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「自己紹介」

ブログの活動理念とストーリーの共有

初めまして、yuyuです!ここでは「yuyuとはいったい何者なのか?」という、地味にみなさんが気になっているであろう問いに答えていきたいと思います!自分で言うのも気持ち悪いと思うのですが、読むだけでも面白いと思うので、ぜひご一読をば(^^)「青春を始める」という言葉を見て、「うわ、青臭っ!痛いやつやん!」と思われた方もいるかもですが、お気持ちはお察しいたします。だって、青春って言葉は、基本的に社会人生活の中では使われないですからね。あ、あと、文章の中でミスチルのことがたびたび出てくると思いますが、ミスチルが好きとか嫌いとか、知ってるとか知らないとか、そういうことはまったく気にしなくても大丈夫です!

ミスチルとの出会い(中学生時代)

唐突過ぎるけど、中学生になって、自分はMr.Childrenと出会った。中学に入る前からミスチルの存在は知っていたけど、そこまで好きというわけではなかった。でも、中学になってミスチルの曲をちゃんと聞くようになると、ミスチルの曲が自分の心にぐさりと刺さり始めた。おそらく、中学時代の自分は(今もだけど)何かと人生や友達付き合いで悩んだり、独りぼっちになったりすることが多かったからだろう。ミスチルの曲の中の言葉を借りて言うならば、ミスチルのありとあらゆる曲が「まるで僕らのための歌のようだ」状態。ちなみに、「心さえ渇いてなければどんな景色も宝石に変わる」という、ブログ冒頭の見出しも、ミスチルの歌詞から抜粋しております。孤独だったし辛いことも多かったし、恋人がいたというわけでもなかったけど、それでも自分にとって、中学時代というのは、今までの人生のなかで、なんやかんや一番キラキラしていた瞬間だった。勉強も頑張ったし、毎日のようにソフトテニスの部活動に明け暮れた。夏休みは、できるだけ早く宿題を終わらせて、余った時間をソフトテニスと旅行につぎ込んだ。青春18きっぷを使って、色々な県に旅行に行った。友達と行った時もあったし、一人旅の時もあった。中学での一番の思い出は、中学二年の夏休みに友達と自分で企画した2泊3日の東京旅行。その時はちょうど隅田川の花火大会の日で、夜中両国駅まで行って花火を見た。


夢が死んだ(高校生時代)

 「夢が死んだ」

なんかニーチェの「神は死んだ」みたいな言い方になってるけど、その言葉と同じくらい、この言葉は強烈なインパクトをもって当時高校生だった自分の身に降りかかってきた。それは後で説明するとして、とりあえず公立高校に入学して、自分は京都大学を受験することを決意。当時の自分には身の丈に合わない大学名だった。そんな自分がどうして京都大学を目指したのか。「モテたかったから」「強い肩書きを得て安心したかったから」「周りよりも優れていたかったから」「自分のメンタルを鍛えたかったから」などなど、色々なエゴイスティックな理由があった。そして、そんな中でも最も強い動機だったのは

「Mr.Chidrenのような存在になりたい」

ミスチルのようなロマンチックな曲を作れるようになりたい。そして、ミスチルのような輝かしい存在になるためには、ミスチルのようなロマンチストになるためには、誰よりも現実の厳しさを知っていなければならない。そんな気持ちがあった。何も苦労をしないで、何も結果を残さないでロマンチストになったところで、それはただの「痛いやつ」にしかならない。そんな表面上のロマンチストじゃなくて、誰よりも現実と向き合ったロマンチストになりたかった。

 そんなロマンチックな空想とは裏腹に、自分の現実の高校生活は灰色の日々だった。ミスチル(と’’けいおん’’のアニメ)にあこがれた自分は、ソフトテニスラケットをエレキギターに持ち替えて、軽音部に入部。今までずっと運動部に属していた自分は、文化部の雰囲気がなんとなく肌に合わず、早々に幽霊部員になってしまった。結果として部活動には入ることなく高校生活を終えた。運動量も激減した。自分はいつも、汗水たらして部活に打ち込んでいる同級生たちを見て、ずっと羨ましいような気持を抱え続けていた。それに加えて身の丈にあわない京大受験のストレスが押しかかってくる。

青春コンプレックス(大学生)

  自分の高校生活は、勉強の面ではもうこれ以上いらないほど充実していたけど、遊びとか恋愛に関しては、不完全燃焼で終わってしまったまま、自分は大学生になった。大学生になって時間もたくさんゲットしたんだから、それで高校の時の分まで青春を謳歌すればいいじゃんと思ったけど、その時には高校生の時のようなキラキラした感じを失ってしまっていた。自分は完全な青春コンプレックスだった。

青春は終わるものではなく、始まるもの

「18歳で私は年老いた」

マルグリット・デュラスという小説家が書いた本の一説に、このような言葉がある。自分はこの言葉に痛いほど共感する。なんかもう、18歳になった時点でもう人生の下り坂~みたいなそんな感覚だ。高校生活が終わって大学生になって、自分は急速に年老いていくように感じた。昔のような「夢」とか「情熱」みたいなものがどんどんどんどん色あせていく。キラキラした世界が失われていって、私たちは「しっかりした」大人になってゆく。

青春は、高校生で終わってしまうものだ

おそらく、こういう風に思っている人も多いのではないかと思う。確かにそうだ。中学・高校時代の、あのキラキラした感じは、中学・高校の時でしか得られないものなのだから。でも、じゃあそれで私たちの青春は終わったのか。あとはキラキラした「あの頃」を懐かしみながら、穏やかに、老いて、死んでいくだけなのだろうか。もちろんそういう生き方自体を否定するつもりはない。そういう生き方だって、十分素晴らしいことだろう。

ただ、

ただ

それって、なんか悲しくないですか?なんかもったいなくないですか?

中学生・高校生であろうとなかろうと、世間的に言われている「青春」が終わった時代でさえ、人生にはキラキラした瞬間がある。心がふわっと軽くなる瞬間がある。心が充実した気持ちで満たされるときがある。そんな瞬間を、そんな思い出を、なるべくたくさん心に紡いでいきたい。それがきっと本当の意味での青春なんだと自分は信じている。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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