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北方領土問題を考える。ウクライナ戦で北方領土返還を約束させていれば...

今日もBGMの指定はやめこか。思い浮かばんし。

Twitterで北方領土の話題になった。そこから色々記憶が蘇ってきて、これは?と思うに至った。ウクライナ戦争がウクライナの勝利で終わった場合、岸田はあれだけ持参金を積んでるんだ、何か約束してるんじゃないか...と。

そんなわけて、今日は北方領土問題を正面から考察してみようと思う。
北海道以北、北方領土4島並びに千島列島、樺太の歴史だが、江戸時代以前その支配権は確立していなかったようだ。日本で領土意思がはっきりしてきたのは、伊能忠敬の測量に寄るところが大きいと思うが、伊能忠敬は樺太の測量もしており、地図に残っている。

北蝦夷との記載なので、北海道が蝦夷地だとするとその北ということだろう。樺太が大陸ではなく島だと日本が認識したのも、この伊能忠敬の事前調査だったようだ。この測量が誰にも阻害されることなく完了していることを考えると、当時ロシアの実行支配がなされていなかった、となる。日本人も居住していたようだ。樺太は日露戦争の日本の勝利での終結により、北緯50度以南が日本の領土となったが、第二次世界大戦の敗戦により、全島がロシア領となった。日本人の残留日系人が今も少ないながら存在するようだが、サンフランシスコ平和条約により放棄したので、日本はその主権を主張する事などしていない。千島列島についても同じだ。

北方領土4島に話を戻そう。時は1855年、江戸時代は安政2年、黒船来航の2年後だ。両国は日露親和条約を結び、その時に択捉島の北に国境が出来た。両国が領土を認識するスタートと言っていいだろう。

これは争いの結果ではなく、平和的に決まった物だ。日本が北方領土の主権を主張する根拠になっているだろう。日本はこれ以北の島に主権を主張していいない。
さて、ここからは皆様よく知る所だろう。1945年、日本は大戦に敗戦する。ロシアは当時ソ連の時代だ。ソ連は連合国軍側ではあったが、日ソ中立条約を1941年に結んでおり、日本とソ連が交戦するには至っていない。が、1945年の英米ソのヤルタ協定により、樺太南部及び千島列島の引渡しを引き換えに、米の支援を受けたソ連が日ソ中立条約を破棄し参戦した。1946年まで日ソ中立条約は有効であり、これは国際法上問題である。日本がポツダム宣言を受諾して以降もソ連の侵攻は続き、北方領土4島においても、ポツダム宣言受諾後に侵攻、実行支配を続けている。ソ連が解体した以後もそれは変わっていない。

さて、ロシア側の都合を見てみよう。ロシアの他国への侵攻は、南下政策と呼ばれている。ロシアは不凍港(冬でも凍らず、機能する港)を求めて南下政策をやっていた。それは、ヨーロッパ側でも、極東でも同じだ。ロシアの行動原理の目的は不凍港なのである。これを是非覚えておいて頂きたい。日露戦争に及んだのも、その後の他国への侵攻も、不凍港を求めての事なんだと、理解できるとロシアの姿勢を理解しやすいと思う。

ソチの歴史はよく知らないが、ソチオリンピックの中継を見た時、ソチは不凍港だった。あーロシアは不凍港を手に入れたことを、世界に知らしめたくて、ソチオリンピックをやったのか...と思った。金にならないオリンピック、しかも冬季オリンピック。ロシアにメリットがなければ動かない。不凍港の発表会だったと、考えると、誘致したことを自然に受け入れられた。
軽くWikipediaを読んだけど、なんかまあごたごたの末ここもロシア領になったようだ。

赤がソチ、唯一黒海に面している

あーついにロシアは念願の不凍港を手に入れたのだと思った。だってさ、ロシアの中ではソチって南だよ?冬季オリンピックの開催地として、適切な場所ではないだろ...。

そんなわけで、ロシアは黒海に不凍港を手に入れている。そうすると極東で南下政策を続ける理由がなくなるのだ。極東で不凍港が欲しいとなるともっと南下しなければならない。北海道の苫小牧までくだらないといけないんじゃないか?
一応ウラジオストクとナホトカが不凍港になっているが、機能的とはいえない。

