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先住民族としての行い~村上春樹読者と知り合った時のリアクション芸

本日BGMは小澤征爾。先日亡くなられてしまいました。村上春樹が追悼文を寄稿し、その中で「夜明け前の同僚」と語られていました。ご冥福をお祈りします。

村上春樹宣教師となって、20年以上。今日は村上春樹の読者と知り合ったときのリアクションについて書いてみようと思う。

まず、村上春樹を「1冊読んだ!」と興奮気味に語って来る人にあった場合だが、この層は、とにかく褒める事に重点を置いている。「おお!何読んだ?」「凄いねー」「趣味いいね」「最後まで頑張ったね!」という具合である。何故そうするかという事だけど、1冊読んだことを興奮気味に語ってくる、ということは、村上春樹に限らす本を読む習慣がないと思われる。で、あたしが村上春樹が好きだという情報を予め知ってて、報告したい!ってテンションになってるって事だと思う。だから、とにかく褒めて、読書が楽しい物だとインプットしてもらって、村上春樹に限らず、読書を続けて貰えるように、達成感を一緒に喜ぶように気をつけている。もちろん「どうだった?」と聞くけど、これの返答は、ただひたすら彼(彼女)の話を聞くことに徹するよう心がけている。言葉を繋ぐワードは会話に挟むけど、絶対にマウントを取らないように細心の注意を払う。読者体験をあんまりしていない人を沼らせるには、自分で発見する楽しさを味わうことが何よりも必要な要素だと思う。村上春樹の本質は、どんなに頭がいい人であっても、1冊を1周読んだだけでは掴む事はできない。繰り返し読む事でやっと拓けてくる世界だと思う。私は中3の時、人に勧められてダンスダンスダンスを読んだのが初めましてだったけど、正直ストーリーもよくわからなかった。ただかっこいい世界な気がして、リズムに乗って最後まで読んだ、という具合だった。
読者経験は無いわけではなかったけど、夏の読書感想文に太宰の人間失格を読んだくらい。後はエンデとかの児童書とか、ティーンズハート(小林深雪が特に好きだった)、青い鳥文庫(柏葉幸子は全部読んだ)など読みやすい小学校の小さな図書室にある本を端から読んで居た位だった。エンデは小学校の時の同級生の女の子が、お母さんから持たされていて、その子は読まないから私が借りて読んでいた。モモも果てしない物語もその子が貸してくれた。翻訳本だし、そこそこボリュームがあったけど、面白かった。エルマーの冒険もその子が貸してくれた。小学校は寮生活をしていたのだが、その子のお母さんは、よくその子に万年筆でハガキが届いていた。ブルーブラックのインクに初めて出会った。凄くお洒落だと思ったし、色んな保護者から毎日手紙が届いていたけど、そのお母さんに強い憧れを持ったことを覚えている。その寮は漫画が表向き禁止だったのだが、みんな少しづつ密入国させていて、みんなで闇取引(貸し借り)して、みんな漫画に飢えていたので貪欲に読んだ。リアルタイムで連載中だったスラムダンクも、金田一少年の事件簿も男子に借りて、何度も読んだ。漫画のエロ本さえ貪欲に読んだ。まんが道が図書館に数冊だけあって、それもめちゃくちゃ読んだ。その後遺症(漫画欠乏症)で、中学に上がってからは、活字より漫画を読んだ。スラムダンクの連載終了も見届けた。稲中卓球部とか王様はロバとか、ギャグ漫画をいっぱい読んだ。丁度、浅野忠信が主演して、ねじ式の映画がレンタルショップで見れて、つげ義春にもハマった。その流れでガロを知り、魚喃キリコも好きになった。
漫画漬けの中学時代の最後に、村上春樹を勧められて、いわゆる現代文学に初めて触れた。教科書で漱石のこころの一部が乗っていたので、全文を読んだけど、好きじゃなかった。ダンスダンスダンスを読んで面白かったら四部作を読んでみたら?と勧められたので、高校生になっていた私は何が何だか分からなかったけど、四部作を頭から読んだ。ノルウェーの森も読んだ。なんかわかんないけど、オシャレな世界だなあ、という感想だけだった。そんな具合でも何冊も最後まで読ませる村上春樹ってなんかすごいなぁと思って、図書館で村上春樹の蔵書を漁った。「若い読者の為の短編小説案内」という本を見つけて、それに乗っている作品を片っ端から読んた。高校生の時の私は、学校の人間関係も、授業も、年が上がるごとに興味をなくし、授業中は隠しもせず小説を読んでいた。どの先生も諦めていて、漫画じゃなければ怒られなかった。ある意味特待生だ。赤点さえ取らなければ大丈夫だった。数学の先生はみんなに課題を出してから(もちろん私は全無視して課題をやってない)毎回私の席に来て「今日は何読んでるの?」「ふーん、面白い?」と聞いていった。村上春樹だったり、吉行淳之介だったり、誰だったかな、あのどの作品でもずーっと父親の悪口言ってる作家…(それが吉行淳之介だっけ?)、ザクザクと音がするように手に取った本を右から左に読んでいた。翻訳本がどうしても合わず、馬鹿なので英語も読めず、口語文の日本の本ばかり読んだ。実家が裕福ではなかったので、進学する気もさらさらなく、なんの希望も持てず、アルバイトをしまくって、卒業したら実家を出て一人暮らしすることだけを夢見ていた。家では漫画(小林よしのり)を読んで右傾化した。
高校卒業して、初めて住んだのは千駄木の風呂トイレ共同のボロアパートだった。どういうわけか近くの東大専門進学塾に通うことになって、週3回通ったけど、周りの子は桜蔭とかの現役生ばかり。全く授業についていけず、ホワイトボードに書かれる回答をひたすら写す単純作業をした。それでも勉強しなきゃなぁ、と思って、近所の図書館に毎日通った。どうも鴎外の旧家だったようだ。古い建物の上の階に自習室があって、そこに席を確保したものの、勉強の仕方が全く分からず、結局殆ど書架に居た。図書室にしては珍しくいつも大きく窓が開いていて気持ちの良い風が通っていた。鴎外も読んだし、そこで村上春樹をねじまき鳥までガッツリ読んだ。受験勉強は全く進まなかったけれど、村上春樹がやっと掴めたような気がした。半年程そういう生活をして、意味のない進学塾を辞めて、元夫と川崎で同棲生活を始めた。元夫は、史学科に進学していて、司馬遼太郎が腐るほどあったので、順番に読んで行った。

