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外地の三人姉妹 KAAT感想

なにしろ本がいい。翻案以外での改変もしっくりきたものが多かった。例えば、チェブトゥイキンの3人姉妹の母に対する愛情の削除。ではなぜあの男は3人姉妹の家に今だに居続けるのか?が疑問として浮かぶんだけど、お父さんが好きだった?とか邪推をしてしまう。すると、3人姉妹ではなくアンドレイに向ける視線も意味深なものに思えてくるんだよな。朝鮮人は怖いぞ、と言いつつ最後に朝鮮人の下女に手を出すところとか、自分への抑圧や仕事で受けたストレスの吐け口として、気に入らない(けど自分よりも立場が弱い)女や朝鮮人を支配、尊厳を踏み躙ることでバランスを取ってるのかな?とか。お父さんと花街にいったって付け足してるところとかね。そうすると女は買うけどこの歳まで結婚してないチェブトゥイキンに説明がつく。どこに行くの?っていうアンドレイからの質問で「内地は窮屈だ」のセリフもそういう台詞として理解できてしまう。

あと、トゥーゼンバフのヘタレなカッコ悪さというマイナスを、日韓関係での複雑な事情に置き換えてる箇所も良かった。あれは原作の喜劇を悲劇寄りにする一つの仕掛けになってしまってるんだけど、イリーナの最後の悲しみが原作よりも共感できるものになった。あと、ソリョーヌイを(男性中心思想強めの)地方出身者にすることで、彼のあの鬱屈とか原作での変さに筋が通ってしまう。二つの改変?翻案?を合わせることで、イリーナの最後の悲しみとか惨めさに繋がって良かった。

けど、そもそもの発想からそれぞれの改変まで悲劇寄りになることで、原作の持つ悲劇と喜劇の要素のバランスを取るのが難しくなる脚色だと感じた。つまり演出が難しいってことですね。

あと、3人姉妹ってオリガが大事なんだな、と気付かされた。マーシャとイリーナは最後に大きな事件があるからやることがはっきりしてるんだけど、オリガは忙しくってあんまり家にいないし、オリガ単体での2人ほどの主役シーンがないから、自分が主役のシーンじゃないシーン、つまり作中を通してずっと長女として家をまとめる頼り甲斐とそれを出さないいけないプレッシャーを表現できる俳優じゃないといけない。しかも、それぞれの問題が大きくなって後半3人姉妹だけで集まるところは、これまで3人が信頼して支え合ってきて、3人でいる時が一番安心できてそれぞれを頼りにしてるっていう下地がないと利いてこないんだけど、その3人でいる時の安心感を観客に伝えるのは、オリガが自由な下2人を安心させるくらいの度量の大きさが滲み出てないといけない役だなと思った。それを何気ない会話でやってのけることのできる俳優!!こんなに難しい役だとは思わなかった。

あと、何で三人姉妹なのかね。アンドレイは?

舞台セットが良かった。

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