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1億総ワイプ芸人。

かつて「21エもん」という、藤子不二雄のマンガの世界では、小学生は、家の立体テレビで学校の授業を受けていた。

『藤子・F・不二雄大全集 21エモン』(2010, p. 33)小学館より

原典は1968年だというから驚きだ。実際の2023年は、立体テレビではないが、仮想空間やVRによって、似たような世界が構築されている。そしてテープではなく、クラウド上に映像データがたまっており、それをユーチューブという謎のサービスによって、日本だけではなく世界中の人が無料で共有している、といっても55年前の人には、何のことか分からないだろう。

藤子不二雄マンガというのは、未来の便利なツールには夢があるが、実際は人間の使い方によって、ただの怠け者を生み出している、というシビアなオチを突き付けてくる。便利な道具というのは、壮大なる怠け者創出ツールであり、ニンゲンにサボる隙を与えるというのだ。

だからこの漫画が指摘している通り、バーチャルな映像によるコミュニケーションというのは、どうしてもサボりを生んでしまうのだ。そこにリアルな人間がいることの緊張感とは、わけが違う。

私がリモート会議が好きになれないのは、この理由によるものだ。どうしても、そこに嘘があるように思ってしまう。バラエティ番組のワイプ芸人よろしく、画面上に映る自分をチェックしながら、もっともらしく頷いている自分を演出してしまう。

僕は、ダウンタウン世代で松ちゃんの大ファンであるが、水ダウとかクレイジージャーニーを見すぎると、リモート会議で映る自分の表情が、松ちゃんに寄せているなあ、と思って笑いそうになってしまう時がある。眉間にしわをよせて、もっともらしく考え込む感じが、似てしまうのだ。


どうなんですかね。これ。たしかに移動時間や余計な緊張感を省くメリットは大きいですよ。これによって「仕事」として段取りを擦り合わせるという意味で、リモート会議の意義は大きい。実際、リモート会議はラクである。そこには人間関係の構築という意味合いは薄れて、仕事としての予算、スケジュール、目的、ステップの整理という意味では、ずいぶん効率化されている。

でもなあ。。。たとえば、昨日のリモート会議では、僕は取引先にちょっと怒ったんだけどね。先方の提案内容が、全然こちら側の企業風土に合ってないのよ。一回でもウチの事務所に来たことがあれば、どんな会社なのか分かるだろうし、それによって提案内容も違ってたはずなのに。

「便利」って難しいですよね。煩わしいものを排除しても、結局本質的に大事なのって、やっぱり煩わしいものを超えた先にあるわけで。単にそれを省けばいいって話にはならないんですよね。便利によって怠惰になっていく現代人。藤子不二雄先生がこんな未来をみたら、最後にどんなオチをつけるんだろう。


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