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誰かになりたいようで、きっと誰にもなりたくない

最近、人から質問された時に、すぐに答えることが難しくなった。
「どんな人に憧れる?」こういう質問もそうだ。

私はどんな人になりたいんだろう。
誰にでもなりたくて、誰にもなりたくないというのが1番近い答えなのかもしれない。

3ヶ月前のnoteの投稿では繊細な自分を大切にしたい。と叩いておきながら、あれからの私、というか今までの私、全部他人軸でしかなかったようだった。

崖っぷち毎日。うまく話そうとして、話題が出せない。
好かれようとして、友達と会うのにも緊張して
わざと自分を弱く見せたり、強そうに見せたり。
恋人の「女の子らしい子が好き」って言葉に翻弄されて、仕草や言葉に気を遣ったり。本当は自分のこと女の子らしいとか思ったことないのに。

私の本心、野望まみれで、
きっと全人類に好かれようとでも思っているんだと思う。
だから私のなりたい姿もコロコロ変わる。

芯をもって真っ直ぐ生きたいと思ったり、でも頭の硬い人では終わりたくなくて、ひょうきんな人にもなりたい。でも守ってあげたくなるような愛嬌も欲しいなって。
自分にとってのなりたい姿じゃなくて、周りから見られたい姿ばっか想像して生きてるんだから、そりゃ質問にも答えられなくなるわけで。
20代にもなって、これは大問題だと思う。


家では怠け者で有名な私が、外ではたくさんの夢を語る。
中途半端に真面目で、中途半端に要領の悪い私だから、オチのある話も、知識のある会話もできない。そんな自分に自信をなくしながら、楽な方へ楽な方へと生きてた。
だから壁にぶつかった時、乗り越える強さがなくて涙が止まらなくなる。迷った時にも、無意識に周りの反応を伺って正解を探してしまう。
でもそういう時に周りの人が優しい言葉をかけてくれたりして、心が痛い。

けどこんなに長い間他人軸で生きてきたんだから、
自分軸には簡単になれない。
大事なのは、他人軸でもなんでも、自分がやると決めたことに覚悟を持つこと。無理せず努力すること。毎日を楽しむこと。
深く考えてしまうことには心のシャッターを下ろすこと。


20代の過ごし方で、その先の人生は決まるという。
周りの人と生まれた差は、簡単には埋まらないという。
他人軸ばかりで自分の本当にやりたいことすら中々見つけ出せないけれど、
不器用なりに、一歩ずつ生きていけたらいいのかなと思いつつ、
またきっと何度でも不安になり、自己嫌悪になり、自分を奮い立たせる日も来るんだろう。

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