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まだ私の夢は続いていく 1



「もし、私がもう少し勉強頑張っていたら」
そんな風に後悔したのは、
高校3年生の初めだった。

 自分の自信のなさと上がっていく成績。
中学時代、実は海外青年協力隊や官公庁に
憧れていた。

人の笑顔を守る仕事。
もしかしたらこんな嫌な国を
変えられる可能性のある仕事

何より有能で力のあるかっこよさと
いじめられっ子の私でも
誰かの役に立てる生きがいのある仕事。

そして観光を学んでから
さらにそうなりたい思っていた。


私が専門学校に入学した本当の理由

 私の通う学校は総合的に英語や観光、
様々なことが学べる。
もし、官公庁にいけなければ。
一般企業にも就職が可能。

(この専門学校で公務員は出たことはない)

公務員専門学校に行くよりは、
この学校に行った方が多くの経験はできると
感じたから私はこの学校を選んだ。

観光の仕事で活躍したい。
地域組成に繋がるような、
少し自分に誇りを持てる仕事。
だからこその美味しい話だ。

ついでに特待生をとっていれば、
さらに有利にと思ったが、
呆気なく特待生には落ちた。
理由は恐らく、本気で旅行業なんて
目指してなかったからだと思う。

AOだけでも受かったことには感謝しよう。


先生に理解されない時点で夢を捨てた

先生に私の夢が理解ということは、
専門学生にとっての就活は過酷になる。
特に担任制の学校なら尚更だ。

別の形で叶えていくしかない。
地域組成や将来的に私の行きたい方向へ
繋がる新しい道を開拓行くことしか、
私の生きる道は残されてない。

現社の先生に、
Leafの夢は叶えられるよと優しい言葉を
言って信じてくれた先生の期待を
裏切りたくない気持ちと、
同時に押し潰されそうになってるメンタル。

上に行くのは難しい、
私がなりたいものはなれない。
諦めなさい。そうすれば。

あなたは壊れないでいられる。

そう自分いいきかせた。

夢と嫌われ者。

本気で叶えたいなら勉強をするべきだ。
私はそう思った。けど思ってた以上にハード

最初の担任との面談で
まず、公務員系を目指すことは公言せず、
地域組成するしごとをしたい。と言った。

それは難しい。と言われた。

そこは予想通りの動きではあるが、
私には先生の視線とその後の対応が
恐ろしく関係悪化させたのを
反省してる。

「旅行業です。」と嘘をついてれば
ここまでめんどくさい事には
発展しなかった。

どんなことが起きたか、

まず、差別される。
私が可愛げのないタイプなのか
知らないが、無視はされがち。
そして、話した後に向ける冷たい視線。

まぁ慣れっこだ。

「柔軟性をもってれば上手くいくよ」

と2回目の面談で言われた。

ここで言う柔軟性の意味を私は理解した。

反論せずに言うことを聞け。
そうすれば、仲間に入れてあげるよ。
冷たい視線もしないよ。

という話だと思った。

しかし、心のどこかで私は思うのだ。

「自分の計画のためにこの先生は使えない」

とりあえず、ニコニコして可愛ければ
いいんだろと思いこれ以上関係悪化せぬ
ように温和に済ませた。

それが現状の最善であり、
お互いが嫌な気持ちにならないためだ。

諦めて言うことを聞くべきだろう。

私の性格は、ガツガツ努力して
下克上をしてしまうところがある。

というかそうしなきゃ気が済まない理由が
確かに入学したて頃には残っていた。

いじめっこのランクに近い高校の子の
学力を超えてやる。
そうすれば、私の長年の苦しみも
開放されると思っていた。

元不登校でも、凄くなれるって証明と
自信が欲しかった。

無気力、破壊へ


そうおもっていたのだが、
あれ、おかしいな。予想外だった。

私、底辺でこんなに苦しんでたのに
頑張れば上に行けるじゃんってライン。
コースでは復習をすれば優秀になれた。
でも学校は優秀な生徒で人を選んでない

特に私のコースは。

先生に気にいられた者勝ち。
可愛い、愛嬌のある人が評価が高い。

  そこまでしてなんの意味があるんだ?。
愛嬌よくて抜けてるのが良い?。何故?。

と思った。

あ、苦手だ。この雰囲気。
感情的に判断されてる。
実力じゃない。

 残念ながら私にはそこまでする理由がない
 先生の援助が必要になる就活。
だけど、これは既に不利な状態。

じゃあもう自分で独断で動くしかない。
これからはどんなに文句を言われても
私は自分で夢をつかみに行く。

けど、もう何もやりたくない、
これは紛れもない本音だった。
心身体力切れを起こしてしまった。

私は資格も夢もどうでも良くなり
父親が会社に行くまで
放浪した。

そう。私は駄目になってしまったのである。


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