あらあら、大分脱線しとるわ。どうしょもないねー。そんな感じで、村上春樹も最初分からなったっちゅう話ですわ。だから、多分1冊読んだ!って行ってくる層には、ただひたすら褒めて、読者沼にハマらせる手伝いになるように、心がけてる。絶対にマウントを取らないで、発見する悦びを味わって貰うように心がけている。短編の1作を読んだ!と言ってくる層も同じである。

村上春樹を数冊読んだ、もしくは分からないから1冊を繰り返し読んだ、という人には、これは読書体験がそこそこあって、村上春樹が面白いと思っている可能が高いので、何を読んだか聞いて、どういう感想を持ったのか聞くようにしている。村上春樹の本なら、殆どのストーリーが頭に入っているので、うんうんと相槌を打ちながら、読んだ人にしか通じない冗談を言ったりして、同じ世界を知ってる者同士の悦びを分かち合うようにしている。例えば五反田君ごっことか。ダンスダンスダンスを読んだという人に、突然「どうしてキキを殺したんだい?」と無茶ぶりする。読んでセリフを覚えていれば、驚いた顔の後、真剣な眼差しで両手を前に組んで「どうしてキキを殺したのか…。それはとても難しい問題なんだ」と返してくれれば100点である。もちろんこれは、ダンスダンスダンスの中で、僕が五反田君がキキを殺したことをふと悟り、原宿のシェーキーズで質問し、五反田君がその事を告白するシーンである。これが通じればかなり楽しい遊びになる。そんな風に、読んで居なければ分からない特徴的なシーンを再現して、遊ぶ。結構笑えるものである。あっ、読んだ事を分かち合えた、という体験をしてもらう。読んだ本のどこが面白かったか?を聞いて、そこが面白かったのなら、次これ読んでみたら?と次の村上春樹を提案してみる。ねじまき鳥を読んだ人には笠原メイごっことかね。海辺のカフカなら、ナカタさんごっこですねー。分かってる人とやると、結構盛り上がる。正直、内容に関する討論をこの段階の人とやってしまうと、(ごめん)圧勝して、マウント取りになってしまうので、共通の話題があるよー、読んだからこういう遊びが出来て楽しいね!という所で留めるようにしている。

