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彩り

※この物語は、Mr. Childrenが2007年にリリースした楽曲「彩り」をClarkが小説化したものです。歌詞の一部を物語の中で引用させてもらっています。

僕は、モノクロの日々を送っていた。

白いYシャツに袖を通し、通勤ラッシュを避けるために朝早い電車に乗る。駅に着くと、華やかな街とは反対側へ歩く。そこから少し坂を上ったところに僕の職場がある。

朝の図書館は、静けさと古びた本の匂いに包まれている。自分のデスクに着くと、僕はまず、コーヒーを入れる。そして、少しの間、独り占めした図書館の中をゆっくり歩く。

僕の職場は、一般的な図書館ではなく、歴史関連の書物を扱う専門図書館だ。並んだ本の表紙は、黒か茶色、あとは深緑。訪れる人たちは、市内の大学院生や歴史マニアの中高年。その人たちが着ているのもやはりモノクロばかりだった。

そんな毎日を送っているが、大学を卒業した後、一度は、アパレルの営業職に就いていた。季節ごとに、トレンドを踏まえた鮮やかな色の服を並べた。店舗に来るお客さんも、様々な色の服に身を包み、笑顔で買い物を楽しんでいた。でも、華やかな職場とは裏腹に、店舗の伸び悩む営業成績を上司から真っ赤なグラフにされて目の前に突きつけられる月が続くと、「いつ辞めるか」ということしか考えなくなった。

「どんな職場でも3年はやってみなさい」

という両親の忠告に従おうとは思っていたが、結局、1年半で離職することになった。その後は、遠い親戚のコネで、現在の図書館を紹介してもらった。

大学に入学したときに、「とりあえず、資格は持っておいたほうがいい」と母親に言われ、司書の免許を取っていた。特段、本が好きだったわけでもない僕が、まさか本当に図書館で働くことになるとは。

今の職場では、服装に気を留める人なんて、いない。僕は、毎日、同じブランドの白いYシャツを着て行った。他の司書の人たちも、だいたい白いブラウスやシャツを着ている。せいぜいクリーム色のカーディガンを羽織っているぐらいだ。

図書館では、営業目標は無く、月末に真っ赤なグラフを目にする必要もない。カウンター業務や書庫の管理。新刊のラベル貼り。ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしていく。

誰に叱られることもない。心穏やかに働く日々。でも、誰かに褒められることもない。

毎月の営業成績や季節ごとの商品入れ替えを気にする必要がなくなった。その分、今、何月なのか。何曜日なのか。意識しないとまったく分からなくなった。

平坦な毎日を送る中で、ある日、先輩の司書の人たちが珍しく浮足立っていた。訳を聞くと、ヨーロッパで紛争が起き、毎日のようにテレビに出ている有名な大学教授が、歴史書を閲覧しに来たらしい。その教授が、この図書館の専門的な蔵書の多さに感銘を受けたとのことだった。

自分たちが管理している書物が、世界の大きな出来事につながっている。

図書館で働いて、初めて自分が少しだけ高尚な人種になれた気がした。でも、翌朝目が覚めると、やはりいつもの仕事が続く。

ブラックコーヒーで始まるモノクロの日々。

確か春の終わり頃だっただろうか。カウンターで貸し出し業務をしていた僕の前に、目が覚めるような赤いブラウスを着た女性が立っていた。大学院生のようにも見えるが、学生にしてはフォーマルなジャケットを羽織っている。この図書館には似つかわしくない服装に目を奪われて、僕はバーコードを読み取る手を止めてしまった。我に返った僕は、気づかれないようにできるだけ早く貸し出し業務を行った。
中国の近現代歴史書を3冊。

「ありがとうございます」

僕が小さな声でそう言うと、軽く会釈して、彼女は帰っていった。

彼女は、決まって金曜日の夕方に図書館にやってきた。おかげで、僕は自然と曜日を意識するようになった。
翌週は、ブルーのニットベスト。
その翌週は、グリーンのノースリーブシャツ。
どの色も、とても似合っていた。

僕も、金曜日は色のついたシャツを着て行くことにした。白いYシャツしか着ていなかった僕が突然鮮やかな色を着て、周りがどう思うか。そう考えて、始めは薄いブルーのシャツを着た。幸い、周りのファッションに気を配るような同僚ではなかったから、誰も僕の服装の違いには気を留めていなかった。

彼女のおかげで、少しずつ、僕の生活に彩りが加わっていった。

彼女が来館して5回目くらいだっただろうか。彼女が返却してきた本に、しおりが挟まっていた。相変わらず浮足立っていた僕は、それに気づいたときには既に彼女は去ってしまっていた。

よく見ると、そのしおりは、手作りのようだった。綺麗な紫色のラベンダーの花を使ったしおり。どこか旅行に行ったときに作ったのだろうか。とても大切に使われていることが感じられるものだった。

なんとかして彼女に返さなくては。彼女の連絡先は、カードの情報から調べれば分かるはずだ。でも、個人情報が漏れているようで、嫌な気持ちにさせてしまうのではないか。何より、もっと早く自分が気づくべきだった。返却時に本をきちんとチェックして受け取る。そんな単純作業を疎かにしてしまったなんて。

翌週の木曜日まで悩んだ挙句、僕は彼女が次に借りそうな本に挟んでおくことにした。彼女は決まって中国の歴史書を読んでいる。時代を毎回遡りながら。次に借りそうな本はだいたい見当がつく。

もう梅雨が始まった頃で、その日は雨が降っていた。

彼女は、物憂げな6月の雨を吹き飛ばすような、鮮やかな水色のロングスカートを着ていた。いつものように書架をゆっくりと眺めて歩く。僕は貸し出しカウンターに座っていたから、彼女がどの本を手に取るか見えなかった。

祈るような気持ちだった。
時間がゆっくり流れている気がした。

彼女が貸し出しカウンターにやってきた。
僕が、しおりを挟んでおいた本と、
ラベンダーのしおりを大事そうに抱えて

「ただいま」

彼女の声を、初めて聴いた。
僕に言ったのだろうか。しおりに言ったのだろうか。
意味は分からなかったが、彼女は少し笑顔を見せてくれていた。

「おかえり」

こんな返答で合っているのだろうか。
よくわからなかったが、とっさに発してしまった。

彼女と僕の頬が染まる。温かなピンク。

僕の日常に、きれいな彩りが増えていく。

そんな予感がした。

あとがき

最初に記載したように、Mr. Childrenの同名楽曲を小説化した物語です。「彩り」は、アルバム曲ながら、ファンにとても愛されている曲です。
ぜひ、楽曲を聴きながら、もう一度、物語をお読みください。
歌詞はこちら


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