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フリーランスになった訳(エピソード2:コンピュータ導入)

もともと、電気系の学校卒業だったのでデザイン系ながらコンピュータには、比較的抵抗がなかったです。???と思った方多いと思います。デザインやるんだったらパソコン必須でしょ?って。
でも、当時はデザイナーと言う職種とパソコンは、全く無縁の時代でした。
(デザイナーのくせにパソコンいじっていると、”もしかして、オタク?”なんて揶揄されたことも。。)

エアブラシで描いたイラストを色変えてくれ!

当時はillustratorなんてなくて、こういったデータグラフィックはすべてイラストレーター(人)が、絵の具を使ってエアブラシを駆使して描くものでした。

当時書いてたグラフィック

こういう仕事は当時結構あったのですが、色に関しては厳しいお客様で、印刷で調整できる場合もありますが、原稿から直してくれという場合も度々ありました。
エアブラシの場合は、濃くすることはできても薄くすることはほぼ不可能。
一から描き直しです。フィルムをカッターナイフでマスクを切り、一面ずつ塗っていくを色変更があるたびにしなくてはいけません。でも、ギャラは1枚分しか出ません。
こりゃたまらん、ということで当時黎明期ながらパソコンで色が変更できるのがあるという噂で、早速調べだしました。
日本でパソコンと言えば事務系のパソコン(NEC PC98)しかなかった当時は、表示できる色はせいぜい16色程度。しかし、フレームバッファという拡張ボードを挿せば、1677万色(今と同じフルカラー)が扱えるということがわかりました。ただ、この電子回路基盤のようなものが当時19万ぐらい、パソコン本体が事務系の安いものでも40万、ディスプレイ(ブラウン管)が10万。今考えるととんでもない高額システムです。ソフトウェア、プリンタ(とても色が汚い)とスキャナも揃えると、最小構成でも200万程度になっていたと思います。でも、毎日カタログ見ながらああだこうだと計算するのがすごくワクワクして楽しかったです。

Macもあったといえばあったのですが、この当時はMachintosh Ⅱという機種が唯一カラーを表示できた機種です。色表現は8bit 256色(1677万色中)でそれも拡張ボードが必要。総額も写真のセットで200万近くしたように覚えています。(なんですが、この画面のCGが憧れだったのですよね)

出典 https://apple.fandom.com/wiki/Macintosh_II

お金もないけど、なんとかした。


http://renga.com/anzaiarc/supertableau/

renga.com連画時系列安斎利洋時系列

このソフト”SAPIENCE Super Tableau" 。先進的なUIと、実用的な速度で動く、フルカラー画像を事務パソコンの画面で編集するデモを見たとき、将来デザインの方法自体が大きく変わると感じました。
これは、先んじて動くべきだと!
ただ、事務系のパソコンベースとしても、当然、そんな金額ぱっと用意はできません。これも執念のごとく調べました。リースとかローンに関しても色々勉強でき、なんとかなりそうという目測が立ちました。

ただ、高いのでやっぱりビビるんですよ。なので、当時のお客さんに先行プレゼンです。まだ、買ってもいないソフトやシステムのカタログ画像をもっていって、こういう事ができる、仕事になりますか?って事あるごとに提案営業を繰り返していきました。
みんな、最初はなんのこっちゃって感じでしたが、次第にすごいものだと言うのが伝わってきました。
更に、3DのCG(さっきのMachintosh2のカタログ画像のようなやつ)ができるソフトも見つけて、導入することに。もう、ネットで検索しても情報が殆ど出てこないですが、RAY-TREK Ⅱというソフト。3DCGったって、GUIがあるわけではないです。テキストファイルでモデリング(というかプログラミングですね)して、それをこのソフトに読み込ませると、一ラインずつコツコツ計算した結果がファイルに吐き出されるというソフト。でも、最新のレイトレーシングで、反射や透過屈折も計算されます。当時このソフトで作ったカタログの表紙です。(メインメモリ1.6Mbyteのパソコンです)

球体・円柱などの相互演算でつくる

確か解像度は1024×768px程度。でも、一日ぐらい計算にかかっていたと思います。
エアブラシで書いていたグラフィックもCG化していきました。
もちろん、当時はインターネットなどなく、ソフトのマニュアルだけが操作方法の指針です。教えてくれる人もいないし、学校もない。自分で調べるしかなかった時代です。

UnsplashMilad Fakurianが撮影した写真


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