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「何か」って、何か分からんけど何かスキ

今回の記事のタイトルは、いつにも増して訳が分からんかもしれない。

文章には、その人独特の「書き癖」とか、好んで頻繁に使う言い回しみたいなものがあるように思う。
私にも色々とあるのだろう。

私はnoteで記事ヲ書く際に「何か」という言葉をよく使う。

因みに、この「何か」というのは、ついつい書いてしまうということではなく、意図的に使っている。
読み方は「なんか」である。

そこまで毎回、穴の開くほど私の記事を熱心に読んでくださっている方がいるかは分からないが、「言葉使い」や「上手い文章を書くこと」を特に気にされている方であれば、私が多用する「何か」何か気になるかもしれないし、嫌かもしれない。

何か何か言ってんじゃねえと。
ズバリ言えと。

さすがに仕事で改まった文を書くときに「何か」とは書いていない(少なくとも書いていないつもりだ)が、noteでは書きたいのである。

私は「何か」何か好きなのである。

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「何か」の意味や使い方をランダムに複数のサイトで調べてみた。
以下のようなニュアンスが私の意図に近い。

「感覚や願望などの内容がはっきりしない事物」
「はっきりした訳もなく、ある感情が起こるさま。どことなく。なんだか」
「ある事物・事態を指定しえないまま、然るべき言葉を模索する気持ち。どう言えばいいか。どう形容したらよいか」

まあ、つまりはそういうことである。

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たとえば、「私は『ブルース・ブラザーズ』という映画が、何かスキだ」と書くと違和感がある。
私は『ブルース・ブラザーズ』が凄くスキなので、「何か」という形容しがたいモヤモヤっとした含みがないのである(ただ後述するが、この場合でも使える『イレギュラー何か』がある気がする)。

「何か」は、自分がそこまで習熟していない何か(←ここでの読み方は「なにか」)に対して、説得力のある明確な理屈付けができないけれど、スキとかキライとかいう感情が芽生えてしまったとき、細かいあれやこれやをスッと飛ばして本筋に入ることができるので便利なフレーズだと感じている。

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「何か」効果:その1

~詳細は割愛~

たとえば、先ほどの『ブルース・ブラザーズ』を例として、この映画をそこまでスキではないが、どちらかと言えばスキだと書きたいとする。

自分の感情が湧き上がる理由を事細かに説明し尽くすことができればよいのだが、後から書き残しに気付いた場合、悔しい気持ちになりそうである。
その場合に「時間や誌面の都合上、詳細は割愛します」というメッセージとして使っている。

たとえば、「私は『ブルース・ブラザーズ』という映画がスキだ。なぜなら、コメディとして観ても大いに笑えるし、音楽映画として観るならば超一流のアーティストを惜しみなく起用し、ノリノリで体を揺らすナンバーが作中に敷き詰められているからである」という文章をnoteで投稿したとする。

暫くして、自分でこの文章を読み返したとき、「あっ! 『シカゴの街並みを魅力的に撮っている』『カーチェイスも最高!』いう要素を書き忘れた! これはコメディとか音楽映画として素晴らしいというコメントだけではカバーし切れていない! シカゴとかアメリカ旅行に関心がある人に刺さるメッセージヲ書き損ねたばかりか、これヲ読んだ人から『このピンク鳥🐦、シカゴのこと書いてねーじゃん!』とか思われるのでは?」という、実にどーでもいーことが気になったりするものである。

そこで伝家の宝刀「何か」の出番である!

『ブルース・ブラザーズ』はコメディとしても面白いばかりか、音楽映画としても素晴らしくて、私はこの作品、何か(!)スキなんすよ~」とまとめれば、後から悔しい思いヲしないでよさそうな気になる。

こう書くことにより、「何か」の中に「指定されていない事物や要素」などの「その他スキ理由諸々」が含まれ、さも「私に時間をいただければ、シカゴのこともカーチェイスのことも、そんなこたあねー、バンバン出て来ますよ。私はそれらのことにも気付いているんですよ。ただね? そんな『スキな理由』を思い付くままリストアップし続けるよりも、まあアレだ。時間には限りがあるのだから、いったん話を区切って先に進もうではないかということだよ! アンタにとっても悪くない話だと思うが、どうだね?」というポジション取り🐦が可能となるように感じるのである。

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「何か」効果:その2

~秘すれば花~

「秘すれば花」という言葉が何かスキである。

世阿弥が書いた『風姿花伝』の1フレーズ。

秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」

この言葉のルーツは、「芸事においては、何でもかんでも見せ場(= 花)を事前に伝えずにおき、ふいに思いもしない感動を観客にもたらすことができてこそ、真の『花』である」といったようなものと理解している。

一般的に「不意打ちで、思いがけない感動を与える」とか「隠すということの中にこそ、感動がある」という意味合いであると理解している。

noteで面白い記事ヲ書かれる方は、総じて「秘すれば花」名人ばかりであると感じる。

「えー、今日はですね。私、『54字の物語』を10作ほど用意してまいりました。実は8作目にギミックというものを仕込んでおりまして、このギミックというものはですねぇ、、、」などと先にベラベラ言ってしまっては、何とも興醒めである。

「このフォロワーさまの書くフィクションは幅広い! ときには河童ファンタジーを書くし、ときにはイタリアのピアノリサイタルの連載小説を書く。遺体山盛りのブラックな話を書いたかと思えば、大道芸人が登場するオープンエンディングな小説を書いたり、マジシャンの登場する恋愛モノを書いたり、あとは……。1人の人物が、これほど作風の異なるフィクションを連発するとは……(いよいよ来ますぜ)……この方………」

……何か凄い!