何冊か読んだけど、合わないという人には、何読んで、どこが気に入らなかったか聞く。この層は、読書体験は豊富だけど、村上春樹が好きではないと判断した層だと思う。そういう人には、他に何を読むか聞いて、作家論を話す。きっと推しの作家が居るので、その作家と村上春樹で戦わせて話題を作る。共通点と相違点を洗って、それなら次これ読んでみたら?とあわよくばその人に合いそうな村上春樹の作品を勧めてみる。もちろん嫌がられない程度に。そして、その人の推しの作家のおすすめの作品を聞いて、できるなら借りて読んでみたりする。推しを人に勧めるのは楽しいので、大体ノリノリで勧めてくれる。京極堂とか、谷崎とか、司馬遼太郎もそうだけど、そういう経緯で読んだ作家は結構多い。ガイドが居ると読んでどうだったという話がすぐ出来るので、楽しい。あと、ギブアンドテイクで、あたしが勧められた本を読んだら、相手もなんか読まなきゃ悪いなあという感じで、読んでくれる事が多い気がする。

村上春樹を半分以上読んだ。という人に出会った時、初めて作品について討論する。読書体験も豊富で、村上春樹が好きになってきてる層だ。作品単体の内容で、このシーンは何を意味しているのか?とか、どういう示唆が含まれていると思うのか?とか、具体的に深掘りして話す。例えば、ノルウェーの森のラスト、セックスシーンは必要だったのか?とか、ファンの中で意見が別れるポイントを挙げて、どう思うか聞いたりする。その作品を書いた時、村上春樹がどういう環境だったかとか、どういう背景だったとか、知っている情報を並べたりする。ノルウェーの森だったら「村上春樹は早稲田の一文の演劇選考で、奥さんと学生結婚してて、直子が住んでた国分寺でピーターキャットってジャズバーをやってたんだよ」とか「キスギのモデルの男の子は、四部作の鼠ときっと一緒だよね」とか「村上春樹は風の歌~、ピンボール、羊をめぐる冒険を書いて、ノルウェーの森を間に挟んで、ダンスダンスダンスを書いたみたいだよ。なんで完結したと言われてた三部作にテーマを戻って、ダンスダンスダンスを書いたんだろうね」とか、議題になりそうな背景を話して、お互いの読書体験を話して、経験と見解を共有するようにしている。このあたりから、同じ土俵に立てる気がする。

村上春樹を全部読んだ。凄く好きだ。と言っている人に、私はリアルで1人しか会ったことがない。短大の卒論のゼミの教授で村上春樹を専攻している女性だった。その人はただひたすら、私の話を聞いてくれた。講義でねじまき鳥を解説してたけど、読んだことのない学生にも分かるように講義を進めてくれたいた。私は村上春樹で卒論を提出したのだが、全く書けず、何とか文字を埋めただけだった。やー酷いです。すみません。とゼミで言ったら、「そんなことないよ、書けてるよ」と声を掛けてくれて、単位をくれた。いい先生だった。
この先、村上春樹全部読んでるよ!という人に会うことがあったら、村上春樹論を戦わせてみたい。個々の作品の事ではなく、俯瞰して、村上春樹という作家をどう捉えるか、そういう話をしてみたいな、と思う。同じ現代に生きて、村上春樹が担った社会の役割とか、どういう役回りだよね、とか、そういう話をしてみたいなと思う(誰かお茶でも行きませんか?笑笑)。

