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すべての「考えること」はピギー・スニードを含む――ジョン・アーヴィング「ピギー・スニードを救う話」

【マガジン「読み返したくなる短篇小説」バックナンバー】

 性根がねじ曲がってるせいかもしれないが、目の前で「救う」と「書く」が組み合わさると、とたんにキナ臭いもやもやがあたりに立ち込めるようで逃げ出したくなる。もちろん「ピギー・スニードを救う話」は別だ。これほどまで明快に軽やかに「救えないこと」を突きつけてくれる「救う話」を、私は知らない。

 ピギー・スニードは「頭の弱いゴミ収集人」であり、ブタを育て、ブタを殺し、ブタとともに豚舎で暮らす養豚農家である。そのずんぐりむっくりした体から発される「すさまじい体臭」や「未発達な精神にもとづくユニークな特質」、つまりブタめいた態度やものごしは、当然のことながら子どもたちの格好のからかいの的となる。

飛び出していって(むやみに近づきはせず)鳴き真似をしてからかった。「ピギー!ピギー!ピギー!ピギー!ぶうぶう、ぶいぃー!」
すると、はたしてピギー・スニードは豚のように、じたばた慌てふためいて前後の見境もなくなり(毎度ながら前回の記憶がないかのような狼狽ぶりで)、いまにも豚肉にされそうな金切り声をあげ、(以下略)

 残酷。でもそういうものだ。むしろピギー・スニードをからかわない子どもなんて信用ならない。さて、彼らに何が起こったかは伏せておくとして、著者がピギーをめぐる自らのメモワールを綴りながら「改訂作業」と呼んだものについて考えてみたい。

もう少しで現実になったかもしれないこと、なるべきだったことにこそ、真実は宿るものである。私の人生の半分は改訂作業に明け暮れる。(中略)作家であるということは、見えるものへの細心の観察力と、見逃した真実へのやはり細心の想像力が、ごり押しにでも合体していることである。そうなったら、あとはもう頑固一徹に言葉を鍛えるしかない。

 事は物語にかぎらない。すべての「書く」こと、そして「話す」だろうと「呟く」だろうと「投稿する」だろうと、言葉をどこかへ放り投げる営みはすべて、彼のいう改訂作業である。「どんなメモワールにも嘘がある」のだ。そしてその作業は何かが終わった後か、今まさに何かが起こっている場所の遥か遠くかなたでなされるものなので、その何かを「救う」ことには決してならない。だからだ、多くの「救う話」がキナ臭いのは。ところがこの名篇の中には、あの「礼儀正しい祖母」がいる。彼女が「絶対に救えない」という大前提そのものとしてつねに作家の背後から「おやおや」と声をかけ、メモワールをこねくり回す作家の手にぶっとい釘を刺しまくったおかげで、そしてそれでも(だからこそ)作家が手を動かし続けたおかげで、「ピギー・スニードを救う話」は底抜けに好ましくて頼もしい小説になった。

 この作品を読んで心惹かれるものを感じた人はたぶん、その後もふとした瞬間にピギー・スニードを思い出すたび「救う」ことについて考え、「救えない」ことについて考え続けるだろう。すべての「考えること」は、ピギー・スニードがブタのために生ゴミを集めて回ったあのフロント・ストリートを含む営みなのだということに気づくだろう。そして、気づいても考えてもどうしようもないのだということにも、気づくだろう。何度も何度も。いつまでも。

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