要するに、私のような者がベラベラと「凄さの理由」を列挙するより、ご自身でちょっとどれだけ凄いか見て来てくださいよ、ということである。
これは単なる「詳細割愛」とはちょっと違い、話に含みヲ持たせるために「これ書こうかな~、あー、でも書かない方が……」ともう少し葛藤している。

このような書き方が、「秘すれば花」っぽい感じがして、何かスキである。

『風姿花伝』にそこまで習熟していないので、「何かスキ」も成立している。

因みに、本記事に『花』はない!(キッパリ!)


「何か」効果:その3

~結局、よう分からん~

四の五の言ってきたが、結局、「何かようわからんけど……」ということで「何か」を使っていたりもする(なんじゃそりゃ!)。

急に具体的な例文が降ってきた。
「私は、にしおかすみこさんという方が、何かスキだ」

ヲー! コレはいいぢゃないか!

以前、ハーフマラソン記事で、にしおかすみこさんと一緒のレースを走ったことがある。
そこで親しみを感じたのか、たまにこの方がメディアに出てたりすると「おっ!」と思う。
そして、私が以前趣味として楽しんでいたランニングやダンスなどもストイックに練習されているようで、より親近感が増した。

この方を別に芸人として特に面白いと感じたことはなく、どのような活動ヲしてるかも詳しく知らないが、アグレッシブな性格でもなさそうで、何かスキなのである。
そこまで詳しく存じ上げないので、めっちゃスキなわけではなく、特段「好く」理由もなさそうに思える。
もっと言えば、詳しく知っていったらスキじゃなくなる危うい可能性も秘めつつ、ただ現時点では何かスキなのである。

↑ このニュアンスはかなり便利である。うん。

理由はよく分からないけど、感情が芽生えることがあったっていいじゃない。
人間だもの(みつを)。

※※※※※

結局、それだけなんだけどさ

~ ヲチなし芳一の呪い ~

何か思い付いたことヲとりとめもなく、つらつらと書きたい気分だったので、この話に特にヲチはない。
今も書きながら、どう終わらせたものか考えている。

ただ「秘すれば花」とか「結局、よう分からん」からの「何か」が読み手の印象に幅ヲ持たせることに貢献していると感じる。

たとえば、「オレは、あの男が何かスキだぜ」なんて言われると、「オレは、あの男が面白いし、たまに奢ってくれるし、記事にスキくれるからスキだぜ」とか味気ないこと書かれるより、何か粋な感じがしないだろうか。
この男にはどんな魅力があるんだろう……って色々と想像ヲ膨らませる気がする。

考えてもみれば、人が誰かをスキになる時なんて、その理由ヲ正確にすべて言語化なんかできない方が当たり前だと思う。
逆に「私があなたをスキな理由は、以下の1~5です」とか限定されても何かイヤだ。

ときに言葉にできないもどかしさがあるが、感情ヲ抑えられない。
「何かスキ」なのである。
何かカッコイイな。

……ん?

「何か」の地位向上キャンペーンに取り組んできたが、ちょっと気ヲ付けた方がよい場面もあるな。

いくらスキな理由を言葉で言い尽くせないとしても……

「ボ……ボクは……アナタのことが何か好きです! 結婚してください!」
とプロポーズしたら、何か(?)熱意が足りないと思われてフラれそうな気もしてきた。。。

コレは理不尽な気がするな。
上で書いたのと少し違うニュアンスになる。
「秘すれば花」じゃなく、「結局、よう分からん」の方で解釈され、しかも非常にネガティブな解釈ヲされそうな気がする。

こういう場合は、上の方で書いた「凄くスキです」で言い切った方が、まだマシかもしれない。

何か整合性がない気がするがどうしてだろう……
「愛は理屈ヲ凌駕する」とかそういうことか?
いや、間違いなく違うな。。。

※※※※※

あと急に堅苦しい話になるが、多くの先進諸国の刑事裁判において検察側に課される立証責任(burden of proof) の基準は「合理的な疑いの余地なく(beyond reasonable doubt)」などと言われたりする(いきなり何だ?)。

被告人に対する有罪判決を得るためには、「こいつ怪しくね?」みたいな立証では足らず、少しでも疑惑があるとダメというルールである(必ずしも、このルールが守られているかどうかという議論はナシで)。

要するに、状況から考えて「明らかにコイツやってんだろ!」と思っても、何らの合理的な疑惑も生じさせない程度で立証できてない限り、被告人は有罪とはならないというルールである。

ところで、裁判官(まあ国によっては陪審員とかの場合もあろうが)が「ほぼほぼコイツで決まりじゃね!」と思っても、「でも、ちょっと証拠が足らねーじゃん」みたいなときに、心象って「黒っぽいけど、ちょっと分からんから、まあ……白と言うことかー?」に近いときがあると思う。

「何か効果:その3」の「結局、よう分からん」である。

ただ、この場合は間違いなく、裁判官が「被告人は、何か無罪!」というのは軽くて何かイヤだ。

「何か効果」が逆効果になる場合があるような気がしてきた。。。

(↑ あのー……念のため、半分冗談で書いているので、「ふざけたこと書くな!」とクレームヲ入れないでください。「ふざけたこと」しか書いてません ^^;)

※※※※※

以前、カタカナの『ヲ』をWキャストの1人としてショートショートヲ書いたことがある。
今度、「何か」を主役に何か話ヲ書いてみようかな。

…………

……はい、そこまで!

以上は全て前振りであり、今回の企画はコチラ!

~ハチドリからの挑戦状!~

「本記事で『何か』は何回出て来たでしょう?」


え? トップ画像の「クイズ帽」で予告してましたが?

(完)

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