見出し画像

ハッピーバースデーは、誕生してくれたことを祝う日です。

誕生日おめでとう。といわれて、ありがとうと返す。不思議なものだ。年をとることが、そんなにおめでたいのか。子供の頃ならわかるが、この年になって、しかも46歳という、特に何のひっかかりもない数字の年齢になって、「おめでたさ」を感じるのは、不自然な気がする。

46歳と聞いてパッと浮かんだのは、田中邦衛さんである。特に調べてないいが、「北の国から」の邦衛さんは、なんとなく46歳って感じがする。芸能人は若く見えるからまだしも、サラリーマンの46歳っていったら、ものすごいオジサンで、朝からトイレで新聞を読んで、ものすごく臭いモノを出しているイメージがある。

そんな46歳を迎える上で、今日は朝から、毎年祝ってくれる人からくるコメントを予想して身構えている自分がいる。もちろん嬉しいが、急にコメントが来たりすると焦るので用心が必要である。

昔、mixiが流行った時、今日は〇〇さんの誕生日です、と表示されるのをみて、これは困ったなと思ったものだ。100人の友達がいたとしたら、3日にいっぺん誰かにおめでとうと言わなくてはいけないのかと絶望した気がする。「誕生日おめでとう!」の後に気の利いた一言を添えるセンスを試されているみたいでハードルが上がるじゃないか。

そもそも、私が子供の頃は、誕生日というのはそこまで大きなイベントでは無かった気がするのだが。中高生ぐらいの、彼氏彼女を意識するような世代になって、急にプレゼントとか手紙とか贈るようになり、戸惑ったものだ。

こうゆうのは、だいたい女子が好きな事だし、女子が好きな事というのは、だいたい好きじゃない。なんかこう、よくわからない。娘6歳は、ほとんど毎日のように私に何か書いたり折ったりしてプレゼントしてくれるが、そのほとんどの意味は不明だ。もちろん、娘だからプレゼントは全てうれしいのだが、意味性という部分では、いつも私の頭に「?」が浮かんでいる。

そうはいうものの、自分に馴染んだ番号の並びの日を迎えるのは、テンションが上がるものだ。人から祝われるかどうかは置いておいて、自分の中では、「今日俺、誕生日なんだよね」って言いたい気分ではある。なんかこう、特別な日を迎えているというオーラに包まれる。少々の雨なら吹き飛ばしてしまいそうである。そんなわけないが。

そして46歳という数字は、実はなんだか嬉しい。不思議なものだが、学年が上がるような気持ちがする。35-45歳というミドルエッジから、46-55歳という「収穫期の入り口」に入る感じがするのだ。夏から秋にかけて、ちょっと涼しくなってきた頃なのだろうか。これから人生の実りが始まるのである。また一つ上のステージから、人生を楽しんでみたいと思っている。それにしても、ここまで元気に生きてきたんだから、それだけでも感謝というものだ。

だからこそ、なのか。今日については、自分の誕生日を覚えてくれて、それについてコメントしてくれることが嬉しくもある。ここまでの年月と、自分の存在を肯定してくれているような感覚。いるだけで嬉しい、当たり前のように存在している著名人の訃報を、突然きくような日々を送っていると、元気でいることが、ありがたい、文字通り「有難い」と感じるのである。

つまり誕生日というのは、年齢を重ねたことを祝うものではない。本当は、「誕生したこと」を祝っているのである。みんなは「君がこの世界に誕生してくれて、うれしいよ、ありがとう!」と言ってくれているのだ。自分でも、自分に言ってあげているのだ。「誕生してから46年間もよくがんばったな」と。色んな事が起きる世の中で、46年も元気に生き抜いて、それだけでほんとうに奇跡だよ、今日は素晴らしい1日を過ごしてね、と。

それを、形だけみて、「誕生日おめでとう」の後に添える一言で悩んだりするなんて、昔の俺というのは、ずいぶんお馬鹿さんでした。でも、正直言って今でも、人から温かい言葉をかけてもらったときに返す言葉って、なんか気恥ずかしくて苦手ですが。でも人の親になって、こうして生きているだけで、それが誰かの支えになるっていうことも分かったから、やっぱりそれは素直に受け取るべきだと思うんです。

というわけで、もしも同じ誕生日のひとがこの記事を見ていたら、この世に生まれてきて、色んなことありましたけど、でも本当にあなたがいてくれてよかったよ、今日は本当におめでとうございます、と言わせてもらいますね。同い年の方、残りの人生、90歳まで折り返し地点ですね。一体何歳まで、いつまで働くんでしょうね。もう早くFIREして現役を退いて、、、なんてネガティブなお話は今日はやめておきましょう。良い一日を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?