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1番目アタール、アタール・プリジオス(2) 幽体


 *


「本当の姿?」

人語を話す『水晶玉』は、得意げにきらきらと虹色に輝いた。


そうだ。
この姿は、私が人の姿を棄てるときに選びしもの。


「人間の姿に、戻れるの?」


むろん、肉体は滅びておるから『幽体』となるがな。


「おばけじゃん!」


言い方に気をつけよ。


水晶玉は少し怒ったようだった。
夜闇のように暗くなった水晶玉に、レミールは恐る恐る触れる。
すると、今度は思い切りビカーッと強烈な光を発して、新たな自分の後継者を諫める。


触れるでない!

…いま、見せてやろう!



「うわー!! もう、何なんだよ、あんた! 変な物体だなー!」



レミールは腕で自分の目を覆って、光を避ける。そうしないと、眼球が焼けそうだ。

水晶玉は、ひとしきり光った。
強弱をつけながら、時に波打つようにうねり、透明な玉の中を光る蝶がクルクルと烈しく駆け巡るように光る。


それが、不意に終わったかと思うと…。



「終わったぞ、我が弟子よ」



声は頭の中ではなく、肉声のように鼓膜を震わせた。


快活な若者、いや少年のような声がした。


「…え? あんたが1番目? アタール・プリジオス?」


「そうだ」


アタール・プリジオスは胸を張って、偉そうに腰に手をやる。



「ガキじゃん!」



「黙れ、レミエラス。私は、今より500年も前に占星天文学者として名を馳せた天才、アタール・プリジオス博士だぞ」


「…自分で『天才』とか言う? 落ちこぼれの言う台詞じゃんか。しかも、500年前って、あんたの身分を証明してくれる人、みんな死んでんじゃん! そんなの誰が信じるんだよ。馬鹿じゃねぇの! あー、期待した俺が馬鹿だった!」

言うだけ言って、天井を仰いだレミール・マジガに『天才』は憤然と叫んだ。


「話の出鼻を挫くな! 信じなくても良いから、少し黙って、私の話を聞け!」


よく見ると、アタール・プリジオスの身体は透けていた。確かに実体はないようだ。

だが、霊魂の熱気の塊『幽体』としてレミールの肉眼で識別でき、また声も喉と舌が織りなす“肉声”に近い音となって響く。


「今後、お前は私の198人目の弟子として動くのだ…みっちり仕込んでやるから、そのつもりでおれ!」


「なんか、騙された気がすんだけど」


言いながらレミールは自分と年格好のさほど変わらない500年前の天才、占星天文学者アタール・プリジオスをつまらなそうに見遣って、頭をかりかりと掻く。


「悪いようにはしないから安心せよ。私は自分の弟子は何があっても必ず護るゆえ」


博士は、得意気に微笑む。


「…本当かよ。信じられないね」


レミールがぽつりと呟いたとき、玄関の戸をドンドンドンと強く叩く音がした。近所のパン職人で先代アタールの占いを信仰していたバクロワスだ。ひどく焦っている。


「アタール様! 役人が来ています! いったんお逃げ下さい!」


「役人? なにやらかしたんだ、あの爺さん。まずいな…」


「モーロは金品を受け取って、占いをしていた。この街では禁止されている。それを密告した者がいて、捕まえに来たのだ。レミエラス、北の方角に逃げるぞ」


天才占星天文学者が説明してくれる。


「そうなの? 占いって、この街じゃ禁止の稼業だったの? 犯罪なの?」


「アタール様、急いで!」



バクロワスは遂には力づくで玄関扉を押し開けて入り、ぐるりと部屋を見回す。
しかし、彼の知るアタールはもうこの部屋にはいない。いるのは、その弟子のレミールという新米と『幽体』だけだ。


「アタール様は、どこだ?」


「師匠なら、もう逃げましたよ。弟子の俺を捨て、何処か知らない場所へ」


「そうか。それなら良かった…」


バクロワスは険しい表情をして、息を吐き出した。筋骨隆々とした40代くらいの大柄な男で占いなんか信じなさそうな面構えであるにも関わらず、夕方仕事終わりによく1人で訪ねてきていた。どんな話をしていたのかは知らないが、先代アタールをとても慕っていたようで銀貨のほかに、売れ残ったパンやケーキをたくさん差し入れてくれた。
お陰で、先代もレミールも食べ物に困ることはなかった。


「お前は、どうするんだ? お前も逃げたほうがいいんじゃないのか」


大男に言われ、レミールは答える。


「逃げますよ。東へ…言わないで下さいね」


「恩人の弟子だ。言わないさ」


「それはどうも。じゃ、さよなら」


レミールは裏口のほうへ、何も持たずに歩いていく。


「こら、レミエラス。巻物を忘れるな!」


「おっと。あれ、やっぱり必要?」


「当たり前だ!」


「ごめん、ごめん」


アタール・プリジオスが呆れたように、新しい弟子の背中を見つめるのを、当の弟子は平然と受け流す。


「お前、さっきから誰かと話してるみたいなデカい独り言だな」

首を傾げているバクロワスの言葉に、

「…あんたって、俺にしか見えないの?」

レミールは、小声で天才博士に訊く。

「当然だ。巻物に名前を記した者だけにしか見えぬようになっておる」


「ふーん」


レミールは、机に置いた巻物を手に持ち、再び裏口へと向かう。


「知らせてくれて有難う…まさかとは思うけど、あんたが役人を呼んだわけじゃないよな?」


裏口の戸の取手を掴んだレミールは振り返りもせず、パン職人の男に言い、そのまま何の躊躇いもなく外へと出て行った。






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