そして、ウクライナの位置はここ。

黒海での覇権を取ろうとしてる、相変わらずの南下政策やな...という感じである。こういう視点に立ってみると、日本の報道では読み解けないロシアの思考が見えてくるのではないだろうか。とにかくロシアは凍らない港、土地が欲しいのだ。そういう行動原理と抑えると、無茶苦茶な侵攻も、あーそういうことね、と見えて来ると思う。

私は司馬遼太郎が好きで、特に坂の上の雲が大好きで、文庫本8冊に及ぶ大作なのだが、面白すぎて5回位通しで読んでいる。明治維新から、日露戦争の終結までを3人(正岡子規・秋山好古・秋山真之)の主人公を通して描かれている。あー明治維新の頃に産まれたかった!!!と思わせる、本当に魅力的な日本人が数多く描かれている。先に述べたロシアの南下政策の目的とか、司馬遼太郎のパクリだ。とにかく不凍港という話題はもうこの作品の中で繰り返し、繰り返し、出てくるから、性根に焼き付いている。
主人公の3人は同じ松山出身で、子規と真之は幼友達である。好古は真之の兄という構成だ。子規は述べる必要がないだろう。上京後、帝国大学(今の東大)に進学し、卒業せず新聞記者になる。上野の近く(今の鶯谷のすぐそば)に居を構え、俳句・短歌の世界を現代に解釈し、作品を残すと共に、野球に興じた姿は有名だ。上野公園の中に「正岡子規記念球場」と看板が掲げられた、素朴なグラウンドがあるので、是非見て欲しい。子規は肺病を患い、元々強くなかった肉体で、長く病床にありながらも生き生きと生きたが、短命に終わった。
好古と真之は実家が裕福ではなかった。その活路を軍に見出す。先に上京した好古は弟のために仕送りすることを松山在住時の幼少期から約束し、師範学校(教員)を経て、陸軍士官学校騎兵課に入学する。真之は子規を追い、大学予備校に進むが、好古の勧めで、海軍兵学校に入学する。坂の上の雲3冊までで子規編が終わるので、そこまでだけでも読んで見てほしい。本当にわくわくするから!
そうやって、好古は日本の騎兵の父となり、真之は日本海軍の大戦略家(参謀)となる。この2人の兄弟の活躍無くして、日露戦争の勝利は有り得なかった。どちらも世界最強と言われていた、ロシアのコサック騎兵隊・バルチック艦隊をそれぞれ撃破することになるのだ。日本は建国したばかりで、良くも悪くも新しい国で、勢いに溢れていた。世界の誰もが日本の敗戦を予想していたのに、ロシアを破るのだ。帝国ロシアは今でいう老害に足を取られ、秋山兄弟の前に倒れることになる。このロシアの不運も坂の上の雲に詳しいので、3巻まで読んで続きが気になれば、最後まで行って欲しい。綱渡りで日本が辛くも勝利する姿が凄く魅力的に描かれている。

話を戻そう。坂の上の雲を読むと、島国の価値感と、大陸の価値観の違いが非常によく分かる。ロシア人の持つ残虐性(政治犯などの罪人を床に置き鉄板を轢いて呻き声の中平気でその上でダンスパーティーして殺しちゃうとかね)も理解が深まる。隙あらば侵略して領土を拡げる、そういう価値観が分かる。

北方領土4島も、そういう価値観の元侵略され、今も実行支配が続いているわけだ。敵を知ることは大事だ。今自分が当たり前に思っている常識が必ずしも、相手が持っている常識と一致するわけではない。どういう国の成り立ちで、どういう価値観の元動いているか、それが体感として分からないと相手の理屈がわからない。北方領土4島を侵攻するに至った思考、ここを抑えないと、相手の痛所は見えてこない。今ちょっと遠回りをして坂の上の雲の話に脱線したが、ちょっとだけでもロシアの行動原理への理解が深まったのではないだろうか?
帝国ロシア→ソビエト連邦→ロシアと革命が起き、支配者は変わっているが、思考という部分だと同じなんじゃないか…と思ったりもする。

さて、日本の主張に戻ろう。外務省のホームページでは、北方領土問題をこう説明している。

「北方領土問題とは?
(1)日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。

(2)しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から遅くとも9月5日までの間に北方四島の全てを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までに全ての日本人を強制退去させました。今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。(詳しくは「北方領土問題の経緯」のページを参照下さい。)

