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R.I.P. 坂本龍一教授

昨日夜、恐れていたニュースが飛び込んできた。がんで闘病中ながらも音楽を続けてらした坂本龍一さんが亡くなられた。

心の支えになった TRIO 1996

阪神大震災後の様々な出来事で、メンタルをやられ、不安定だった時期に坂本龍一氏のアコースティックトリオの音楽に何度か救われた。
ヒーリングミュージックのなにかふわふわとした宗教観のある音もはまらなかったし、逆に元気いっぱいに叫ぶ音楽も気持ちを萎えさせる。
TRIO 1996 は、ピアノ、ヴァイオリン、チェロというクラシックピアノ・トリオの形式をとりながら、映画音楽として作られた楽曲やYMOで演奏した曲、また、このトリオ用の曲などを演奏していた活動。3人でやっているとは思えないパワーと静寂のサウンドが、その時の自分の心に空いた穴をピタリと埋めてくれた。

最近も、趣味でやっていたチェロの目標を失ってやめようかと思ったときに、このTRIO 1996を思い出し、不可能と思われていたメンバー集めも叶い実際に演奏する幸せにも恵まれた。入手不可とまで言われた、オリジナルスコアも偶然にオークションサイトで発見し、手に入れることができた。なかなか、難曲揃いでみんな四苦八苦しながらも、楽曲を演奏すると言うに言われぬ高揚感に包まれています。

デザインワーク

坂本龍一氏の周辺制作物も、とてもミニマルで削ぎ落とされた、しかも何かしらの新しい試みがいつも刺激的でした。つながりで、アートディレクターの中島英樹さんも大好きになりました。特に、印刷物に対するトライが刺激的で、CDジャケットの特殊印刷や、タイポグラフィ、用紙の使い方などかなりの影響を受けています。

言葉とタイポグラフィ
CDジャケット:中谷美紀さんや坂本美雨さんのも
アートボックス タイポグラフィのアイデアの塊

もし、これらの作品と出会えてなかったら、たぶんもう別の仕事をしていたかもしれません。

社会活動にも共感

坂本龍一氏といえば、9.11をはじめ東日本大震災、原発問題などにも積極的に行動し、自分の主張をされてこられました。
音楽家の中には、政治的な発言を嫌う方も多く、多くの反発もあったと思いますが、社会にこれだけの問題提起をされた功績は大きいと思います。

今となってはあまり取り上げられない活動なんですが、カンボジア等地雷撤去に対する活動楽曲 ”ZERO LANDMINE" とその活動が一番印象深いです。
TBS50周年特別企画「地雷ZERO 21世紀最初の祈り
TBSの企画でもあったのですが、これで初めて地雷という兵器の残忍さをしり、実際にこの影響で私も募金活動をしました。


地雷は、殺すのではなく一人の兵士の足や手を奪い、それを救助する兵士の戦闘能力をも奪う目的の兵器。しかも、超低価格で敷設できる。ただ、それをまかれた地域には、戦争が終わっても地雷は残り続け、子供や女性も容赦なく手足を奪う悪魔の兵器で有り続けます。敷設は低価格なのに、除去には膨大な労力と危険、コストがかかります。

日本のコマツさんや、日立建機さんなどはこれらの撤去重機を開発して貢献しておられます。かつては、自衛隊も大量の地雷を保有していました。現在はオタワ条約加盟で戦闘用は廃棄されています。

様々な教えをくれた素晴らしいアーティスト

音楽/デザイン/社会活動など、坂本龍一さんからは多くの影響を受けさせていただきました。
当初YMOの音楽は、電子音のピコピコサウンド、生演奏の楽器にかなわないと若いときは毛嫌していましたが、今改めて当時の動画を見るとかなりの先進的な試みをしていたことに衝撃を受けました。機械でグルーヴをなくすことで生まれる新しいリズムや、初期からインターネットを使った音楽配信をおこなったり、一方ポップな楽曲でヒットチャートを席巻する事も。
晩年に行っていた原発に対する活動は、唯一明確な回答が見つけられなかったものだったのかもしれません。音楽を作る・配信するなど大量の電気を必要とする部分を自然エネルギーのみでどう解決できるのか。高騰している電気料金を原発無しでどう抑えて維持していくのか、火力発電のCO2は? 原発廃止による技術者衰退で、廃燃料処理技術が継承できなくなるなど考えれば考えるほど多くの難しい問題を含んでいます。
これは坂本さんが、大きな課題として私達にのこしていったものとおもいます。考え続ける事を止めない必要があります。


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