最後に、村上春樹を読んだ事ないという人に布教する場合を書いて終わろうと思う。現実このケースが1番多いと思うのだが、何度も布教してみて、私はこういう結論に行き着いた。とにかく、村上春樹のハードルを下げることに注力するという事だ。村上春樹って難しいって思わない?でも全然そんなことないんだよ、という姿勢である。ある時は、村上春樹なんてただのエロ本だよ、と言ってみたりもする。長編読んだら、最低3回は描写の細かいセックスシーンあるし、売買春普通に出てくるし、大麻のキメセクもするよ。って言うとかなり驚かれるが事実なので、動じない。
そして畳み掛けるように、デビュー作で彼女とのHは月7をさらりと明かすし、セフレ有り価値観も、堕胎させちゃったりも、ヤクルトファン友(若い女子、ファンレターきっかけだろ)存在もいるし、なんなら同級生は自死するし、納屋も放火して焼き払うし、セックスの後女の子殺して愛車のトランクにぶっ込んで車ごと東京湾に沈めるし、心臓麻痺に見せかせて連続殺人するし、コーヒーとタバコ代だけで20で17の子とやっちゃうし、双子女子と3pするし、ゴルフ場に不法侵入してロストボール盗むし、飲酒運転も、空き缶の海への投げ捨ても、タバコポイ捨てもするよ。というと、ええーーー!となる。もちろん作品の中のフィクションだけどね、と付け加えるけど、全部事実なので揺るがない。
長編読んだら、1箇所は必ず声出して爆笑するし、リズムに乗れればきっと簡単に最後まで読めるよ、と伝える。そんなもんかねーと騙されてくれれば布教完了である。
村上春樹なんて、初期からのApple信者で、猫好きのおっさんよ。
1冊目に何を勧めるかは、相手による。性別とか、年齢とか、趣味趣向とか…。私と同じ系の音楽(オルタナ系)好きだったら「レディヘ出てくるよー」ってカフカ勧めるし、10代の子にも「主人公15歳だよー」ってカフカ勧めるかな。お笑い好きな人にも、カフカ勧めるかなあ、ナカタさんと野良猫のやり取りは声出して笑うもんね。あれは分かってても爆笑してしまう。私より年齢上(40↑↑↑)だったら、ノルウェの森ブームを知ってるから「あのクリスマスカラーの本だよ」ってノルウェーの森勧めるし、全共闘世代(60↑↑↑)とか左翼の人にも「講堂立てこもりVS機動隊とか出てくるよ」ってノルウェーの森勧めるかな。大学生から20代位が1番難しくて、ここいらはほんと趣味趣向聞いてからだなぁ。
初手でねじまき鳥は勧めない。長すぎるから。でも1回独立して店舗出すって人のはなむけに、ねじまき鳥買って、岡田トオルの叔父だったかな?新店舗の予定の場所にひたすら佇んで、その街の人が何を求めてるか考えるシーンと、アザのできた岡田トオルが新宿の公園にひたすら佇んでるシーンに付箋貼って、あげたことがある。その人は出すお店は決まってて、場所どこにするかまだ決まってなかったから、勧めてみた。読んだか知らんけど。
短編は逆に難しい感じがするから、あんまり勧めない。何人か短編勧めて短編の中の1作2作で終わっちゃった人知ってるもんで…、反省を活かし。
1番面白い本!と言われるのが難しいんだけど(自分の中でのブームがあるから)、そう言われたら、羊を巡る冒険にするかな。村上春樹が初めて書いた物語だと思うから。話の展開も漫画みたいに早いし、物語として凄くよく出来てると思うからかなあ。いっとき、世界の終わりとハードルボイルドワンダーランドにハマってた時は、世界の終わりばっかり勧めてた。セカオワのファン(会ったことない)って分かったら、もちろん世界の終わり勧めるわな、きっとバンド名こっから取ってるんじゃろ?知らんけど。あと騎士団長殺しもあんまり初手には勧めないかな。あれは第3形態というか…スーパーサイヤ人だよね。四部作とノルウェーの森が第1形態。ねじまき鳥クロニクルから1Q84が第2形態。騎士団長殺しから後が第3形態だと思ってる。
正直、布教した人が本当に読んでるかどうかは知らない事が多い。決して強制はしないし、良かったら読んで?と本をあげてしまうことが多い。だから、私は村上春樹全部何回も読んでるけど、手元に文庫本はいつもない。すぐあげちゃうから。読みたくなったら買ってくる。村上春樹に献金できるしいいじゃろ?。布教した人が、読もうと思う瞬間が、明日かもしれないし、5年後かもしれないし、いつでもいいわ、と構えてるから、あげてしまう。良くないかもね。迷惑かもしれないけど、まああげちゃうから許してよ。すぐ読んでくれる人は、読み終わった!って何かしら言ってくるから、そうなったら、その本と交換して、次の本渡すし。民間の村上春樹図書館を営んでおります。ええ。もしくは、村上春樹布教協会。

