見出し画像

[名作パロディ小説] 『ピヲの恩返し』

 村の外れに住む正直者の雉太(きじた)は、働き者で気が優しく、村人たちから大そう慕われていた。
 酒も賭博も女遊びもしない雉太は、齢40も見えて来る頃だが、気楽で質素な独り暮らしを楽しんでいた。

 それは満月の綺麗な夜のことであった。
 雉太が茶を飲みながら暖炉の前で寛いでいるところに、外から戸を叩く音がした。
 (はて? こんな夜更けに誰であろう?)
 雉太が腰を上げると、戸の向こう側から男とも女とも判別の付かない不思議な声が聞こえた。
「雉太さん。こんな夜更けに申し訳ありません」

 こんな寂しい村で、物騒な事件など滅多に起こることもない。
 雉太はガラガラと引き戸を開けた。
 ……すると……そこには、これまで雉太が見たこともないような『何か』が立っていた。

 はて? こやつは一体何であろう?
 見方によっては絶世の美女にも見えるし、また見方によっては醜悪な怪物にも見える。
 伝説の生き物と言われる龍に見えないこともないし、虎と言えば、虎に見えなくもない。
 ピンクの羽をした鳥にも見えれば、壺や草履の類にも見える。

 こんな夜更けに、何とも不思議な訪問者が来たものだわいと雉太は思い、おずおずとその『何か』に尋ねてみた。
「お前さんはいったいぜんたい……何じゃいな。わしに一体何の用事かのう?」

 すると、その『何か』はこう答えた。
「雉太さん、私のことを覚えていらっしゃらないのですね。ムリもありません。いつぞやは、このような姿ではなかったですから。私は……あの日、あなた様に助けていただいた……ピヲでございます」

「ん? おー、そなたは……」
雉太は思わず感嘆の声を上げた。

 言われてみれば、こやつは正真正銘、どこからどう見ても紛れもないピヲだ!
 そうか。
 いつだか覚えてはいないが、確か海辺で子供たちに虐められていたピヲを助けたことがあった。
 このピヲはあのときの……。

「まあ、お前さんも道中疲れたであろう。何もない家だが入りなさい」
 心優しい雉太は、ピヲを家に招き入れた。
 雉太は今一度、家の中に入って行くピヲの後ろ姿を見やった。
 よく見ると、こやつは近年、滅多にお目にかかれないような見事なピヲだ!

※※※※※

 ピヲが訪ねて来た夜から、雉太はピヲと一緒に暮らし始めた。
 それまで大した人付き合いもしてこなかった雉太の生活は一変した。
 ピヲは文句も言わず、家事の一切を手際よくこなし、夜は仕事から帰って来た雉太の良き話し相手となった。
 雉太は、ピヲとの暮らしが楽しくて仕方なかった。
 村人には、ピヲの存在は言わないでいた。
 村人たちの好奇の目に晒されたり、また子供たちに虐められたりしないとも限らない。
 そう考えると、雉太はピヲのことが不憫に思えるのだった。
 
 ピヲは毎朝、雉太が仕事に出掛ける時間になると決まって、それはそれは見事なピヲを雉太に渡してこう言った。
「雉太さん、このピヲは大そう貴重なものとされています。町でこれらのピヲを売れば、生活の足しになるでしょう」
 毎朝、ピヲはどこで調達してくるのか、必ず見事なピヲを雉太に渡した。
 雉太は、そのようなピヲの心遣いを嬉しくも感じていたが、正直なところ、自分が贅沢をしたいというより、むしろピヲに少しでも良い暮らしをさせてあげたいと願い、仕事帰りに町でピヲを売り歩いてから家に戻って来ることが習慣となっていた。

 ピヲとの楽しい暮らしにすっかり満足していた雉太であったが、1つだけ心配なことがあった。
 ピヲは毎晩、雉太が寝る頃になると、奥の間に閉じこもり、明け方までガタゴトと何やら手作業でもしている様子である。
 そして、ピヲはこう言うのであった。
「雉太さん、お願いです。夜、何が有っても奥の間の戸を開けないでください」
 元来、正直者の雉太なので、これまではピヲとの約束通り、決して奥の間ヲ空けることはなかった。
 しかしながら、最近、雉太はピヲが日に日に痩せゆくようで、そればかりは気がかりであった。

 ある晩、家事をしていたピヲはバッタリと倒れた。
 雉太は真っ青な顔をしてピヲに駆け寄った。
ピヲ。お前は毎日、熱心に家事をしてくれて、私はとても感謝している。しかし、毎晩毎晩、奥の間で働き通しでろくに寝ておらぬようである。わしは、お前の体が心配で心配で仕方がないのじゃ。どうか今日はもう休んでおくれ。わしは何だか最近、悪い予感がしてならないのじゃ」
「雉太さん、私は少し眩暈がしただけ。大したことはありません。では、今日はそろそろ奥の間に失礼いたします」
 その晩、ピヲは早めに奥の間に閉じこもり、それに合わせて雉太も床に就いた。

