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1番目アタール、アタール・プリジオス(19)吃音



 *



夜明けの光が、カーテンの隙間から差し込む。


真っ黒な東の空に滲んだ白い絵の具が水に溶けてどんどん広がって、太陽の無限の色が究極の青みへと向かっていく…。


パルムはアリエルの目蓋にそっと触れる。


薄い皮膚を透かして、瞳に青白い光が灯っていた。



「アーリェ…き、きれ、い、だよ。す、てき…だよ」


うっすらと目蓋を開けると、青い光が漏れる。
目の周りに光輪が生じる。神秘な瞳が静かに大きく彼を見つめた。


「パルム、さ…ん、なに?」


アリエルの問いかけには答えず、彼はただ微笑んだ。アリエルは枕の上で首を傾げる。



先に答えたのは、別の存在だった。


「……目が光っている、気をつけよ」


「あぁ……ほんと面倒臭いね。ははは」


『幽体』のアタールの指摘を受けて、アリエルは笑いながら起き上がり、後で朝食を持ってきてとパルムに頼んだ。


準司祭にこの特殊眼のことを知られるのはまずかった。




午後、ロエーヌが出立を提案すると、アタールが「待て」と制止した。


「どうかされましたか?」


「…星の動きから、もう一晩逗留せよとの指摘があった。何か、今後における重要な鍵が見つかるようだ」


「鍵ねえ…」


2人の会話の横で、アリエルは吐き捨てるように呟いた。


アリエルは、パルムの子どもの頃の拾得物である“手帳”を何となく触っていた。
現在はパルムの物ではあるが、その分厚い本のような黒い表紙のそれは、元はアリエルの父エクトラスの持ち物である。
アリエルにしてみれば、父の形見といっても良いし、自分の物だと主張しても良いだろう。
だが、アリエルは何も言わず、それをパルムに託したまま、時間があるときだけぱらぱらとめくってみたりして、借りているという体を保っていた。


「アリエルさん、その手帳に何かあなたの気になる言葉などはありませんでしたか? あなたに宛てた伝言文以外に…」


「べつに、無いね。聖典の内容しか書いてないよ…ゼルゼ語でね。時々パナーゼ語、アルアゼ語とかも出てくるけど…なんか金銭交渉してるみたいな」


「金銭交渉? 何のですか?」


「…たぶん、通訳と翻訳料みたいな」



アリエルが首を傾げながら言うのを聞いた、天才占星天文学者がふと呟く。


「もしかしたら、通訳業で、日銭を稼いでいたのかもしれぬな…聖地であれば様々な国の人間が集まるゆえ、それなりに稼げた可能性はある」


「なるほど。エクトラス様は聖地に向かわれて、そこで食べる為の金銭のやり取りをしていたということですね」


「恐らく…自分より、自分の赤ん坊の為にな。ほかには、何か気になることはないか?」



「…べつに」



アリエルは手帳から目を逸らし、机の上に放り出すように置いた。



「ならばいいが、もし後でも何か気づいたときは私かロエーヌに伝えよ」


「はいはい、分かりましたよ」


彼は下唇を顎と共に突き出して言った。
アタールが自分の為に言っていることだと分かっていても強要されるのは気に入らなかった。



「では、とりあえず…遊び程度に、今日は剣を振ってみますか?」


ロエーヌに提案されて、アリエルは渋々と頷いた。
剣と言っても、聖剣士の扱うような長剣ではなく、接近戦で有効な短剣を振るう稽古だった。
荷物の中から、鞘に納まった短剣を1本取り出し、ロエーヌは義弟アリエル・オットーに手渡した。2本目は自分で所持する。

教会の前庭には、村の12、3歳の少年たち数人が布球を投げ合って遊んでいる。
その隅っこで短剣の鞘は抜かず、構え方や基本的な動きを手取り足取りロエーヌがアリエルに指導する。


「やはり、筋が宜しいですね。身のこなしが軽く、とても敏捷ですし…短剣を扱うのに向いています。直感も優れているのでしょうね」


とても初めて短剣を持つとは思えないくらい、アリエルはすぐにコツを覚えた。むろん、基礎の基礎ではあるが、初日にしては、上出来すぎるくらいだった。




時間はあっという間に過ぎていく。




夕刻になり、散歩に出ていたパルムが、教会のほうに戻ってきた。
短剣の鍛練を続けていた姉弟に向かって、パルムは笑顔で手を振る。



「ア、アーリェ! ロ、ロエーヌ、さん! た、た、ただ、い、た、ただい、ま、ま!」




すると、それを聞いた球遊びをしていた少年たちがゲラゲラと笑い出した。



「ひでえわ、ひでえ、どもりや! やい、どもり男、もっとなんか言え、ちゃんと喋れよ!」



やんやとパルムを囲って、大笑いしながら、指を差してからかう。
大男は、しゅんと悲しそうな顔になり、小さくつぶらな目をぱちぱちさせて俯いた。


「おい、なんか言えよー、どもり!」


1番身体の大きな少年が一歩前に出て、パルムに肉迫する。




もう、見ていられない…。




アリエルは、しばらく様子を見ていたが2人のほうに駆け出して、少年に怒鳴った。


「…お前、この人がどもってるからって、何なんだよ! 関係ないだろ! この人を馬鹿にするな! 構ってくるんじゃねーよ!」


アリエルはその少年とパルムとの狭い間に入り込み、パルムを庇うように腕を肩の高さに伸ばして立ちはだかる。


「なんだ、よそ者め!」

「しつこいんだよ、糞ガキが!」

「なんだと!!」


大柄な少年は、アリエルよりも年は下のようだが、体格は明らかに上だ。
力技なら恐らく勝てないだろう。

だが、負けるとは思わなかった。
動きは鈍そうだったので、簡単に上を取れると思った。


腕を取って、締め上げてやる!


「だ、だ、だめだ、よ! や、やめ、やめて!」


パルムが慌てて、仲裁に入ろうとした。




ちょうどそのときだ。


大柄な少年が殴りかかってきて、その拳がパルムの顔面を捉えてしまった。

強かに殴打されたパルムは、その打撃と衝撃で鼻血を撒き散らしながら…。



横に傾き、ドウッと地面に土煙を上げて倒れてしまった。











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