大学生も折り返し。私は一体何をやっていたのか。
大学2年の後期が始まってから、早くも2か月が経過した。
私の住む地域は、11月にしては暑かった。
どんだけ熱量あるの!!
太陽の光が私の気持ちの良い昼寝をアシストしてくれた。
束の間の休息がずっと続けばいいのに。
おっと
寝すぎたかな。
今は大学の課題に追われている。任天堂のゲームのようなあからさまな楽しさはないけれど、課題を達成した時の、喉に詰まった飴が取れたような感覚を楽しんでいる。
どんな課題をやっていたかは全く思い出せないし、何か身になったと感じるわけでもない。
ただただ、大学という枠内で、求めらることを、それとなくこなすことに追われて、もう折り返しの地点まで来てしまった。
心の中では、まだ大学受験の挫折が渦巻いており、その焦りと、将来の漠然とした不安が今日も相変わらず胸の中に充満している。
精神衛生の良くない2年間、ほんとうにこんな時間の過ごし方、命の使い方でいいのだろうか?
焦って、自己啓発本の1ページをめくり続ける。
書店にある本全て読んだ暁には、秀才になれるのかな。
私たちはもう、親世代のような決められたレールの上を歩いていればOK!
な時代ではないらしい。
確かにそうだと思う。社会が成熟してしまっている。
生きる上で、この上ない恵まれた環境に置かれている故、その有難さをふと忘れてしまう。
親世代のように、ギラギラした野望や欲望がある若者を見かけないし、自身も消えかけそうなマッチの火だと感じる。
生まれた時点でゴールであり、欲望を満たしてしまっているから、貪欲さがない。
あるのは、失う恐怖だけ。リスクとって、失敗するくらいなら、この生活で十分幸せである。
世の中は騒がしい。耳をふさいで、死ぬときまで、問題から目を背けたら、楽でいいじゃないか。
本音と建て前。私はどこに向かえばいいのだろうか?
父親は家庭を築き、私を最後まで育て上げた、実に立派だ。
父親が生き方を指し示してくれるわけではない。とても自由だけれど、その分孤独でもある。
サウナに行けば、こんな悩みも一瞬で吹き飛ぶことは分かってる。
あぁー疲れてたんだなって。でもまた悶々とした感情が湧き出てくる。
自分の心の声をかき消すのは難しい。自分にしか聞こえず、自分にしか納得のいく行動であったり、言い訳を用意してあげないと。正気じゃなくなる。
日本に生まれてよかった。斜陽していく社会で、私はどんな価値を提供できるだろうか?分からない。分からない。
苦痛である。遊んだって空虚感が残る。もう大学生らしい遊びをしたいと思えない。
光がみたい。まばゆい光が。とてつもなくまぶしくて、目を覆わずにはいられないような。
気分が落ち込んでしまう。。
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