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里山歩きのススメ。

プロローグ

 2020年の夏ごろから里山歩きを初めて4年目になる。

 この間、標高1000メート前後の山を中心に、地元の里山を140座ほど回った。

 山歩きを始めた2020年の夏といえば、新型コロナ感染症が拡大して緊急事態になったころに重なるが、私の場合、山登りを始めるきっかけとなったのは新型コロナとは全く関係がない。
 それ以前から、年に1回くらいはトレッキングコースを散策したり、山菜の季節には、おなじみの山に出かけたりしていたので、山歩きには多少のなじみがあったものの、「山登り」という目的では歩いてこなかったが、退職を機に、健康のため、体力増進を兼ねて山歩きを始めた次第である。

 目、肩、腰に・・・などという宣伝文句を聞くが、一定の年齢になると、目、肩、腰が以前のように思うように機能しなくなってくるのは、本当のことだ。

 4年ほど前の年末に腰を痛めたことがあった。

 その少し前に左足首を派手に捻挫して、これをかばいつつ歩いていたことがきっかけで、次は腰にきた。
 右の腰から足の筋に激痛が走り、靴下も履けなくなって、病院でMRIを撮ってもらったところ、「椎間板ヘルニア」との診断。
 2か月ほど痛み止めなどを飲んで痛みは治まったが、足のしびれは完全には治らない状態だったので、この際、リハビリを兼ねて少し山歩きでもしようと考えたのが始まりである。

 最初は、ウォーキングや水中運動などから始めたのだが、やがて、普段生活していて見慣れている里山の「頂き」を目指すようになり、この頃では、GPSアプリで歩いた軌跡が保存できたり、山地図を使って登山計画を作成するアプリなどもあって、山歩きにハマるのにそれほど時間はかからなかった。

 そんな里山歩きの魅力というか、楽しみを少し語ろう。

普段から見ている里山に登ることで、「視点」が変わる

 広々とした平野部にお住いの方にはイメージが伝わらないかもしれないが、日ごろから、360度どちらの方向を見ても山がある盆地の暮らしをしていると、山の風景自体はさほど珍しいものではなく、季節ごとの山の色の変化も、「いつもの景色」になってしまっている。と感じる。

近くの里山(三登山)を麓から見上げる いつもの景色

 私の場合、春の山菜や秋のキノコ狩りに出かける趣味があったので、多少は、山の色の変化は感じていたものの、季節ごと、時間ごと、天気ごとの変化にまでは気づいていなかったというのが本音である。

 しかし、普段見慣れている、存在にすら注意を払ったことのない里山でも、ひとたび登るとなれば、多少の体力は必要な小さなピークがあり、そこに至るまでの道のりが必ず存在する。

 そして、遠くから眺めているだけでは気づけないことが、そこに行って初めて気づくということは、思っていたよりもたくさんあるのだ。

 普段の景色を逆の立場から眺めてみると、視点が変わることでそれまで気づけなかったことに気づくことができたりするものだ。
 山や景色ばかりでなく、仕事場や家庭においても同じことが言えるのではないだろうか。

 それこそが、里山歩きをおススメする理由の一つである。

 例えば、自分の立ち位置が分からなくなってしまったとき、仕事や考え方の方向性を見失いそうになったときには、山の上から自分が暮らしている街を見下ろすことで、意外な発見があるかもしれない。

山頂近くから「我が街」を見下ろす

 地物を高い視点から俯瞰することで、距離とか、方角を見極めることができるのは当然のことだが、市街地を歩いたり、建物の中にいたのではわからない自然の摂理といったものが、一目瞭然に見渡すことで腑に落ちたりすることがある。

 人生を山登りになぞらえることは多いが、少なくても、その一歩を踏み出さなければ「頂き」には辿り着けないし、踏み出した一歩は、必ず「頂き」に続いているという、当たり前のことが当たり前に得心できるのが山登りでもある。

 随分と大げさなことを綴ったが、「里山歩き」は心身の健康にはもってこいの楽しみである。

 「こんなところにも人がいるのか。」と思うほど、里山を歩いている人は多い。

 特に、休みの日などに、普段は行かない場所へ、少々の汗をかきながらも、気楽に行くことができるのが「里山歩き」であり、身体への負担も比較的少なく、何も考えず、いつもと違う景色を見ては風を感じることが結構なストレス解消にもなるので、ぜひ、手近なところから始められることをお勧めする。

 ただし、里山とはいえ、山登りに違いないので、地形や遊歩道をしっかり確認したうえ、山行には十分な水分を用意して、靴は、できるだけ足首を守ってくれるものを用意することをお勧めする。

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