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ちゃんとは覚えてないんだけど後でまた読み返したくなる――ケリー・リンク「いくつかのゾンビ不測事態対応策」

【マガジン「読み返したくなる短篇小説」バックナンバー】

 ケリー・リンクの短篇小説のどれかを読み返したくなって本棚へと歩いているとき、私はおもにその小説のなかの会話の場面を読み返したいと思っている。「妖精のハンドバッグ」なら主人公の女の子とそのおばあちゃんが言葉遊びみたいなボードゲームをしながら交わす会話を読み返したいし、「いくつかのゾンビ不測事態対応策」なら見ず知らずの他人のホームパーティーに紛れ込んだ男がキッチンかどこかにいた女の子と交わす会話を読み返したい、という具合に。といってもそれがどんな内容の会話なのかは全然思い出せない。舞台がキッチンだったか寝室だったかもあいまいで、格言とか名言とかが印象に残っているわけでもない。ただ漠然と、なんとなくそれらの会話の場面を読み返したいなと思いながら短編集『マジック・フォー・ビギナーズ』(2012、ハヤカワepi文庫)を本棚から抜き取り、お目当ての頁を開いて「そうそうこの感じだった」と頷く。そんなだから、いったい何がいいのかと聞かれてもうまく説明するのが難しい。

 訳者の柴田元幸氏によれば、ケリー・リンクは「ごく日常的な、正統派のリアリズム小説が書かれても少しもおかしくない素材」を取り扱いながらも「おとぎばなしやSF、ファンタジー、ホラー小説などの要素を自在に取り込んだ、どこへ連れていかれるのか見当もつかない、一行一行、作品独自の空気をその場で捏造していく物語」を書く。しかも数々の奇妙な設定に「寄りかかってそれを単純にふくらませる方向には決して進まない。物語の定型からずれつづけ、定型の関節を外しつづける、その手口とタイミングのセンスは絶妙」。

 適確な評だと思う。物語はせっかくの「奇妙な設定」に導かれも引きずられもせず、定められた道を一歩ごとにいちいち踏み外すように走るので、後を追う読み手は自分がどこをどう進んでいるのかわからなくなる。もちろん、読み終わってもどこに辿り着いたのかわからない。同じことが会話の場面でも起こっていて、そのずれたり外れたりしてよくわからなくなってるけど問題なく会話が進む感じに、私は惹きつけられるのだと思う。

「で、何してるの?」カーリーが言う。彼女もテーブルに、ウィルの向かいに座る。両腕を上げて、伸びをする。背中がバキバキ鳴る。いいオッパイをしている。
(中略)
「電話セールス」ウィルは言い、カーリーが顔をしかめる。
「ダッサいわねえ」彼女は言う。
「うん」ウィルは言う。「いや、まあそうひどくもないよ。人と話すの好きだから。刑務所から出てきたばかりだし」。もう一口、大きな一切れを頬張る。
「へえ、そうなの」カーリーが言う。「何やったの?」
 ウィルは噛む。呑み込む。「いまはちょっと話したくないんだ」
「オーケー」カーリーが言う。
「美術館は好き?」とウィルは言う。美術館に行きそうな女の子なのだ。
カーリーはウィルにビールを渡し、彼と並んでベッドに腰かける。「ねえ、刑務所のこと話してよ。何したの?あたし、あんたのこと怖がった方がいい?」
「たぶん怖がらなくていい。あんまりいいことないしね、あれこれ怖がっても」
「何したのか、話してよ」とカーリーは言う。そしてすごく大きなゲップを出すので、ベッドの下の子供が目を覚まさないことにウィルは驚いてしまう。リオ。
「いいパーティだね」ウィルは言う。「俺の相手してくれてありがとう」
「いまさ、誰かがリビングの窓からゲロ吐いたの。(以下略)
(いずれも「いくつかのゾンビ不測事態対応策」より)

 あらためて読んでみると、やっぱりこれといってすごいことをいってるわけではない、ふつうのダラダラしたやり取りなのだが、書かれ方はちっともふつうでもダラダラでもなくてアクロバティック。でないと「ふつうのダラダラ」は成り立たない。ふつうのダラダラしたやり取りなのに、鼻につく「これはふつうのダラダラとしたやり取りの場面です」感が皆無で素敵。そしてなにしろふつうのダラダラしたやり取りなのだから、その内容自体が心に響いてこないのがいい。「この感じって、いいよな」という素直な気持ちが身内にじんわり残り、ちゃんとは覚えてないんだけど後でまた読み返したくなる。そういう存在って実はとても貴重でなかなか出会えないから大事にしなければならない。

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