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1番目アタール、アタール・プリジオス(12)バイモの花



 *



「……俺の、両親…?」


彼は膜に顔を押し付けて、目を見開いて見る。



「ああ、そうだ…お前の父親、エクトラス・ブラグシャッド・アペルと、お前の母親ミューフィ・ルーサ・オルト・ホロヴィルだ」


アタール・プリジオスによると、自分たちは時空を超えて16年前の過去に飛んできたのだという。
3人はそれぞれ蛙の卵のような透明な“時の繭”に覆われ、その時代の者たちには、こちらの存在は無で、姿は見えず、声も届かない。
反対に、こちらからは見ることも聞くこともできるが、干渉は一切できない。



「そして、あれが生まれたばかりのお前だ」


朝日が昇り、赤ん坊のレミエラス・ブラグシャッド・アペルの顔を照らす。


アリエルは無言で、ようやく泣き止んだ小さな赤ん坊の小さな顔を見ていた。
まだ開かぬ目蓋の上からも、降り注ぐ旭光に、瞳が青く発光しているのが分かった。



本当に、生まれつき……だ。



この『旭光の蒼星眼』。


この聖者の青き眼光は、自分では抗い得ずに得た血の秘宝…というわけだ。


「はは…そうか、ぜんぶ親のせいだ。母親の血のせいなんだ」


彼は、自分の左目を覆うように触れる。“時の繭”の中の16歳の彼の瞳もまた朝の光を受け、青白く灯っている。


「そのとおりだ。ぜんぶ、お前の生みの親のせいだ。父親のエクトラスが彼女を愛し、母親のミューフィが彼を愛したせいだ。
お前の目は、母親に似てしまった。
そして、彼女が憂いていたとおりになった」


「父親は? 護り切るなんて約束しておいて、結局できなかったんだ」


「…それは後日の話だ。ここでは、なんとも言えない」


「今の俺が、証拠だろ!!」


「焦るな。話は私たちが考えるより、ずっと複雑なものなのかもしれない…」



アタールは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに顔を上げると、2人の弟子に言った。




「もう少し過去に…時を遡れるか、試そう」



 *




神天星暦2933年12月某日。




ミューフィ・ルーサ・オルト・ホロヴィルは、この島の正神殿、オルト神殿の神官であった。

神殿の書庫に向かうと、いつものように彼が書架の前で、書物を漁っていた。
彼女は彼の読書する知性的な横顔に見惚れながら、そっと声をかけた。


「…バイモの花をご存じですか?」


彼は本からパッと顔を上げ、いとけない笑顔を浮かべた。


「下を向いて咲く百合のような小さな花だろう? ここでよく見かける、可愛らしい花だ」


「そうです。原産はずっと東の大陸のヴュチ国ということですが、この島では気候が合うのか一年中咲き、“島の花”となっています」


「その花が、どうしたの?」


「バイモの花には、神が宿るとされていて、これを押花にして栞のように書物に挟んでおくと、学問が身につき、秘めた才能が開花するのです」


「そうなんだ。僕も試したいな」


「私は聖典に挟んでおりましたので、『神力』が開花いたしました」


「『神力』?」


ミューフィは頷き、彼の手を握った。
しばらくじっと目を閉じて、眉間を絞っていたが、やがてぽつぽつと語り始めた。


「あなたは…大陸の、聖なる家系に連なる方ですね? あなたはこの2年余りの間…何もご自分のことを話して下さいませんでしたが、何か理由があるのでしょう…。
私の『神力』での見立てでは、“あなた自身”ではなく、“あなたの子”があなたの生家の家督を継ぎます。何があろうと“必ず”です。そして、未だかつてないほどの隆盛を築くでしょう。
しかし、それまでの道のりはとても険しく辛いもののようです」


「…『神力』とは、占いの力?」


「似て非なるものですが、そう捉えられても間違いではないでしょう」


ミューフィは、昼を過ぎて今は青く光らない夜のような漆黒の大きな瞳を閉じた。
そして、その痩身には不釣り合いなほど骨太な彼の手をゆっくりと放す。

元々直感力のある彼女だが、どうやら相手の「手を握ること」で発揮される力のようだった。


エクトラスは、今朝方きれいに剃り上げた顎をひと撫ですると、床に片膝をつき、真っ直ぐに彼女の目を見つめた。


「君と結婚したい」


彼が差し出したのは、細い小枝をしならせて作った指輪で、緑味を帯びた白いバイモの小さな花を茎で絡ませてあった。


「……これは?」


「婚約のしるしだ。この花には『謙虚な心』という意味もあるのだろう? 今の僕の気持ちだ」


そう言って、彼女の柔らかな左薬指にそれを優しく差し入れる。


「ぴったりですわ…計ったよう」


「僕の才能の1つだ」


エクトラスは徐に立ち上がって微笑み、彼女を抱き寄せる。


このとき、エクトラスは22歳。
ミューフィは21歳。
婚約するのに、早すぎる歳ではない。



しかし、ミューフィは神殿の神官であり、結婚するためにはその地位を返上する必要があった。



「君と僕の子が、僕の生家であるアペル家を高みへと導く…なんて素晴らしい未来だろう」


「でも、その子は…きっと大きな苦労を味わいます。私は我が子が苦しむ姿など見たくない」


「大丈夫さ、僕も助ける」


「…エクトラスさま…私が1番気になっていることは、“あなたの子”の未来は見えるのですが、“あなた自身”の未来が見えない、ということです」


「ははは。気にしすぎだよ、ミュー。僕のことが心配? 可愛いね」


彼の軽口を無視し、ミューフィは続ける。


「…では、婚約の前に一つだけ。これにお応えいただけなければ、婚約はいたしません」


「なんだい?」


甘ったるい蜂蜜のような視線で彼女を捉えながら、エクトラスは聞き返す。



「あなたは、なぜここから聖地メーダに向かわないのですか? 行き先だったはずでしょう? 教えてください」


「…はは、今更その理由が知りたい?」



彼は彼女から視線を逸らすと、身体を離し、今までの陽気な彼らしくなく、自嘲気味に言った。




「僕はね……。逃亡者なんだ」




その栗色の瞳に、陰が籠った。




バイモの花《イメージ》








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