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インドで全員体調崩した話

大学の友達と卒業旅行という名目でインドへ行ってきた。
みんな大学院へ進学するので、学生を卒業するわけじゃないけど、一応大学卒業という節目として。

1週間の旅、前後2日はほとんど移動日だったので、実質5日間のインド滞在。

成田からベトナムのハノイで乗り継ぎをして、インドのガンディー国際空港に到着。
その日は空港近くのホテルに泊まったけど、ホテル送迎のタクシーが爆走するわ逆走するわで早くもインドを感じる笑。

1・2日目 デリー、アグラ

初日はデリーを観光して、
インド門や赤い城(レッド・フォート)などを見て回って上々の滑り出し。
特に赤い城は個人的にめちゃくちゃ好きだった。
本場のインドカレーやビリヤニ(カレーピラフみたいなやつ)も食べれて、インド来た〜って感じ。

レッド・フォート(赤い城)

2日目は早朝から列車に乗って、タージ・マハルのあるアグラへ移動。
アグラ城、ベビータージマハルなどを見て、いよいよお目当てのタージマハルへ。

夕日とタージマハル

それはもう圧巻の光景だった。
画面の中の存在でしかなかったものが、今現実に自分の前に存在する。
言葉が出ず、ただ見つめることしかできなった。
これを見ただけでもインドに来た価値がある、そう思われてくれるほど素晴らしかった。

アグラの後は、寝台列車に乗ってガンジス川のあるヴァラナシへ向かうために、アグラから少し離れたローカル駅に移動した。
ところがこの駅がなかなかの過酷な環境だったのだ笑。

インドの駅のホーム

そもそも僕たちが予約した列車は深夜1時半発の列車だった。(それしか予約できなかった)
そしてその駅に着いたのが夜9時頃だったので、4時間以上駅のホームで列車を待つ必要があった。
ここまでは良しとして、インドの駅には普通に野良犬がいる。(駅に限らず街のそこらじゅうに犬はいる)
そしてさらには猿までうじゃうじゃ。
おまけにインド人がじろじろこっちを見てきて怖い笑。何か盗まれたりしそうで気が抜けない。
あとはホームのアナウンスが永遠に流れてるし、それがめちゃくちゃうるさい。(テテーン!ってまるでクイズに正解したかのような音が永遠流れてくる笑笑)
その上この時期の夜はなかなか冷え込む。
この寒さと騒音という環境ストレス、そしてインドの犬と猿と人への恐怖という状況の中で、結局5時間ほど駅のホームで待った。
これが結構しんどかった。
(今思うと、これが全ての元凶な気がしている笑)

ようやくヴァラナシ行きの列車が来てなんとか乗車。
自分たちが予約した席に行くと、噂通り知らんインド人が先に座っている笑笑。
ここは我々の席だと言ってどいてもらうが、なぜか近くに立ったまま離れない。
何か盗まれそうで怪しかったが、みんな疲れていたので気がつくと寝てしまった。

夜中に目が覚めるとそのインド人はどこかにいなくなっていたので、一安心してもう一度眠った。

翌朝、列車の中でチャイを売るおじさんの声で起こされる笑。
(インドの寝台列車では「チャーイチャーイ」と、でかい声で乗客が寝てる中チャイを売り歩くおっさんが15分おきくらいに来る笑笑。ちなみにコーヒーを売ってるコーヒーおじさんもいる。)
マジでクソ迷惑笑笑。

まだヴァラナシに着くまで時間があったし、みんな寝ていたので、一人で車内をウロウロしてみることに。
客室を出ると、列車のドアを開けて外を眺めてるインド人が笑笑。
あぶねーなーと思いながらも、自分もそこから外を眺めてみるとすごく気持ちいい。
風を感じながら日本とは全く違うインドの田舎風景を眺めていると、何も考えずにぼーっとできた。

インドの車窓から

自分の席に戻るとここで最初の問題が発生。
友人のうち2人(YとM)が熱があると言い出した。
もうすぐヴァラナシに着きそうだったので、とりあえず予約していたホテルに行くことに。

3日目 ヴァラナシ

ヴァラナシの駅に着くと、リキシャ(タイのトゥクトゥクと同じ)のドライバーがうじゃうじゃ話しかけてきて、体調不良者2人を連れている自分たちはもううんざり。
それでも何とかリキシャ2台を手配できて、ホテルまで向かった。

