細部に宿る神を感じたい
英語学習の一環として多読なるものを嗜んでいますが、お作法をガン無視しまくることも多々あり…っていうかむしろその方が多いので、学習というよりも洋書を読みたいあまりに先人が丁寧に書いてくれた地図を放り出して藪の中を行ったり来たりしている感じ。もはや学習ではなくて趣味の一環ですね。
登山家が登りたい山を前にして登るように、読書もまた読みたい本があるから読むのです。読解力が心配ならばレビューを読み(下調べ)、足りない知識があればテキストなりネットなりを駆使して確認(装備増強)、読んで歯が立たなければ途中でやめて本棚で熟成(無理なく撤退)、時がきたらまた読んでみる(経験値上げて再挑戦)。
まあ、私は登山は全く嗜まないんですけども。
それはそうと、そんな読み方をしているので、これはと思う本があれば背伸びしてでも読みます。作品に対して読解力が追いついてないことは多々あるのですが、ちゃんと内容が追えていればよいかなーと、そこらへんは自分に甘め。
ただ、やっぱり外国語で本を読むって難しい。というのも自分よりもレベルの高い本だと、読み間違いの可能性も上がるからです。
ここで、英語を使う機会が日常的にあれば、自分の勘違いや思い込みに気づくこともあるかもしれませんが、完全日本語で生活している私にはその機会はなかなか自然には訪れない。読書ってひとりだけの行為なので、解釈が間違っててもそのままにしておける。なので、やっぱり読書と併せて文法や読解の勉強はした方がいいなーと思ってニュース記事の精読をしたりしています。あとはオンラインレッスンでちまちま自分の英語を直してもらうとかね。
もうひとつ、並行して学習が必要と感じるのは、ただ読んでいるだけじゃ、薄ぼんやりした解像度低めの読書からはなかなか脱却できない気がするからです。
たまに日本語の小説を読むと、情景が脳内に直接流れ込んでくるような感じがして、濃厚で色鮮やかな世界観に面食らってしまうのですが、これは私が日本語を母語としてしっかり理解しているからです。一方、英語だとこれがもっと輪郭がぼやっとして彩度も低めな感じ。かつ、私の場合、ストーリーに夢中になると、細々した情景描写などの枝葉末節で不明瞭なとこはどんどん飛ばして、本筋さえ追えばOK! となる傾向がある。もちろん、いちばん重要なのは木の幹の部分なので、枝葉を省いて幹だけでも十分楽しめることが多いし、今の段階だとそれが精一杯なので良しとしている。けれども、作品の持つ独自性とか豊かさっていうのは、枝葉の部分にこそたくさん潜んでいるんですよこれが!
本、特に小説って無駄に思える部分にこそ価値があるもんです。ぶっちゃけ幹の部分だけが必要ならば、読まなくたって、少し前までよく見かけた図解とかダイジェスト動画みたいのを確認すれば良いわけで。本って文字の羅列だし、世界中の誰が読んでも同じ文章なだけど、その文章の個性というか、枝葉末節の部分の輝きに気づき、味わえた時に、その読書体験はより自分だけの超個人的な体験に昇華されるんじゃないかなあ。とか思っているのです。
神は細部に宿るんですよ。
そうなると、私の今の読書は残念ながら大変雑で稚拙なものであると言わざるを得ません。でも楽しいからやめないし、自分の理想とする読書体験を求めて邁進するのみなんだけど。早くディテールを味わいながら、もっともっと深い楽しみ方ができるようになりたいものです。
先の長い話なので、ちょっと頑張って健康長生きしないとなー。
ちなみに今夢中なシリーズはこちら。ほんと面白くて、読書休暇が欲しい。
さて、続きを読みますかね。
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