ワイドってなんでショー
ワイドショーで思い出すのは、サッチーミッチー騒動。サッチーこと野村沙知代さんと、ミッチーこと浅香光代さんの罵りあいのことだ。あれは20年以上前、僕が大学生ぐらいだったかな。いい大人が公共の電波を使って相手の悪口を言って、それを囃し立てる芸能レポーターの姿を見ながら、「くだらないなあ」という感情をかみしめていた。
たしか、この二人は元々ケンカをしていて、最終的にサッチーがコロンビア大学を出たというのが学歴詐称だったとか、そんな話だった。なんか、そんな論争を1年ぐらいやっていた気がする。当時はネットが無かったから、1つの事実に対して、ワイドショーが角度を変えて何度も同じ話をしていて、ひとつのネタでダラダラと盛り上がっていた気がする。
ところが今はどうですか。ダウンタウンの松ちゃんにオリラジのあっちゃんが噛みついた、と。。。それにこの人がこんな意見をいったとか、ヤフーニュースのコメントにはこんなことが書いてあるだとか。不倫、暴力、借金、確執、失言、詐欺・・・。誰かの不祥事が、毎日のようにネットに挙げられて、それに対して誰かがもっともらしく解説をして、その人が行った不義理を糾弾する世の中。毎日、小さな画面でワイドショーを見せられている。
そう思うと、ネットが無ければ世の中はずいぶん牧歌的なものだ。たしか20年前は、何か意見をいいたければ番組に向けてFAXやハガキを送っていた。読まれるのは、そのうちの何人かであり、視聴者の意見というのは参考程度であって、「世論」をつくっているのは、テレビや雑誌の中にいるレポーターや著名人たちだったのだ。
ところが今は、ネット民が世論をつくっている。なんかこう、エサに群がるネズミの大群のように、負のコメントが集まってくる。それを毎日見せられていて、トイレの便器にまたがって、誰かの不祥事に同情のような諦めのような感情を向けながら、自分の尻を拭いている。
なんかこう、何なんですかね。神田うのと美川憲一が、頭にサングラスかけながら、ダラダラと文句を言っていた時代のほうが輝いて見えるのは、やっぱりおかしいんですかね。
こんな時、ひとりで山にキャンプに行ったりするのは、良い気分転換になりそうだけど。でもそれを調べるのに、またYou tubeのひとりキャンパーをみて疑似体験しちゃうのは、本末転倒にも程があると思うのだけど。サウナでととのいたくて、ととのう状態をネットで検索している時点で、もう、ととのい方を忘れている気がするのだけど。
そういった情報に操られて疲れないように。もう今日は友達と飲みにでも行ってきますね。そうだ、それがいいね。生身の人間と相対しているときは、ネットでは無くてリアルだもんね。話している最中にスマホいじったりしないようにしますね。。
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