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神解き(かむとき)の樹

【記録◆2023年5月24日】①

 この御神木の映像をみた瞬間、
「わたしも、このようにして在る」と感じたのです。

 画面では、「かつて、この樹は、いちど雷に打たれているのではないか」と語られていました。
 これは、その傷を修復するための形状なのだと。

雷に打たれた樹

 30年以上前、その日まで面識の無かった医療者に出会いの一瞬で加虐心を抱かれ、医療という名の拷問殺人方法によって身体を力任せに裂かれたため(大量の血液が失われたのに命が残ったのは奇跡)、「いずれ危険な手術が必要になるという大きな傷」を負うこととなりました。

 たとえば、救命のための手段という理由があったなら受け入れられたかもしれませんが、「悪意に身体と精神が壊されていく怖さ」から充分な距離を取れるようになったとき数人の専門家に確認すると、
「まったく必要がなく何の効果もない医療行為」だったと判ったのでした。
(その病院はすぐ無くなり、当時の関係者とは連絡が取れません。)

 40年近く前に亡くなった父は、火葬にすると全て灰になり、一片の骨さえ残しませんでした。医療はそのような最期にまで導く、と知っているから、わたしが病院へ行くのは診察を法律で義務づけられている場合のみ。
 この11年間では、コンタクトレンズの処方箋を貰いに行っただけです。

 義務づけられている場合でも、医療は受けたくないと初診で伝えます。
 まったく必要がなく何の効果もない医療行為によって命を奪われた日も(奪われても失わなかった)、そう伝えておいた別の医療者から直前に、「ひとつも問題はありません」と、診察結果を告げられていました。

 しかし、そちらの医療者も、「救命のため、身体がボロボロになるほどの治療を施した」と翌日に明かし、大量の輸血後には、献血者の腕から注射で抜き取った血液をわたしにそのまま注入するという「乱暴な全血輸血」まで施しています。その時の免疫反応は激烈でした。
(通常の全血輸血でも、データによるとおおかたが死に導かれています。)

 急激に引き起こされた症状に驚いていると、医療者は、
「全血輸血をすると、こうなるのです」と笑いながら伝えるのでした。
 輸血は臓器移植と同様の医療行為であり、成分輸血でさえ慎重に行われているはずなのに。

「ひとつも問題はない健康体」を瀕死にさせてから救命する、という行為の一部始終をわたしは見届けました。その経験を「現在という未来」へ持っていくためだったと、いまは分かっています。
 意識を保ったまま体験できたひとは他にいないでしょうから。

 現在は、身体に遺った傷とともに在ることだけを受容しています。
「でも、雷に打たれたことも受容している樹の前に立てたら、さらに意識が変わるかもしれない」
 そう感じて、ひさびさに県境を越えたのです。
 御神木の映像をみた3日後でした。

 雷に打たれた樹を、神が降りてきたという意味で、
『神解き(かむとき)の樹』というそうです。

長島神社の御神木(天に近い所)
長島神社の御神木(地に近い所)
長島神社の御神木(根)

「隣の樹と根がひとつになっている」という情報はどこにもありませんが、この楠も、5月9日に見た『連理の杉』のようになっていました。

「連理」とは、連なった樹木の枝同士が繋がって、どちらの木理(木目)か判らなくなることですが、樹齢数百年にもなると、隣り合う樹と根で繋がる場合は少なくないのかもしれません。
 御神木の大楠は、幹が全周10メートル、高さ28メートル、樹齢は千年で、三重県の天然記念物に指定されています。

斜め後ろで寄り添う樹
一体化している

 周囲は整えられていて、すぐ作業に戻れるよう園芸用品が置かれたままになっていました。
 傍まで行けるようになっているのは管理者のためではないか、という気もしたのですが、踏んではならないものがあるかもしれないと注意をしつつ、『神解きの樹』の前に立ち、手を合わせたのでした。

 根を踏んで樹を弱らせないよう、できるだけ離れて、
「次の機会はない」という気持ちで。

「1591年に長島城が焼討にあった時、社殿及び旧記系図等全てが消失した」とのことなので、ここに来ようと決めた日から、
「この樹は数百年前に、煙も吸ったのだろうか」と考えていました。

 すると、わたしもそこで煙を喉にまとわせることとなったのです。

 来るとき、町並みの向こうに大量の白煙が立ち上っていたから、
「こんな煙の出る仕事が海辺の町にはあるのか」と考えたのですが、ずっと離れた神社にまで、強い風が煙を運んできていたのでした。

 たくさんの樹のおかげで、そんなに苦しくなかったけれど、何ヶ所か道が通行止めになっていたのは火事のためだったと、帰り道で知りました。
(強風の日でしたが、ひとは無事だったそうです。)

薄く煙が流れ続けてもⅠ
薄く煙が流れ続けてもⅡ
何年か前のわたし

 ずっと前、手の甲から腕が樹皮のようになりました。
 それより数年前には、足の先から膝までが溶岩のようになりました。
「酷い痕が残る」と言われていたのに、きれいに治って痕跡もありません。

 樹皮は、死んだ組織の集まりで、やがて剥がれ落ちてしまうそうです。

 投与された薬物は40年経っても体内から検出される、と本で読みました。
「救命のため身体がボロボロになるほど大量に使った」と伝えられた薬物が少しずつ体外に出ているのでしょうか。

雷の傷Ⅰ
生きている側
雷の傷Ⅱ

 苔に覆われた部分にだけ水が通っている、とのこと。
 歪な白い部分は、雷に打たれた傷を修復するため残っているそうです。

 この樹には、「生死(いきしに)」が、ともに在ります。
 古代文明の石碑に彫られた文字のように、生を終えた所が失われた叡智を伝えているよう。

 0歳のときには、「ほんとうの救命」が必要でした。
 医学が無かったら、わたしの数十年間は存在していません。

 皮膚にも手術痕が残っているけれど、悩まされたのは体内の癒着です。
 現在の治療では癒着を防ぐため手術後にすぐ歩かされる、と聞きました。何十年も前の歩きはじめていない赤ん坊には防ぐ術がなかったのでしょう。

 けれども、命は粛々と修復に向かいます。

高台から御神木を

 鳥居をくぐって急な石段を上り、本殿を参拝しました。
 高台からでも、大楠の下半分を見下ろせるだけ。

本殿の周囲

 本殿の周囲にも立派な樹がたくさんあります。

 帰りにはステッキチェアを椅子の形に変えて座り、楠の葉が擦れ合う音をしばらく聴きました。


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