あらあら、ダラダラとまた6700字になってしもうた。落ちもなんもないわ。
村上春樹を難しい本にしたがる人が正直苦手。村上春樹ほど、リズムと、わかりやすい日本語と、ユーモアもある人って、本当に居ないと思う。村上春樹は芸術だ!っていう人の気持ちも分からないわけじゃない。それこそ読み始めたばっかりの、中学高校時代とか、なんかよくわかんないけど、お洒落!読んでるあたしもイケてる?って感覚あったし。それに乗せられて最初読んでたしね。そういう動機は分からないわけじゃない。でも繰り返し読んで、村上春樹の本質を捉えらえ気になってる私としては、こんなに読みやすい作家まじでいないとおもってる。
村上春樹を難しい本にさせたい人って、村上春樹読んでる自分かっこいい的に酔ってるだけなんじゃないかと思ってしまう。全然本質見えてないきがする。マジでスルメより味わえる。なにオモロで1周、あの展開どうなったっけで2周、あいつか言ってることやった事なんだったので3周、なんだかんだでオモロで4.5周。こんな読みやすい本ない。村上春樹の高尚な部分だけフォーカスする人ってまじで苦手で、一生分かり合えないと思う。こんなにリズミカルで読みやすくて、ユーモアがあって文章だけで爆笑させる作家っていないから!マジでばっかり繰り返すお前の語彙草って感じなんだけど、下手なお笑い見るより本当に笑える。そんでいつの間にか1冊読み終わってる。
村上春樹はもちろん文学だと思うけど、商業小説として面白いと思うし、エンターテインメントとして成り立ってる。それがあるから、多くの人に読まれてるし、そこを入口に深く入り組んでるから、世界中の多くの人に支持されてるんだと思う。7500字に愛をこめて。いつか枯れた井戸の底でお会いしましょう。
最近noteで愛ばっかり込めてるけど、愛込めた方が書いてて楽しいんだよ。何かの推しになった時は、先住民族として、ニューフェイスの良きガイドに成れるよう、自分で発見する楽しさを、変なマウント取りで奪わないよう、細心の注意を払っております。
とりあえず、羊を巡る冒険読んでみない?面白かったら、ダンスダンスダンス読んでみて?まだ次行けそうなら、風の歌を聴け、1973年のピンボールいってみよ!そこまできたら、もうあなたは村上春樹読者です!
最後まで読んでくれてありがとう!