 明け方のことである。
 雉太が目を醒ますと、すでに奥の間でピヲがガタゴトと作業をしているかのような音が聞こえた。
 昨晩、ピヲが倒れたことを思い出した雉太は、心配のあまり、半分寝ぼけた頭で、ピヲとの約束も忘れ、ついつい奥の間の戸を開けてしまった。

 「ピヲ、こんな朝早くから体は大丈夫なのか……」

 戸を開けた雉太は驚きのあまり、ハッと息を呑んだ。
 そこには、ピヲだけではない、無数のピヲが何やらピヲと思われるような機械とピヲのような材料を使い、ピヲ作りに励んでいたのだ。
 雉太は、もはや目の前のピヲの一体どれがピヲなのか分からなくなり、自分はまだ夢の中から抜け出していないのではないかと、頬を抓った。

 大勢のピヲの中からピヲが悲しそうな目で雉太を見つめ、囁いた。
「ああ、雉太さん。ついに私……いや、私たちの姿を見てしまったのですね。あれほど言ったのに。もはや私は雉太さんの元にはおられません。ピヲに戻らなくてはならないようです」
 雉太は大声で叫んだ。
「何を言っておるのじゃ、ピヲピヲに戻るとは、どういう意味じゃ! わしには、もうピヲなしの生活など考えられん。そんな冗談、言わんでおくれ!」
 ピヲは淡々と続けた。
「いえ、雉太さん、冗談などではありません。昨晩、雉太さんも仰っていたではないですか。何やら悪い予感がすると。どうやら、雉太さんは別れの予感に気付いておられたようです」
「えい! あんな予感、外れてしまえ! これ以上、悲しいことを言わんでおくれ、ピヲ!」
「雉太さん、短い間でしたが、雉太さんと過ごせた日々は、私にとっては夢のようでした。ここに、雉太さんが暫くお仕事をしなくても暮らしていけるだけの十分なピヲがあります。あと、こちらのピヲを雉太さんにお渡しします。これを私だと思って、大切にしてください。そして、このピヲを決して開けてはなりません。では、雉太さん。いつまでも、その優しい心を失くさずにいてください。今まで愛してくれて、ありがとうございました。……そして……さようなら……」

 そう言うと、ピヲの体は段々と霧のように薄くなっていった。
 雉太は、恥も外聞も気にせず、大声で泣き叫んだ。
「待ってくれ、ピヲ! わしを置いていかないでくれ! わしはピヲさえ居てくれたら、何も要らんのじゃ。ピヲさえ居てくれたら、ピヲピヲもなくなって構わない。これからも、いつまでもわしの傍にいてくれ! ピヲに戻るなんて言わないでくれ! 待ってくれ! ピヲー!」

 しかし、雉太の叫びも空しく、やがてピヲの姿はすっかり消えてしまった。
「ああ、わしは何という愚かなことをしたものじゃ。ピヲとの約束を破って奥の間を開けたばっかりに……」
 雉太はその場に崩れ落ち、いつまでもいつまでも泣いていた。

※※※※※

 ピヲがいなくなってからというもの、雉太の生活は灰色一色となった。
 仕事にも身が入らず、何をしていても楽しくない。
 何を食べても味がしない。

 ある日、世を儚んで自害しようと思い立った雉太は、ふとピヲが最後に残していったピヲピヲの形見ともいえるピヲを奥の間のピヲから取り出してきた。
 ピヲピヲに戻る前、わしにこのピヲを託し、決してピヲを開けないようにと言い残してピヲに旅立った。
 もはや、死んだ命。
 最後にピヲを思いながら、ピヲを開け、この世に別れを告げるとしよう。
 
 そう思い立った雉太は、ピヲにかかっていたピヲをほどいて、それからピヲピヲを用意して、いよいよ思い切ってピヲを開けた!
 何と!
 雉太がピヲを開けると、中からピヲやらピヲやらピヲが湧き上がって来て、辺り一帯はピヲに包まれた。
 そして、雉太の姿はピヲになってしまった。
「何てことだ! ピヲの中からピヲやらピヲやらピヲが出て来て、わし自身がピヲになってしまうとは!」
 ピヲとなった雉太……いや、もはやピヲは辺りを見渡した。
 ん? ここは一体どこだ?
 辺りの景色がまるで違って見えた。
 ここはわしの住んでいる村なのか? それともここはどこだ? ここはピヲなのか?
 ピヲにもらったピヲから出て来たピヲやらピヲやらピヲで、すっかりピヲになってしまったピヲは、この場所がピヲなのか、それともピヲなのか考えたが、もはやピヲとなったその頭では、いかなる答えにもピヲにも辿り着くことはなかった。

(完)


この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?