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塔7月号 若葉集より五首

タイトルがなかなかひとつに絞られないnoteです。
「好き」だったり、「気になる」だったり、「若葉集」が入ったり入らなかったり。すべて、私の、細かいことが気にならない性格に起因します。すみません。

それでは、若葉集から私が好きな歌五首です。
いつものように敬称略、勝手に好きなこと書きます、すみません。



この坂の下の小さな踏切であなたは最期に何見たのだろう/片山裕子

198P

一連の歌で、二十歳の時に自死した友人を思う歌だとわかる。それからもう四十年。それでも作者は、友を思い出す瞬間がある。最期に見たのはなんだったのだろうか。返事が絶対に返ってこないその問いは、とても切なく響く。
そんな友人のお墓が、墓じまいされたのを知る。墓参に行って、お墓がなくなっていてびっくりしたのだろうか。ご両親にとって、その子はたった一人の子どもで、継ぐ人がいなくなった墓を、ご両親は自分が出来る間に墓じまいしたのだろう。それは現実的な判断で、娘しかいない私も、自分の代で墓じまいをして永代供養墓に入ろうと決めている。しかし、いつも訪れているお墓がなくなっているのを見た時、作者はしみじみと寂しく思われたのではないだろうか。そんな風に思う一首でした。


玄関は私の体の外にありたまに内側で鳴るドアの音/石田犀

198P

下の句を言うために、上の句全部を使って当たり前のことを詠っている。私の体の外に玄関はある。それは誰だってそうだと思う。その当たり前から、下の句で跳躍する。「たまに内側で鳴るドアの音」。
なんとなく、わかる。
あくまでなんとなく、なのですが。
私は、認知症の義母と同居していた時、家全体を自分の体のように感じていました。変な話ですが。二階の寝室にいる私は、私の頭の部分。腕のあたりに娘二人の部屋があり、階下の和室に眠る義母の部屋は私の足のあたり。玄関はつま先で、ときどき、つま先でドアを開ける音が聞こえると、隣で眠る夫を起こして、「おばあちゃんが出ていった、見てきて」と言って、「えぇ?幻聴じゃない?」などと言われてました(しかし、そんなときはやっぱり義母は外にいて、慌てて家に連れ戻したりしていました)。
石田さんの歌は、それとはまったく違うのですが、たまに内側でドアが鳴るのです。それは同居している人をシャットアウトする音かもしれないし、自分を閉じ込める音かもしれません。どんなドアの音なのか、聞いてみたい気持ちになりました。


母さんの言葉は後で2~3年たったら効くからと妹が/大西伸子

200P

二重に面白い歌だと思いました。
ひとつは、お母さんの言葉は今は響かないけれど、2~3年経てば響くのだという発見。
もうひとつは、それを発見したのが、姉ではなく、妹だということ。
普通、いろんなことは先に生まれた姉が経験して、妹に伝えるような気がしますが、この姉妹の場合、妹の方が悟ったようなことを言っている。きっと、妹の方が少しやんちゃで、両親との軋轢がいろいろあったのではないでしょうか。そんな妹の言葉だからこそ、なんだか重みのある言葉。姉である作中主体は、「そんなもんか」と納得しているように思います。
私は、そんな言葉を娘に言える母になりたい、と、思ってしまいました。


生きることを少しやめたくて呼吸止める 途端に体が生きたいと叫ぶ/潮未咲

207p

これは、すごくわかります。
心は生きることをやめたいのに、体は生きたいと叫んでいる。
私事ですが、十年ぐらい前に乳癌を経験しました。いつも鬱々として暮らしている私が、たぶん、一番前向きで、生きたがっていたのが、その乳癌の治療中でした。主治医にも、「うつ病だなんて見えませんよ」と言われました。どこか、いそいそと治療を受けていたのかもしれません。
呼吸を止めてみる。すると、やっぱり体は生きたくて、酸素を求めるのです。体の声を聴いて生きていってほしいな、と勝手に思う私でした。


思うこと話してしまった心臓の重みを持った本当のことを/杉浦惠子

207p

三句以降が、本当に好きです。
「心臓の重みを持った本当のこと」。
この表現!
私の大好きな一首になりました。


以上、五首でした。
いつもながら、勝手に自分の体験になぞらえて捉えて語ったり、ほぼ自分語りになってしまった感がありますが・・・。
若葉集から私の好きな歌五首、でした。

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