉を利用する従兄弟がいて、自分の知ってる"福祉"のイメージが、いつからか随分変わってきてる気がしてた。冷たくなってきてる気がして、頭にきてもいた。
福祉に携わってる人たちが、どんな事を学んでいるのか、変な事になってるとしたらどんどん口出ししてかき回してやると、半分喧嘩腰みたいな気持ちだった。
ところが学べば学ぶほどこの制度設計の緻密さに、芸術的な感動に近いものを勝手に感じてしまった。
生活の細々した事にいちいち配慮した上で決め事がなされているのだ。正直、そんな細かい事なんか決めなくたっていいよ!って、思う事もあったが、そここそが公的制度である所以だし、実際身内、親族、血縁というような関係性は、ややこしい事この上ない。
この制度に則って掲げられる理念によったり、責任者によったり、事業所のカラーが違っているのを肌で感じる。
だから、大きくはみな同じ「介護」を扱う事業所でも、お客さまへの接し方、サービス提供のあり方が、所謂御役所仕事とは違ってる。そもそも役所仕事ではないけど、イメージが半公共的に感じるのは自分だけではないだろうとGは思う。その民間の部分と公共的な部分のあり方が、関わり方によってワーカーの人生哲学を垣間見せるとGは思ってる。面白いなぁと思うのだ。✝️
そうだ。Kどころかそもそも?はじめは制度に則り社会的立場の弱い人の弱さを助ける、という事自体に、Gは強い違和感と疑問があったのだ。制度なんていちいち手続きを経なければ人助け出来ないんだろうから、そんなことやってるから社会がどんどん冷たくなっていくんじゃん!と。
しかし。
勉強は本気で学ぶ意思を持つと、なんて多くのことに気づかせてくれるのだろう。
確かに以前の福祉と現代の福祉は大きく違っていたのだ。
昔の福祉は措置制度だった。
現代の福祉は利用者が選び取る制度になってる(例外もあるけど)。
だから、実際現場でKに感じてるのは、そういう事なのだとGは思う。
ここまではっきりそういう事を感じさせてくれるのは、Kがそれだけきっちり現代の福祉を体現しているんだろう。
Gが新米の頃、上司の方がそういえば言っていた。なんとなくな言い方ではあったのだけど、ヘルパーを公務員扱いしていいのではないか、みたいな事を。
当時は10年くらい前で、今より携わるヘルパーの関わり方は違っていたかもしれない。今の方がより、専門職に徹しているのではないか?
2、3年前、20代くらいの若いヘルパーの多い事業所に短期間お世話になった時、Gは若い人たちのお客さまとの接し方に驚いた。友達みたいな話しかけ方で、当時のGからしたら"失礼ではないのか?"と感じたのだ。けれどお客さまはニコニコやりとりされていた。Gはその時カルチャーショックを受けたのだけど、介護職の可能性の広さみたいな事も感じたのだった。✝️

現代の福祉は、資本主義経済の裏面だとGは感じる。そのくらい体系化されていると感じる。
Gの思う"あったかい福祉のようなもの"は、ヘルパーの仕事とはちょっと違っているのだ。Gにとってそれは意外すぎる現実だったのだけど、意外に面白かったりもする。✝️
こうして福祉を学ぶ中で親から聞いたのだが、福祉利用している従兄弟が通っていた今で言う作業場は、従兄弟の父親(Gの叔父さん)が知人と一緒に作ったらしい。従兄弟に母親はいなかったから、叔父さんはよく頑張ったなぁとGは思ったし、実際叔父さんはよく従兄弟に厳しく接していた。怒っているような話し方で従兄弟とやりとりする2人を前に、Gは何だか切ない気分になった事をよく覚えていた。
だから、Gが知ってると思っていた"あったかい福祉のようなもの"は、実は叔父さんの従兄弟に対する愛情だったのかもしれない。夏休みになる度、叔父さんと従兄弟のそういうやりとりを側で感じながら、Gはなんとなくそういう空気を"福祉"だと勘違いしていた。
"違和感"の正体にこうして気付いて、人生は不思議だと、Gは改めて思ったりした。✝️

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