ホテルに着いて、事情を説明し早めにチェックインしたいことを伝えると、部屋が準備できるまでホテルの屋上にあるレストランで休ませてくれた。
その後1部屋だけ先にチェックインさせてもらい、熱のあるYとMの2人はベッドで休むことができた。
残りの4人もその後チェックインし、昨夜の疲労も考えて少し昼寝してからヴァラナシを観光することにした。

昼寝休憩を終え、ロビーで集合すると早くも追加の体調不良者が出る。
友人Rが腹痛を訴え、ホテルで休んでいることに。
これで早くも半分が体調不良になってしまった笑笑。
仕方なく生存者3人でヴァラナシを歩いて回ってみることに。

まずはヴァラナシに来た目的であるガンジス川を見に行った。

ガンジス川

が、思ったよりもただのデカくて汚い川って感じ笑笑。きっと別の場所に行けば沐浴しているインド人や火葬場などが見れて、イメージしていたガンジス川を感じられたんだろうけど、とりあえず今日はこれくらいでいいかと思い、ガンジス川を後にした。(この後のドタバタで結局ガンジス川はこの時しか見れないんだけど、そんなことは知る由もなかった笑笑。)

ガンジス川を見た後はヴァラナシの街を少し歩いて、その後テキトーにリキシャを捕まえて、ヴァラナシの大きな寺に行こうとした。
ところがリキシャの運転手が他の寺と勘違いして、ヴァラナシにある大学内の寺に連れて行かれた笑。
(ヴァラナシにはヴァラナシ・ヒンドゥー大学というめちゃくちゃでかい大学がある)

仕方なく大学内の寺を見ていると、その大学の学生が話しかけてくれた。
自分たちが日本人であることを話していると、日本語を専攻している友達がいるからとその場に呼んでくれた。
(頼んではないけど笑笑)
日本語専攻のインド人学生(アユシュくん)は僕たちに会うとすごく喜んでくれて、頑張って日本語で挨拶してくれた。
そしてその学生たちに寺を案内してもらいながら、ヒンドゥー教についても色々教えてもらった。
アユシュくんは時々頑張って日本語を交えながら、優しい英語で丁寧にヒンドゥー教の文化を教えてくれた。

寺を案内してくれたインド人学生たち

寺を出ると、ホテルで休んでいた友人から急に電話がかかってきた。
発熱していた片方の友人Yが40℃近くまで熱が上がってしまったらしい。
さすがにまずい。
電話越しに相談しながら病院へ連れて行くことに。
とりあえず一緒にいた2人の友人と共に急いでホテルへ戻ることにした。

案内してくれたインド人の学生たちに事情を説明すると、アユシュくんが一緒に来てくれると言い出した。
どうやら病院の案内やヒンドゥー語の通訳をしてくれるらしい。
たしかにインドの病院は不安だし、来てくれるなら心強い。
お言葉に甘えて一緒に来てもらうことにした。
友人2人とアユシュくんとともにリキシャに乗ってホテルへ急いだ。

ホテルに到着し、友人の容態をみるとかなりキツそうな様子。
急いでタクシーを手配して、高熱の友人Yとアユシュくん、そして腹痛のRと一緒に病院へ。
(腹痛のRも一応病院に行きたいと言ったので)

友人Y、インドの病院で点滴を打つ

渋滞を進みながらなんとか病院に到着。
すぐに友人Yの肩を持ちながら病院に入った。
(病院と言っても診療所みたいな感じだった)
アユシュくんが緊急診療みたいなところまで案内してくれて、Yをベッドに寝かせ、すぐに医者がみてくれた。

医者がYの関節を曲げ伸ばしして、痛いかどうか聞いた。
その後何やらヒンドゥー語でベラベラと話し、それをアユシュくんが優しい英語で伝えてくれた。
アユシュくんによると医者の話はこんな感じ。
感染症にかかっている可能性もあるから、いくつかの検査をして病院で2日ほど入院することをお勧めする。だけどそれには1万ルピー(日本円で2万円ほど)以上するとのこと。
もう一つは、薬だけ処方してもらってホテルで休むという案。
この場合は1000ルピーほど(日本円で2000円ほど)で済むという。

この話をYに伝えて、どうしようか相談した。
Yは楽天カードに付帯している海外旅行保険を適用しようと思っていたのだが、保険適用の条件を満たしていないことが判明。
診察費など自費で払わなければならない。
また金銭面に加え、入院するとデリーに戻る列車を逃してしまうため、薬だけ処方してもらいホテルに戻ることを決めた。

