全肯定でありたいオタク
今日の日本ではデジタル化が進み、誰もがスマートフォンを持ち歩くような時代になった。そしてXを始め、InstagramやTikTokなどのSNSに触れる機会も増えた。
私は今まで、俗にいう「見る専」としてSNSを活用していた。SNS大好き人間なので、色んな人の投稿を見てはいいねを押す日々を過ごしていた。
といっても高校生までは諸事情あってSNS禁止だったので、高校卒業して解放された反動でSNS大好き人間になったまだSNS初心者だ。(高校生の頃はLINEも禁止されていた。今の世の中で厳しすぎルールじゃない???)元からアウトドアなタイプではなくて、友達も多い人間ではなかったため、「一人で楽しむことの出来る」SNSは、私にとってとても良い娯楽だったのだ。
そんなこんなで見る専でSNSを楽しんでいたのだが、本髙克樹君のことを好きになり、ある欲が湧いてきた。
「SNSで克樹君への感謝や愛を綴っていれば、本人の目に届くこともあるよね…?克樹君エゴサしそうだし…」
そんな不純(?)で変な動機で、私はSNSを本格的に始めようと思った。
このようにSNSを始めた私だが、SNSを全世界に公開するにあたって、自分なりのルールを作った。それが「全肯定であること」だ。
それは自担に対してだけじゃない。メンバー、ファンの皆さんその他諸々に対して、全肯定でありたいと思ったのだ。
※これからはあくまで個人的見解なので、この考えが絶対ではないです。
生きていれば人に対して様々な感情を抱く。好きな人もいれば、嫌いな人もいる。尊敬している人もいれば、少し見下してしまう人もいる。それは人間誰しもが抱く感情であり、負の感情を抱いてしまうことは全く悪ではない。
それはアイドルに対しても同じで、好きなグループでも少し苦手な人がいるかもしれないし、ある行動や言動にイラだちを覚えてしまうこともあるかもしれない。自担や他メンバーがやらかして、すごく嫌な気持ちを抱くかもしれない。
しかし、その負の感情を思いのまま文字にして全世界に発信してはいけない。どんなにムカついても嫌な気持ちになっても、その気持ちをそのままSNSに乗せるのは、自分勝手で見る人を不快にさせる可能性のある行為なのだ。
デジタル化は簡単に発信することが出来るメリットと裏腹に、画面の奥に「生身の人」がいることを忘れてしまいがちになる。特に人の悪口など負の感情のものは、それを見て悲しむ人がいる可能性を忘れがちで、まるで相手が機械であるかのように悪口をぶつけてしまいがちだ。その言葉の裏には確実に生きている人間が存在しているのに。
どんなにフォロワーが少なくても、その内容に共感する人が多かったとしても、負の感情をただ載せた投稿は、「誰かを悲しませる可能性」があるのだ。
だから私は「全肯定でありたい」のだ。
私もただの人間なので、苦手な人もいれば、モヤっとすることもある。少しおかしいことをしているときは物申したくなったりもする。
でも、アイドル側が何かおかしいことをしていたら、事務所や仕事仲間が注意してくれるだろうし、私が言う必要は無いと考えている。
自分は正義だと思って発言していても、見る人にとっては不快を与えてしまったり…言葉というのは非常に難しいのだ。
(しかし、無理な擁護もしたくない。明らかに悪いことをしているのに、好きだから無理な擁護をする。そんな盲目なファンにはなりたくない。だから私は、何かあった時は静観に徹している。)
私はSNSを始めた理由が理由なので、好きな人がSNSを見た時に、「幸せな気持ち」になってほしいと願っている。一部の心無い言葉を見て辛い思いをしないでほしい、SNSを見ることが幸せであってほしいのだ。
それは誰に対してもそうだ。私自身がどんなに苦手だと思っている人も、その人を好きな人はたくさんいるし、その人がたくさんの人に幸せを届けていることは事実だ。その人を「苦手だから」という理由で、思考停止して負の言葉を投げてはいけないのだ。
当たり前だが、私にとっては苦手な人でも、誰かにとってはかけがえのない人なのだ。そのことを絶対に忘れてはいけない。
(しかし、鍵垢とかでは特別に感情を抑える必要は無いと私は思う。気の知れた人しかいない空間であれば、愚痴でも擁護でも言ってもいいと思っている。)
もちろんSNSは個人の自由なので、愚痴を言ってる人や擁護をしている人が悪いと言っているわけではない。
しかし私は、これからも私の好きな人やその周りの人が「幸せな気持ちになれる」ように、全肯定でありたい。
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