塔六月号より好きな歌五首
今月も、塔の若葉集から、個人的に好きだった歌を五首書かせていただきます。敬称略、すみません。
出かけてしまうパパを引き留めようと泣く子をぎゅっと抱きしめる場面と読みました。下の句の「お腹のなかに押し戻すごと」がとても効いていて、一首をとても深いものにしていると思います。
実は、私はこの歌にとても共感しました。私は二人の子どもがいますが、共働きだったので、二人とも産休までしか一緒にいられませんでした。
長女は持病を持って生まれたので、ドクターストップですぐに保育所に入所させることができず、同居していた義母にその世話を頼んでいました。
そうしたら、、、私より、ずっと、義母に懐いてしまったのです。
たとえば、義母が趣味の社交ダンスへ行くために、家の最寄の駅で長女を渡されることが週に一度あったのですが、義母から私の腕にわたった途端、長女の絶叫が始まるのです。「あーーちゃーん、あーーーちゃーーーん!!」もう、声を限りに泣いて、腕を伸ばして、抱く私にあらがって、義母を追い求めてました。まるで私が誘拐をしているようで、そそくさと逃げるようにその場を離れたものです。
なぜ母親の私に懐いてくれないのだろう・・・。それは、とても悲しいことでした。育児本なんかを読んでも、父親に懐かない場合は書いてあるのに、母親に懐かないことなんて、書いていないのです。育児の始まりで、もう不合格のバッテン印をおされたような気持ちでした。
「お腹のなかに押し戻すがごと」。妊娠中は、二人で一人だったのに。私の身体の中で育っていったあなただったのに。
もう一度未分離の状態に戻りたい、と、つい思ってしまうほどの切なさを、私はこの歌に感じてしまいます。
掲載の四首が、それぞれに切ないお歌でした。中でも、この一首が私の心に響きました。
上の句「生きてゆくことの無惨」。その「無惨」はなんのことかと思うと、下の句に「人格のアウトラインが鮮明になる」と続く。十代、二十代と過ぐうちに、自分の人格のアウトラインが鮮明になっていく。それが無惨なことだという。まだ自我の確立していない子どものころの方が、生きていて楽だったのかもしれない。それでも、どれだけ無惨でも、人は生きていかなくてはならないのだなぁ、と、思うのでした。
結句が好きです。
そもそも、雨の歌はとても好きなのですが、この現実の雨ではない、だけど心の中に降り続く雨にぐっと心を掴まれました。
「永遠に雨」。・・・本当になんて素敵な一首なのでしょう。大好きです。
心の痛くなる、掲載歌五首でした。その掲載歌の一首目がこのお歌でした。目からうろこが落ちるような気持ちでした。そして一瞬ののち、あぁ、そうか、そうなのかもしれない、と思いました。
いじめや虐待は、支配によって自分の存在価値を確認するような行為だと私は思っています(違うのかもしれませんが)。だからモラハラ夫は妻を手放そうとしないし、虐待をする親は児相に子どもを取られることを嫌がるのかもしれません。
最後の一首に「みなしご、それが言祝ぎ」という言葉で終わる一首もありました。
今度は、大人になった林さんの番だと思ったりします。親など捨てて、どうか幸せになってほしい。簡単に言ってしまっているようになりますが、私も虐待サバイバーです。どうか、どうかと、祈っております。
潮さんの作品には、いつも心をぎゅっと掴まれます。
この一首は、力強く「愛だった」と繰り返すことで、それがとても愛と呼べるものではなかったことを感じさせます。愛だったと思わずにはいられない。そう自分をだまさなければ、自分は生きてゆけない。その強い思いが、
「裁断機」という機械を使うことで、とても効果的に描かれています。
手を切らないように、心を切らないように、どんどん、どんどん、バサッバサッと、紙束を切り続け、いつか切ることに飽きる時がきますように。
「一行でもこれは私の絶叫だから」のお歌から好きです。きっとずっと追っていくと思います。詠い続けてください。
以上、本当に勝手なことばかり書きました。
途中で、私も「虐待サバイバーだ」と書いていますが、私は性的虐待とネグレクトを受けたと思っています。かなり回復してきていますので、あまり自分のその過去について書きたいとは思わないのですが、やはりいろいろと勝手に共感してしまいます。
もし、このような私の感想がとても嫌だと思われた方はコメントなどで言ってください。すぐに削除します。どうぞよろしくお願いします。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?