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栽培植物の起源を調べて、なんの役に立つのですか?

学生時代の研究テーマで、栽培植物の起源と伝播経路を調べていました。栽培植物がどの地域で発祥(起源)して、どのようなルートを辿って世界へ広がっていったのかを科学的手法で明らかにしようという研究です。

栽培植物は「自然と人間の共作」

現在私たちが目にする野菜や穀物は、人類と出会う以前から今のような姿で自然界で暮らしていたわけではありません。野生だった頃は、もっと食べる部位が少なく、味も良くなかったのですが、人間が何世代もかけて栽培化と系統選抜を進め、今のような姿になりました。このような、自然と人間の共作が栽培植物です。

人間に栽培される過程で、「苦味の成分が少ない」「穀粒が熟しても穂から落ちない」など、自然界で生き残るには不利になる特徴も付与されました。それでも人間にとってはむしろ都合が良いので、淘汰されずに現代まで生き残っています。

たとえばトウモロコシは、中南米に分布するテオシントというイネ科植物が祖先だと考えられています。テオシントはサトウキビを小さくしたような外観をしており、トウモロコシのような立派な穂はつきません。穂がより長く、より太いものが選抜され、胚乳が硬いものや甘く水っぽいもの、色が黄色いものや紫色のものなど多様な品種が作出されました。

このような栽培植物の起源を知ることで、普段の暮らしに役立つことも多々あります。以下では、ほんの一部をご紹介します。

①育て方をイメージしやすくなる

作物の育てるとき、その植物の祖先が野生で暮らしていた環境を意識すると、適切な栽培方法をイメージしやすくなります。

たとえばトマトは、アンデス高地の降雨が少ない地域で起源したため、乾燥に強い反面多湿に弱い傾向があります。そのため排水不良地では高畝にするなどして水はけを改善する必要がありますし、梅雨には雨よけが必要になります。

同じナス科でも、ナスはインドからベンガル地方の多雨地帯で起源しました。このため水切れに弱く、乾燥が続くと落花や萎凋につながります。

また、家庭菜園をやるとき、なるべく手間をかけずにそれなりの収穫を得たいと思ってる人には、日本原産の作物がおすすめです。アサツキミョウガミツバなど、もともと日本の気候に適した植物は、あまり気を遣わなくてもそれなりに育ってくれます。

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↑アサツキ。とにかく栽培がラクです。

②歴史が面白くなる

「栽培植物の歴史」という切り口で見ると、断片的な歴史の知識が体系的にまとめられて、ストーリーのつながりが理解しやすくなります。歴史関係の本を読んだり映画を鑑賞したりするとき、「この時代の人たちは何を栽培して、何を食べていたんだろう?」とイメージしてみるのも面白いのではないでしょうか。

たとえば「ジャガイモの歴史」というテーマで見てみましょう。

ジャガイモはアンデス高地のチチカカ湖周辺で起源したと考えられており、先住民が古くから食料として利用していたことが土器のデザインなどから判明しています。トウモロコシは神に供える神聖な作物、ジャガイモはより日常的な食糧、という位置付けだったようです。

アンデスでは、昼と夜の気温差を利用してジャガイモを乾燥させる「チューニョ」という保存食が編み出され、今も伝統食として継承されています。インカ帝国が15世紀に勢力圏を拡大したときには、軍隊の補給線となる街道沿いに食糧庫を建設し、多量のチューニョを備蓄することで長距離遠征を可能にしました。

16世紀にスペインが中南米へ侵攻してインカ帝国を滅ぼし、戦利品としてジャガイモをヨーロッパへ持ち帰りました。中南米の土地と奴隷と銀山を手に入れたスペインでしたが、オランダ独立を巡ってイギリスと戦争になり、1588年に「無敵艦隊」が英国艦隊に惨敗。このとき、ブリテン島に漂着したスペイン艦の積荷にジャガイモが載っており、イギリスにジャガイモが伝来したという説があります。

なお、この騒動で独立を果たしたオランダは、後に日本へジャガイモを持ち込みました。1600年頃にジャカルタ経由で運ばれてきたため、「ジャカルタ→ジャガタラ→ジャガタラ芋→ジャガイモ」という具合に、「ジャガタラ芋」「ジャガイモ」と呼ばれるようになりました。冷涼な気候で育つ救荒作物として評価され、東北、北海道、信濃、飛騨などで重宝されたそうです。特に明治時代には、北海道の開拓地でジャガイモが積極的に導入されました。現在でも北海道は、日本のジャガイモ収穫量の8割を占めています。

ヨーロッパに話を戻します。ヨーロッパへ伝わった当初、ジャガイモは花を鑑賞するために栽培されたそうです。ジャガイモも、ナス科特有の綺麗な花が咲きますからねえ。

やがて栽培技術と品種選抜が進み、ヨーロッパでも食用のジャガイモが作れるようになりました。すると、痩せ地でも育つ特性が評価され、18世紀頃にはフランスやアイルランドで栽培が奨励されました。

特にフランスのブルボン朝は、ジャガイモ普及に積極的でした。しかし、南米原産であるジャガイモは聖書に登場しないため、クリスチャンから警戒されました。地中で勝手に芋が増殖するというのも、気味悪がられるポイントだったようです。

そこでジャガイモのイメージ向上のため、マリー・アントワネットがジャガイモの花の形をした髪飾りを身につけたりしたんだとか。また、ジャガイモ農園にあからさまに厳重な警備をつけて、「よほど貴重な作物に違いない」と市民に印象付けたうえで、わざと夜間に警備を手薄にしました。すると、好奇心に駆られた一部の市民が夜間に農場へ忍び込み、実際にジャガイモを掘って食べてみたら美味しかった、という回りくどい宣伝活動までやっていたそうです。

一方、アイルランド(当時はイギリス統治下)ではジャガイモ栽培が全土に広まったものの、ジャガイモへの依存が高まりすぎたことが災いしました。1845年頃にジャガイモ疫病がアイルランドで大流行してジャガイモが壊滅し、イギリス政府の失政も重なって未曾有の飢饉が発生。100万人以上が餓死し、逃れるようにアメリカへの移民が加速しました。

このときアイルランドからアメリカへ移住した人々の中には、J.F.ケネディの曽祖父もいました。J.Fケネディはアメリカ大統領で初めてのカトリックでしたが、彼の家系のルーツは、敬虔なカトリックの多いアイルランドにあったわけですね。

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↑「インカのめざめ」という品種。あまりうまく育たなかった・・・。

・・・このように、断片的な歴史の知識が「ジャガイモ」という一本の串で貫かれ、大河のようなストーリーになります。本を読んだり映画を見たりするとき、チラッと描かれた栽培植物に、より親しみを憶えるのではないでしょうか。

まとめ

栽培植物の起源地の気候を知ると、作物の育て方をイメージしやすくなります。さらに、世界各地の歴史と地理を、栽培植物のルーツという切り口でひと繋がりの物語に編纂できる楽しみがあります。

スーパの野菜売り場やキッチンから、世界各地の気候と歴史を巡る旅へ想像を広げてみてください!


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