見出し画像

旅と本

僕は旅行が好きだ。家族で旅行をするといった習慣がなかったせいで(家族で遠出するといえば、もっぱら祖父母の家へ行くぐらいだった)幼い頃の旅行経験は片手で足るほどしかない。その反動か、大学生になって時間とお金に割と余裕ができてからは、まとまった時間を見つけてはしょっちゅう旅行に行くようになった。別に豪華絢爛なやつじゃなくって(当たり前だけど)、友達とひたすら車で北上しながら路肩に車を停めて車内で寝たりする貧乏旅行や(これはこれで楽しい。体力いるけど)、恋人とゆったり過ごす温泉旅行とか、そんなものだ。

僕は本が好きだ。本を読むのは小学生ぐらいから好きで、授業中に机の下でずっと本を読んでるような子どもだった。本を読むことだけでなく本というモノ自体にも愛着がある。本を買うと、あとあとその時に買った気持ちや場所なんかが思い出となって蘇ってくる。本棚を見返せばその本を読んでいた時の情景が目に浮かぶ。そういった感覚がたまらなく愛おしい。

というわけで僕は旅行と本が好きだ。そうなるとやはり両者は僕の中で結びつくこととなる。具体的に言えば、旅行に行ってその旅行先の古本屋さんにふらっと入る習慣ができた。これが中々に楽しい。新たな本との出会いがありうるし、何よりその本を見返すと旅行のことまで思い返せるのである。こういうのが古本の醍醐味だなと思う。旅行先で買った古本を眺めつつ、その本に染み付いている思い出を気ままに書いてみる。

2019年4月2-3日 @熱海〜鎌倉 

『オデュッセウスの世界』

SNSとは便利なもので自分の呟いたものを遡ればいつ旅行に行ったかを簡単に確認することができる。確認してみると僕の呟きが出てきた。


僕の旅行は温泉旅行が多いのでこの時も「熱海の温泉でも行くか」という感じでゆるっと行ったのだと思う。それで次の日に「ついでに鎌倉も行ってみるか」という感じでこれまたゆるっと行ったのだろう。その鎌倉の古本屋にて僕は『オデュッセウスの世界』という本を手にとった。昔ながらといった風貌の店で、道路の脇にぽつんと建っていて殺風景な印象だった。店内は逆U字型に本が並んでいて、数も大したことなかったけど何となく暇を潰すために物色していた。いつもの癖で岩波のコーナーを見ていると「オデュッセウス」という字が目に入りすぐにそいつを本棚から掬い上げた。僕はそのとき「フィンリー」という人を知らなかったのだが、表紙に「新しいホメロス学を提起した」とあり、「これはホメロスを勉強するのなら多分読んでなきゃならないヤツだな」と睨み、ちょっと悩んで、結局買った。値段は350円だった。あとあとしったけどこのフィンリーさんは古代ギリシアの歴史学においては権威であり、本書は古代ギリシア史の専門家にもおすすめの図書として挙げられている。

「古典」や「名著」と呼ばれる本は常にそうだろうけど、この本も例に漏れず様々な批判や反論の的となった(らしい)。議論の的になっているのは、見たところホメロスの詩における史実性についてみたいである。正直僕は古代ギリシアの歴史について全然知らない。この前『イリアス』に出てくる「アキレウスの盾」についてのレポートを書いたときも、この盾についての史実性の話には極力逃げて詩的観点からのみ書いたぐらい、歴史のことから逃げている。ちゃんと向き合わなきゃな、と思ってはいるんだけど。だから一丁前にこの本を論じることはできないが、今パラパラとページを捲っていると、一年前の僕が線を引いている箇所が出てきた。中々刺激的な文章だった。

画像1

ページを捲っていると、ついでに卒論で扱いたいトピックのヒントになりそうな箇所(及び著者による注釈)を見つけてガッツポーズをした。古本にはこういう効能もあるようだ。

「ギリシア語やラテン語を広める」というコンセプトのもと活動しております。活動の継続のため、サポート、切にお待ちしております🙇。