このことをアユシュくんに伝え、医者に話してもらった。
すると診断書のようなものを渡され、アユシュくんとともに併設されている処方所に向かった。
診察費と薬代を支払い、薬の入った紙袋を受け取る。
それを再び医者に渡すと、中から出てきたのは何と点滴だった。
てっきり錠剤のようなものを渡されて終わりだと思っていたので、僕もYもびっくり。
こうしてYは異国の地インドで点滴を打つことになったのだ。
点滴を打ち終わるまで1時間ほどかかるといわれたので、僕とアユシュくんは待合スペースで座っていることに。
(すでに忘れられているであろう腹痛のRは、結局医者には見てもらわず、ホテルで休むといって途中で自力で戻った笑)

アユシュくんと待合室で待っている間に診断書を見ていると、診断書に書かれている診察料と実際に払った診察料が100ルピー(200円ほど)違うことに気づく。
インドは病院でもぼったくられるのか、と思っていると
アユシュくんはこう言っていた。
「こういうことは本当に嫌いだ。インドの人はたまにselfish(自己中心的)になることがある。そういう人たちのせいでインドが悪い国だという印象を持たれるのがすごく残念。」

アユシュくんの目は悲しそうだった。
その話を聞いて、ぼったくられたとかそんなことはどうでもよくなり、
それよりもアユシュくんのような考え方をできる人はインドにどれくらいいるのだろうか、そんなことを思うようになった。
アユシュくんの父は電力会社で働いており、母は教師だと言っていた。
家庭環境に恵まれ、家族はいつも支えてくれた、そう話していた。
インドの中でも豊かな環境で育ち、優秀な学生であることは予想できたし、そんなアユシュくんだからこそ、そんな考え方ができるんじゃないかとも思った。
育った環境だったり教育環境というのはやっぱり大事なんじゃないかな
そんなことも考えたりした。

点滴が打ち終わると、Yの熱はだいぶ下がったようで顔色も良くなっていた。
本人もかなり気分が良くなったと言ってたので、解熱剤を処方してもらい、病院をあとにした。

アユシュくんは僕とYと一緒にホテルまで来てくれて、ホテルに着くとYと一緒に何度もお礼を言った。
アユシュくんがいなければ本当にどうなっていたことやら、
感謝してもしきれなかった。
最後にインスタを交換してもらい、
「もし明日の朝Yの状態が悪化したら、自分の大学病院に連れていけるから連絡してほしい」と言ってくれた。
もう一度お礼をいい、ホテルの前でアユシュくんと別れた。

点滴後のYとアユシュくん

アユシュくんと出会っていなかったら、
もっと言えば、あのリキシャの運転手が寺を間違えなかったら、
今頃どうなっていたんだろうと少しぞっとするし、
色んな偶然が重なって運命のようなものも感じた。

Yをホテルの部屋まで送り自分の部屋まで戻ると、疲れがどっと出てきて急に気分が悪くなってきた。
なんだか熱っぽい。
やばい、今度は俺が体調崩したな
サッとシャワーを浴びてその日はすぐに寝た。

4日目 ヴァラナシ

翌朝、起きてもやっぱり熱っぽい
おまけに一緒の部屋で寝ていた友人Tも熱っぽいという。
熱を測ってみると僕は37℃ほどの微熱、Tは38℃ほど熱があった。
これで6人中5人がすでに体調不良に笑。
幸い前日に微熱のあったMはすでに回復しており、
高熱で点滴を打ったYも37度ほどの微熱でおさまっていた。

この日の夜に寝台列車でヴァラナシからデリーに戻る予定だったので、ホテルは予約していなかったが、熱のあるTと点滴を打ったYは急遽ホテルを予約して休むことに。
僕も微熱はあったものの、動けないほどではなかったので残りの3人と一緒にヴァラナシにあるモールで休むことにした。

モールに着いて入ったのはみんな大好きマック笑。
日本にはないメニューもたくさんあって、ケバブサンドみたいなものを食べた。ドリンクにアイスカフェラテも頼んだけど、甘すぎて全然飲めなかった。

インドのマック
マックは世界共通でうまい!

