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人付き合いの後悔

こんばんわ。
今日もお疲れ様です。

齢30にも満たない未熟者だけれども、
周りと比較して長い付き合いのない私。
22年の年末くらいから「交友関係」について考えることがあって。
元々、長い付き合いを作りづらい環境を選んできたのも原因なんだけど

(幼稚園を選ぶ時もわざわざ学区外の遠い園を選択してみたり、 中学に進むときの2択のうち少数派を選んでみたり、 高校もみんな上京するのに逆方向に行ってみたり、 大学では地方を選んでみたり…)

環境が変われば当の本人も変化していくと思っているんだけど、
皆さんはいかがでしょう。
私の場合で言えば、上記の通り、
進学の度に取り巻く人々の性質が変わったので
今振り返った時に影響を受けて変化していることが多かったなと。

なのでどんどん付き合うメンツが変化するから
常に友達が少ない。
少ないことは気にしてないけど、
言い方は悪いけど友人をふるいにかけている状態で
あっという間に少なくなっていくの。

それは、前のコミュニティの付き合いが心地良くないと思うことが多いために
どんどん連絡頻度が減り、疎遠になり、やがて連絡先がわからなくなる、、と。
そういう仕組み。

振り返るということは、現時点の自身の方が考え方が大人でさ
後悔することが多くて。
けど前述の通り、「すでに連絡先がわからない」「疎遠すぎる」
など謝りたいことがあっても連絡を取り合えないことが多くて。。

関係が完全に壊れている場合に、どう頑張っても修復できないことが多い。

たまに思い出してすごいバットに入ることもあるけど
そういう時はもう諦めることにしてる。

年取ってよかったなと思う。

あれよ、いじめの話でよく聞くフレーズで
「したほうに忘れることがあってもされた側は忘れることはない」、やつ。
学生の頃の私は声の大きいタイプだったので(物理でなく、影響力の点で。当時は全然気がついてなかった。恥ずかしい)
傷付けた、と今ならわかる振る舞いをしておりまして。。

どの学生生活でも思い出したくない瞬間があるわけですが、
じゃあ、悪いと思ったから謝る、のは結局「自己満でしかない」ということに気がついて…もう相手が思い出して改めて嫌な思いを思い出させない、した方の自身としては”嫌な思いをさせた”ということを背負って生きていかないとと感じている次第で。

その点で言えば、変に付き合いが長いと傷つけた相手を見て思い出すことがない環境を自分で選んで生きていくことができるので、「幸せなんだ」って思い込んだり、本気で感じたりしているわけです。

幼馴染などのなが〜〜〜〜〜〜〜〜い付き合いに憧れはありつつ、
その環境環境で新しい付き合いを創出できている(?)自身のことは
好きだったりする。

でもやっぱり隣の芝は青い。青くて青くて。

いつもその環境で新しい付き合いを作り出せる私を目指して
歳を重ねていきたい。

実はそういう決意のnoteでした。えへへ。

みなさんの人付き合いはどうでしょう?
我慢してませんか?はたまた刺激がありすぎて疲弊してませんか?

長い付き合いも、その環境ごとの比較的短い付き合いも
全部大切にしていきたい。。。気がするという話

(久々に連絡をくれて、急に付き合いがもどった友人もいる。
 急に当時までタイムスリップしたような感覚。
 それはそれで歓迎なので
 私発信では難しいけど、そういう機会があれば積極的に受け取りたい。気持ち)

正解不正解はないと思うけど、自爆だけはしないよう
都合よく、でもできるだけ楽しく生きていけたらいいよね。
そういうこと。(?)笑

ぐっすりねむって、スッキリ起きましょう。
おやすみなさい。


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