(3)北方領土問題が存在するため、日露間では、戦後70年以上を経たにもかかわらず、いまだ平和条約が締結されていません。」

先に私が説明した通りだ。ちょっと長いけど日本の公式見解なので目を通して欲しい。1855年の日ソ友好条約を根拠に4島での主権を主張している事が分かるだろう。ロシアは北方4島侵攻後、戦略的に移住政策を続け、今では18000人程のロシア人が定住し、日本人が北方4島に入国する為には、パスポートを持ち、
        1)北方領土に居住していた者、その子及び孫並びにそれらの者の配偶者
   2)北方領土返還要求運動関係者
   3)報道関係者
   4)この訪問の目的に資する活動を行う専門家(1998年以降)
に限って訪問が許されている。侵攻から50年だったか、ある写真集を見たのだが、それは侵攻前と今の状態の写真を左右に並べ、比較する物だった。漢字の書かれたキレイな墓石が倒れる朽ちている姿は本当に切なかった。あーここに普通に日本人が暮らしていたのだ、と分かる。あの典型的な日本の墓石だ。オホーツク海での漁師が何年かに1度ロシアに拘束されるニュースは皆さん知っているだろう。ロシアの侵攻後退去を余儀なくされた日本人は北海道のオホーツク海側に移住した人が多く、墓参り訪問がされているとはいえ、自由に訪れることは出来ない。それも戦後50年の頃のテレビ番組で、北方領土4島に住んでいたおじいちゃんおばあちゃんが生きてるうちに帰りたい、パスポートを持って訪問するのではロシアの支配を認めてしまう、若い世代はもっと便利な所へ移住してしまった、自分達の生きてるうちに、と言っている姿が印象的だった。

領土問題は、ふるさととする人が生きてるか、否かが凄く心情的に理解しやすい。日本では70歳以上の人しか、土着、ふるさとという意識がなく、北方4島に住まうロシア人はそこで産まれ、大人になった人がふるさととして認識しているだろう。領土問題が長期間すると、本当に複雑になる。70年てやばいっすわ。

さて本題に入ろう。ウクライナ戦争である。日本はウクライナにじゃぶじゃぶに支援を続けている。国内では、そんな事に使うのなら国内に使え!という世論が強いと思う。私もその立場だ。だが北方領土4島という問題を考えた時に、これはチャンスなんじゃないか?と思えた。

先の大戦で日本が敗戦したことで、千島列島、北方領土4島をロシアに侵攻され、実権を握られている。逆を言えば、ロシアが敗戦国側に回る機会というのは、領土問題を片付けるチャンスである。もし、岸田総理がウクライナの大統領とちゃんと戦争に勝ったら、条約か何かで北方領土4島を完全返還させると約束していたらどうだろう。これワンチャンあるんじゃないか?もししていたら、岸田はとんでもない策士になる。表立って約束しました!って宣言しちゃうとちょっと危うくなるのは分かる。外交とはそういうもんだし、ロシアの根拠のヤルタ協定だって三国の密約である。だから、岸田が独自にウクライナとそういう約束をしていても全然不思議ではない。それほどの策略家であれば、ウクライナにお金を使い何としても勝たせなきゃという姿勢が理解できる。
ねー!誰もそんな事報道してないけとさー!岸田総理、あたしの想像の上を、是非行ってくれ!!!

ワールドカップでロシアと対戦する前に、ロシア人の政治家が、「もし日本が勝ったら1島かえしてやるよ、外交とはそういうもんだ」と言っていたのを私はまだ根に持ってる。日本はロシアにサッカーで勝った。面接としては小さいけど、歯舞群島とりあえず返せや!話はそれからだ!約束守れや!(前過ぎて、ググっても誰だったか見つけられないのだ、多分失脚して、殺され出るかもしれん)ロシアってそういう国だって忘れちゃいけん。マスコミさんもさー、そういう映像ガンガン流して圧力かけろよ。国内での機運も高まるじゃろが。何でこんな叩きがいのある、美味しい話葬り去るんだろうな…。左翼では数字は取れんて、なんだかんだ日本人は日本が好きなんだから、愛国心煽ってもバチは当たらんぞ?

さて、5500文字超えたところで、本日終わりにしょうと思います。岸田さん!!!やったってや!期待してるで!


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