マックでしばらく休んでいると、僕の気分が悪くなってきて熱も上がってきた気がした。
そこで僕も急遽YとTが休んでいるホテルをとって寝ていることに。
その間残りの3人はヴァラナシを見て回っていた。

寝台列車の時間までホテルで休んでいるとだいぶ気分も良くなった。
気分も良くなったのでメジャーの開幕戦を見てた笑。
同じホテルで休んでいたYとTも少し良くなったようで、外を回っていた3人と合流して寝台列車の駅に向かう。
無事にデリー行きの列車に乗ると、みんなすぐに寝てしまった。

最終日 デリー、帰国

翌朝デリーに着くと、体調はすっかり良くなっていた。
Tの熱もだいぶ下がったが、Yは大事をとってデリーでもホテルをとって休んでいることにした。
この日の深夜の便で日本に帰国する予定だったので、Yを除く5人はインド最終日を楽しむことに。

とりあえずYをホテルに送り届け、デリー市内を観光した。
夜になり、ラストは本場のインドカレーを食べて旅を締めくくることに。
マトンカレーやバターチキンカレーにナンなどを頼み、みんなおなか一杯に。
Yとホテルで合流し、いよいよインド旅の終わりが近づいてきた。

インド旅最後の晩餐はやっぱりカレー

メトロで空港に向かい、無事にチェックインや出国検査、手荷物検査を終えて乗り継ぎ地であるベトナム、ハノイへ向かう飛行機に乗った。
なんだかんだあったけど、これでようやく日本に帰れる
そう思った。
しかしインドの洗礼はまだ終わっていなかった笑。

飛行機が動き出すと、すぐにお腹が痛み出した。
離陸してシートベルトのサインが消えるとすぐにトイレへ駆け込んだ。
完全にお腹を壊した笑。
下痢が止まらず、結局飛行機の中で4回ほどトイレに駆け込む羽目になった笑。

なんとかベトナムに到着し、みんなと合流すると他のみんなも顔色が悪い笑。
どう考えても昨日の夜に食べたカレーが原因だろう。
一緒にカレーを食べた4人のうち3人が腹痛を訴えていた笑。
どうやらカレーに入っていたバターが良くなかったらしく、バターの入っていたカレーを食べなかったMだけ元気だった笑。
これで唯一体調を崩していなかった最後の砦Aもアウトに笑。
こうして見事6人全員どこかしらで体調を崩した笑笑。

ほぼ全員がグロッキーな状態で乗り継ぎカウンターに向かったが、一度入国して再度チェックインしないとダメだといわれる。
仕方なく入国審査を受けて、チェックインカウンターに向かうとそこには長蛇の列が。
みんなしんどいながらも頑張って順番を待ち、何とかチェックイン。
次は出国審査と手荷物検査。
これもなかなかの列で大変。
そんなこんなで全員ヘトヘトになりながら搭乗口に到着。
これで今度こそ日本に帰れる。

5時間のフライトを終えて、無事成田に到着。
飛行機を降りる時にはみんな顔が死んでいた笑笑。
トラブルありまくりだったが、なんとか全員無事(?)に帰国できた。
到着ロビーの近くにあった吉野家にみんなで入り、みそ汁に感動笑。
そのまま空港で解散し、男6人のインド旅を終えた。

全員無事(?)帰国
写真は頑張って笑顔

帰国後もしばらく下痢が収まらず、インドの洗礼は続いた笑。
各々インド旅の後遺症を患いながらも、2日後の卒業式には6人全員出ることができたのでめでたしめでたし。

インド旅を終えて

人生で一度は行ってみたいと思っていたインド
インドはあらゆることが日本と違った。
トイレはクソ汚いし
水道水はきれいじゃないし
道路は舗装されてないし
物乞いの人たちはいるし

よく「インドに行くと人生観が変わる」みたいな話を聞くけれど、別にインドに行っても人生観は変わらなかった。

ただ自分たちの環境がいかに恵まれているか、
それは身に染みて感じることができた。
これは単に、日本がやっぱりいいわ~、とか日本最高!とかいう単純なものではなくて、与えられるチャンスの数とか選択の自由についての話。

もちろん衛生環境とか治安とか食の安全性とか
そういうのを挙げたらキリがないくらい日本の方が恵まれていると思う。
ただそれだけじゃなくて、
例えば僕たちは今回インドを旅して自分たちの世界の外側を自分の目で見ることができたけれど、同じように海外を旅しようと思ってできるインドの人はどれくらいいるのだろうか。
自分がこういうことをしてみたい、こんな仕事をしたいと考える中で、
同じように自由に考えられるチャンスのある人はどれくらいいるのだろう。

きっと僕たちの方が色々な人生の選択肢を考える機会があるし、それを選ぶことのできるチャンスにも恵まれている。
だから今の環境を当たり前と思わず、ありがたい気持ちを忘れずに頑張るしかない。
インド旅を終えて思ったことはこんな感じ。

残り2年間の学生生活、自らの環境と周りの人々に大いに感謝して、自分の全力を出せるように頑張ります!

インド旅完!


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