教育への疑問<アンラーニング>
AIの進化で、教育という場にも様々な波紋が来ていることはご存知のとおりです。果たしてこれから先、教育現場は不要とされることになるでしょうか?
冒険の書
孫泰蔵さんの、この本と出演動画を見ながら、いままでみんながおかしいと思ってきたことが、赤裸々に書かれていました。
そもそも、学校って全面的に楽しかったという人少なかったと思います。私も、ご多分に漏れず結構いやだったです。特に、小中学校。かるくいじめもあったし、苦手なことも色々あったし、義務教育が終わったあと、刑務所から出所したような感覚がありました。
高校からは、高等専門学校だったので、好きなことを学ぶために自分から選んだので、比較的楽しい学生生活だったと思います。
なんでいやいや、学校に行かなければいけなかったのでしょうか?
今までの考え方は、小中学校の間は基本的な学力や一般教養をみにつけるために、すべての学科を履修して、設定された学校行事をこなすことを課されていました。本当にこの学習内容に意味があるのか?なんて考える隙間も与えないような集団生活。村社会的に平均から外れると、異物扱いされる教室内=>ある種服従する軍隊のような。
高等教育からは自分の好きが少し生かされる選択肢が用意されるのですが、孫泰蔵さん的には、小中学校のときにこそ好きなことを夢中になる時間にスべきで、大学とかになってから一般教養や社会に出るための知識をやるべきだと。 みんな、薄々わかってたのですが、この学校の変な感じ、誰も言い出さなかったのです。
※今考えれば、小中学校の授業って、指導用教科書を読んで、黒板に書いて、それを写して教えてます的な授業だったような気がします。これ、AIならもっと親身になって教えてくれるだろうと思います。スタサプとかやっぱりすごいと思います。
今のWEBデザイン教育もそうなってないかなぁ。。。
「1ヶ月でウン百万を稼げるデザイナーになれます!」というような、デザインスクールの広告が沢山配信されています。それを信じて、一生懸命動画を見て果たして、デザイナーになれたでしょうか?
身もふたもないことを言いますが、たぶんデザイナーとして活躍できるかどうかは、今までの経験でいうとほぼ”運”です!
頑張れば報われるというのは、そういうこともあるが、そうじゃないこともあるというのがホントのところ。
私達現場の教える人は、運が回ってきたときにそれを掴み取ることができる準備だけなのかもしれません。そして、少しでも戦える武器をもたせてあげるだけしかできません。(WEBクラスでもillustratorをしっかりやるのはそのためです)
それも深堀りすると、高度にデジタル化された会社に入ってシステムの中に組み入れられて、上手く回るようなデザイナーを育てているのでは?という疑問。
こないだから、その疑問が頭を堂々巡りしています。ただ、AIの進化でそれはもう終わりなのかもしれません。こないだまでは、デザインなど感覚を必要とするスキルはAIに置き換えられるのは、だいぶ先と思っていましたが、GPT4からのプラグインやアップデートを考えると、多分できてしまうのかなと思ってきました。
一部の天才クリエイター以外は正直淘汰されるのでしょう。
CAMELという対話自動AIの動画など見ていると、AI同士が会話しながら人間が指定した最終目的に向かって、仕事のすすめかたやターゲット調査、必要なスキルを学習し、タスクを実行しながらAI同士で会社やってるみたいな感じで仕事を進めていきます。人間はその”会社”からは、無視されているような世界です。苦笑いです。そのうちAIがAIにデザインを教えていると思います。
私達は、一生懸命勉強して、社会人になってからも自己責任/能力主義のもと、色々我慢してまた勉強して、で、気がついたら仕事はAIがやっている。。これって、結局私達は何をやってるんでしょうか?
幸せに楽しい暮らし/人生を送るために、頑張ってきたはずです。
高齢化社会に向けての生き方や、お金を含めた社会の仕組みを再定義する時代になってきたのかもしれません(噂によるともう数年の話で)。AI時代の教育や仕事を、常識を覆す新しい考え方で考え直す時期なのかもしれません。孫さんの本を読みつつそんな事を考え出しました。
UnsplashのJason Sungが撮影した写真
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