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【マーラー書きたい1】マーラーのことを、アバド=ベルリンフィルの5番を聴きながら書いてみる

マーラーはとても好きな作曲家だ。突然聴きたくなる。アップルミュージックの契約をする前には、iTunesにせっせとCDからデータ化して、サムネも貼って、iPhoneに入れていた。今も、バーンスタイン先生とアバド先生の全集とかよく聴く。個別の指揮者も有名どころを中心によく聴く。ラトル先生も好き。ヤンソンス好き。最近だと、6番だけだけどクルレンツィス好き。

大学時代、マーラーをはじめて聴いた。大学の先輩に借りたのはアバド=ベルリンフィルの5番だった。それまで恥ずかしながら、あまり興味がなかった。いや、もしかすると1番くらいは聴いたかもしれない。長いな、という印象しかなく、高校生当時の底の浅さを思い出す。

アバドのマラ5は、衝撃そのもの。トランペットかっこよ過ぎる。たしか、この冒頭のソロだけは知っていた。あとそういえば、私の高校時代の先生がトロンボーン吹きでいらっしゃったので、3番のソロも良く聴いていた。金管吹きにとってはマーラーこそ特別な作曲家なんだな、と記憶している。

トランペットからの、この進行が、分かりやすい。マイナーでの長いフレーズ。実はこれがCis moll(嬰ハ短調、C#Minor)始まりという、絶対音感のない私は後で知ってとても驚きだった。そのときも、ヘンな作曲家の印象が強く残っている。ベートーヴェンの5番がC-mollだから、それより反音高いとこからやってみたかったらしいとか、最後D-dur(ニ長調)になるのは大好きだったベートーヴェンの第九へのオマージュだったとか。

書き始めると聴きたくなって、あらためてアバド版を聴いている。澄んだサウンド感。若い。やさしい。ポストカラヤン時代を告げる、21世紀を予感させるような、音楽。カラヤンの派手な、ややもすると油っこいサウンドこそがオーケストラのスタンダードと思っていた大学新入生の私にとって、そういう新鮮さもあったのかもしれない。

思い出した。たしか、このCDを借りた後、マーラーをもっと聴きたくなって1番のCDを買いに行ったのだ。バーンスタイン=コンセルトヘボウ。こっちは「あれ?」って感じもありながら、また別の、ぶっ飛んだバンスタ先生の魅力に惹き込まれていった。

バーンスタイン先生は、私のマーラーの軸だ。誰が何と言おうと、バーンスタイン先生の功績は偉大だ。偉大過ぎる。ぶっ飛んでいる。たまに聴こえる足踏みの音とか、唸り声とか、そういうのも含めて、素晴らしい。
解釈に自己流が入り過ぎているという批判はある。しかし、音楽というのはそういうものだ。前後の流れや、作曲家の意図を忠実に読み解きつつ、指揮者と演奏家のスパークが、素晴らしい瞬間を生み出す。
当時は結局、アバド版からバンスタ版にどんどん切り替えていったのを覚えている。若い私にはアバドは物足りなかったのだろうか。アバドをしばらく敬遠していた。当時の狭い、クラシックオタクの世界ではそうだったのかもしれない。たしかに、古い録音がもてはやされ、メロディアとかロシアの怪しいCDが大量に販売され、クナとか、フルヴェンとか、セルとか、トスカニーニとか。マーラーでいうとワルターとか。懐かしい。アナログ盤のデジタルリマスター。流行りました。はい。

マーラーの音楽の、本質的な中身の魅力に取り憑かれるまで、時間がかかった。というのもまず、長い。マラ5はともかく、どれも、長いので、何度聴きながら寝たことか。我慢して聴いた。微笑ましい。「マーラーを聴いている自分」が好きだった。かっこつけ、虚栄心、プライド。「分からない」「知らない」と言いたくない。クラシック至上主義。当時クロスオーヴァーが流行った。たしかイタリアワールドカップのときの3大テノールとか、ヨーヨー・マとか、クラリネットでいうとストルツマンとか。オモテでは邪道感を毛嫌いしながら、コッソリ聴いて楽しむ。大衆迎合とエリート意識の交錯。ノスタルジーに浸る。

マーラーに限らずだが、いつ頃からか、吹っ切れて本当の面白さに気付く。そうなると、沼に入る。もう抜けられない。マーラーはとくに、その沼が深く、気持ちいい。

雑多。展開の早さ。ぶっ飛び感。ロマンチック。高揚。暗から陽、または陽から暗。暗から暗も。ベートーヴェンは古典の弁証法的な、ロジカルな音楽を一度ぶっ壊した。マーラーはそれを、さらにぶっ壊す。調性以外はほとんど。だから無調音楽につながる。

調性から逃れられないことに、我々21世紀の人類は気付いている。しかし、多少の逸脱は、ありだと思ってもいる。これが、どの程度がベストなのか、許されるのか。そういった意味でマーラーは絶妙だ。クラシックファンの中でもストラヴィンスキーをきらう人はいるが、マーラーを嫌いという人は少ない。私はストラヴィンスキーに傾倒していた頃があった。すごく前衛的な気がして、聴きまくった覚えがある。

マーラーからストラヴィンスキーにまでいってしまった。沼で今度、やろう。さてマーラー、3楽章ザイフェルトのホルン、素晴らしい。2019年にお亡くなりになっていたのですね。おつかれさまでした。骨太で、かつ安定感。昭和な感じ(意味不明)。今も、こうやって聴かせていただいてます。ありがとうございます。

4楽章、アダージェット。Adagioではなく、Adagietto。アダージョよりちょっと早め。なぜだろうか。安定安心、ややもするとゆったりし過ぎるアダージョより、ちょっと早めに設定した理由?この曲は解釈が大いに分かれる曲で、このアバド=ベルリンフィルとバンスタ=ウィーンフィルと比べても、8:59と11:16という、2分以上も違ってくるのだ。アルマへの愛の歌、「ヴェニスに死す」の映画に使われて、マーラーの名刺代わりともいえる曲。個人的な話で恐縮だが、父の葬式でこの曲を流させてもらった。もちろんアバド=ベルリンフィルで。愛と、切なさと、優しさと。

いよいよ、クライマックス。さらりと、勢いよく、こってりせず、爽やかに。気持ちいいマラ5。良い。さて、今日は久しぶりの練習日。6番の予習もはじめますか。コロナでも演奏会やりますよ!

関西シティフィル 第70回定期演奏会
■日時:2021年2月28日(日)14:00開演
■会場:ザ・シンフォニーホール
■指揮:ギオルギ・バブアゼ
■曲目:マーラー / 交響曲第6番「悲劇的」
■入場料(全席指定):¥2,000 (座席指定料金¥500含む)
■チケット発売:チケットぴあ ✆0570-02-9999
       (音声自動応答 / Pコード 192-074)

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