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〈11〉事業目的や役割を知ることなく働ける放課後児童クラブ

そんなバカなと思いましたか?

もちろん放課後児童支援員の資格を取る際に学びます。しかし前述した記事にもあるように、保育士や教師ではない無資格者がこの資格を取得できるための基準に当てはまるまでに相当な年月を要します。

その間自ら学ぶ意志が無い限り、あったとしても自力で学べる量には限りがありますから、学童期の児童の保育について無知のまま子ども達に接することになります。


一般企業への就職でも医療機関への就職でも、転職活動でも、ご自身の就職活動を思い返してみてください。

企業理念や病院理念、経営理念、仕事内容について調べたりしながら、その会社や組織がどんな社会的役割があって、何を追求しているかまで理解した上で試験や面接に挑みますよね。そして自分がどう貢献できるかなど考えてアピールしますよね。

筆者は医療従事者でしたので、資格取得ありきの職業でした。

看護とはどういうものかをよく学んだ上で就きました。法律、基礎知識、看護技術など。

放課後児童支援員補助はどうだったかというと、保育とはどういうものか無知のまま就きました。

小児看護で発達課題等は学びますし、保育園実習にも行きましたので全くの無知ではありませんが、それはあくまで看護の視点です。

法の解釈も自治体の事業計画も、保育の基礎知識も誰からも何の説明もなく、自分で知ろうとしない限り知らなくてもよい状態でした。

いかが思います?

保育における安心とは何ですか?

その職に就くことで生まれる責務とは?

いくら補助や代替という形で雇用されるとはいえ、こんな無知で無責任で働いていいんでしょうか?

筆者の放課後児童クラブでは、補助として働いていた数年間、ずっと自治体の職員に「頑張らなくていい。」「ただ子どもを見ていればいい。」と言われ続けました。

その言葉に強烈な違和感、不信感、怒りさえ覚えました。

学童期の子どもの育成支援という、とても大事な役割があるにも関わらず、有資格者と無資格者の混在、設置者である自治体の無理解、一人暮らしも儘ならない薄給、全てがアンバランスすぎて職業として成り立っていませんよね。

保育現場で起きる昨今の様々な事件、事故を見ても、保育について無知の者が就いてよい職業ではないことは明らかです。


では、なぜ無知な者を容易に受け入れるのか。

一つはとにかく放課後児童クラブを存在させるために人材をかき集めなければならないからでしょう。

共働き家庭やシングル家庭の増加で、放課後児童クラブや学童保育所はもはや必須かつその設置が急務なものとなりました。

とにかく受け皿を増やす。しかし有資格者として働ける保育士や教師は万年人材不足な職種。

何で補うか。子育てしたことある人だ。何ならしたことなくても、ただそこにいて子ども達を見ていてくれればいい。

そういう発想なのではないのでしょうか。

もう一つは、日本人の潜在意識として、子どもの面倒は誰でも見れるというものがあるからでしょう。

実際に筆者が働き始めた頃、近所のおばあさんにそう言われましたしね。

昔はきっとそうだったのでしょう。お母さんが必ず家にいて、近所で遊んだり商店に行けば優しい大人や叱ってくれる大人、話し相手になってくれる大人がいる。まさに地域社会で子育てしていたのでしょう。

時代が変わり地域のつながりも減った今、子どもの面倒を見ることは誰でも出来ることではなくなりました。

そして子育てと保育は違うと思います。

自分の子どもを育てるのと、他人の子どもの育成は違うのです。

子育ては親が子どものために何が最善か考えながら必死にやっています。保育はその家庭保育を大前提に、子ども達をアセスメントして、自主性や社会性、創造性を育むため介入します。家族アセスメントや学校、発達支援センターなど他機関との連携もします。

保育は専門職です。無知な者が侵入してよい分野ではありません。子ども達の人権と成長がかかっているのですから。

学童期の保育は、乳幼児期の保育を前提に積み上げるものです。さらに学童期は子ども達の抱える課題が表面化してきます。不登校や虐待、ヤングケアラー、貧困、いじめ、発達障がい。

乳幼児期の保育の大変さは当然のこととして、学童期の保育はさらに難易度が高くなるのです。放課後児童支援員のスキルが低ければ、設置者の無知による制度設計は、これらを見逃すこととなり、それはもはや保育ではありません。

何のために放課後児童クラブや学童保育所があって、誰のための放課後児童支援員なのか。現場で子ども達と向き合う者はもちろん、設置する事業者もきちんと知らねばいけません。


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