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さてさて、ありがたいことに、この記事が結構読まれ続け、♥もちょくちょく頂いている。
最後に、村上春樹未読の人に、村上春樹をすすめる際に、必ず言っていることを、書いた当時頭から抜けていて、記事になってなかったので、それだけ追記しておこうとおもう。

村上春樹へのハードルを下げる話は上記に書いた。その仕上げとして、必ず言っている事がある。

それは「羨ましい」だ。
なんの事かというと、私は村上春樹を既に体験してしまっている。若い時にそれまで書かれていたものを。カフカからはリアルタイムで、発売されると同時に読んでいる。
それを踏まえて思うことがある。
もし、今の私の年齢で、今の私の社会経験を経た自分が、今から村上春樹を初読する事になったら、何を思うか?という事だ。
読んでしまった経験は消すことができない。読むたびに新しい発見がある事も村上春樹を繰り返し読む魅力であることに変わりは無い。
でも、完全に、なんの知識もなく、村上春樹を今初体験したら、私は何を思うのか?ということに凄く興味がある。
村上春樹を読み始めた学生の頃の自分と、40を過ぎたおばさんでは、経験も、考え方も何もかもが変化している。性根のところは対して変わりはないかもしれない。若い頃に村上春樹に出会ったから、得られたものはたくさんある。たくさんありすぎる。生活の中で凄く助けられている。
だから、若い頃に村上春樹に触れられたことは、私の1つの財産だ。
でも、でもである。もしも、今の自分が、村上春樹を初めて読み、村上春樹作品に出会ったら何を思うのか?それは決してわからない。
初読には初読の価値がある。新しい刺激に出会った時、人間どこかしら変化する。考え方なのか、行動なのか、生き方なのか、歳の取り方なのか、もしくは死に方なのが、それはわからない。でも強く揺さぶれる経験をした時、認識していても、していなくても、それを体験する前と後では何かが変わる。
もし、今の自分が、村上春樹に初めて出会ったら、自分にどんな変化があるのか。既に体験してしまった私にとっては、永久にわからない。知ることより、知らないで居ることのほうが、今の時代難しい。
村上春樹を初めて読む人は、その年齢だからこそ感じる何かがきっとあるはずだ。
それを、これから体験するという事は、私にはもう出来ない。絶対にできない。
だから、村上春樹の初読をこれから体験できるなんて、羨ましい。のである。
村上春樹を読んだ事がない人に対して、村上春樹を勧める時、私は最後に必ず羨ましいという。これから村上春樹の初読を体験出来るなんて、羨ましすぎる、という。
追記した内容を軽く話して、読んだことないってことは、これからそれを体験できるんでしょ?めちゃくちゃ羨ましいよ!という。
できることなら、村上春樹に関する全ての情報を完全に忘れて、今の自分で初読を体験してみたいとさえ思う。でもそれは不可能だ。
だから、羨ましいという。
これから新しく村上春樹を知れるなんて、なんて幸せなんだろうと思う。
村上春樹と出会って来なかったこれまでが、村上春樹を知ることで、何かしら変化が起こる。
読んだ結果、世間から評価されてるけど、つまらなかった、かもしれない。でも、それも1つの大きな変化だ。なんでコレがそんなに世間から評価されるのかわからない。それだって立派な1つの見解だ。
面白いと思ってくれればいいなと思うから、人に勧める。でもそれに対して何を思うかは、相手の自由だ。
私だって、この年齢で、村上春樹を初体験したら、そう思うかもしれない。それでもいい。一旦全てを忘れて、今初読を体験したら、自分はどう思うのか?とても知りたい。強い興味がある。
だから、村上春樹を勧める時、必ず最後に羨ましいという。

それだけ、書くのを忘れていたから、追記して終わろうと思う。1万字になってしまった。
最後まで読んでくれてありがとう!
1万字に愛を込めて。
私も最近小説(?)を書いておりますので、良かったら、プロフから、マガジンを開いて見てください。今まだ完結してないけど、なかなかの出来になってきております(自画自賛しないとやっていけない)。そちらもどうぞよろしゅう頼んます。
2024.4.26追記


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