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口々に体験語ってみたら、同じ年齢にターニングポイントが来てたという発見

『大変だった出来事をどう乗り切ったか』
というテーマで同年齢の4人の小グループでお互い数分で簡単に発表するような機会があった。
人それぞれ、感じる事も体験も違うし、ましてや職場も違う集まりだったのに、色々な出来事があっても『大変だった時期』と言われたときに、
結果全員が40歳になる歳辺りの出来事を発表してたのは非常に興味深かった。なんでだろう。
かく言う私もその年齢の出来事を話そうと思ったし、話していた。
50歳になって振り返った直近がたまたまそれ位なのかな。

普段友人とかとそういう話題の流れになったとしても、私が過去の大変さをわかってもらいたいと思っていないのもあって、わりとさらっと「あの頃は大変だった」としか私は触れないので、改めてそれぞれが短い中でエッセンスを話すという場面において、そのエピソードや仕事内容を具体的には分からなくても聞くことによって、私にとっても仕事上で上手くいかない時期だったから、共感と興味をもって聞いていた。
正直その頃の事は今でも思い出す事があって、嫌な印象だけが残ってる。

10年経った今でも強烈に『大変だった(個人的には”嫌だった”に近い)』とそのことについて思うのは自分位かと思っていたら、
全員が同じように大変だったと口にしたのでなんだか癒された。
過ぎたことだ。もう大丈夫。
ふと、全員の話を聞いてそう思えたから。

そして、本来の研修の目的でもあるのだけれど、自分なりにこれからの人生について考えて始めてる。

この先10年~15年位をこのまま同じ職場環境でこの仕事だけをしたいのかと自分に問うと、他に出来る事を考えてみたいと思っていて、

・仕事で得られる収入額を気にせずに、社会貢献をしてみる。(例えば、これか学ぶ予定の認知症予防を期待されていると言われているハンドケアを使ってボランティア活動をするとか)
※そのためには生活を支える収入が必要なので、理性的にはそこをどうするかは考えどころだと思ってる。
・年間労働時間を減らし、増えた自分の余暇の時間を使って自分が自分を喜ばす出来事だらけの人生を送る。
・人と関わりをもちたい。
そんな漠然としたイメージが浮かんでいる。

コロナで激変した世界という中で、未来がより分からなくなっているものの、日々過ごす上で自分が大切にしたい意図が何かを考える節目で、上に書いたものを眺めてみたら、まずは一歩づつ歩きだしてみる時に
『自分で自分を喜ばす』
そういう事が行動の基準で居られたらいいなと感じた。

2021年の6月は結局hari さんへ3回も通ってしまった。
それは、『私の中の”食いしん坊”が行きたいと言っている』という欲求のまま素直に行動したから、本当に楽しさに満ちた月だった。

今の会社での仕事はね、良くやってきた自分。と思う。

自分でいうのもなんだが、オンライン会議で資料映すのが上手くできなかったとしても、不器用さが帳消しになる位、客観的に全体像が見える方なので仕事としては、意見を聞かれる事が多いし、頼られていると思ってる。
長年頑張ってきたこのスタイルがデフォルトで分からなっくなっていたけれど、年齢的な事や自分の健康の事を考えてみると、仕事は人に任せていくという年齢になったのだと思う。

そしてあんなに苦手だったテレワークも、ずっとテレワークがいいかもと思い始めて来ている…。
1年4か月位、週のほとんどを家で仕事する生活が続いてきた中で、
机の位置の配置換えを何度となく繰り返して、自分がオフとなっている安心空間に仕事を持ち込む事にようやく折り合いがついてきた。
便利グッズ導入したりという効果ももちろんあるけれど、結局のところ私の場合は出社の際に知らない人と接近するリスクが低くなり、不安な情報がそとで渦巻いている状況で自分にとって安心できる空間にいつも居られるというメリットが大きかった。

この先もスタイルは変わっていっていい。と今の自分に言っておこう。
その中で居心地が良い事が何か探して試してみたらいいよね。







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