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同じ月を見る

隣に並んで同じ月を見る人を探していたような生き方、だと思う。


こんなに美しいのに、どうして誰も立ち止まって見上げないんだろう・・・

だから、たまに「こんなに夕日がきれいだよ」と教えてくれる人にものすごく共感し、安心した。
私の感じていることを共有できる人がいる安心感は、この人となら分かり合える気がするという期待に変わっていく。

しかしながら、この人はこの人が見た夕日がきれいだ、と言っているに過ぎない。私が見ている月をきれいだ、と感じるかどうかは別なのだ。

それなのに、私の見ている月をきれいだ、と言ってほしくてたまらない自分がいる。
これが、承認欲求なのか?

「同じ赤を見ていても、見る人によって違う色」
という説はよく聞くけれど、実際の生活に置き換えたとたん納得するのが難しい。

これが誰にでも当てはまることなら、そういうことなのだろうと安心できるものを。
隣の芝はなんとかで、まるで自分だけが理解されない世界で生きているようだと残念な気持ちになったりする。

自分のコピーロボットをあてがうしかない、などと思ってみると意外と笑えるので、このまま日常を過ごしていくのも悪くないのだろう。


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