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私に推しマークは要らない

推しマークという文化は、恐らくVtuber界隈が発祥だったと思う。ライバーやユニットを表す絵文字、もしくは絵文字の組み合わせを設定し、本人やそのファンがSNSの名前やプロフィールにそれを記載することで、分かる人が見た時に『それ』と分かるようにする文化である。かれこれ6年くらい界隈に住んでいるが、割と初期からこの文化はあったし、今や初配信の自己紹介のひとつに推しマークがあるのも定番となっている。

そんな古株の私だが、私自身は名前やプロフィールに推しマークをつけていない。
理由は簡単で、それって要る情報か?と思ったからである。

前提として、私は『専用アカウント』を持っていない。特定のコンテンツ、ライバーだけをフォローしたり、RTするためだけのアカウントを持っていない。その理由は、公式アプリだとアカウント管理が面倒だとか、アカウントを分ける明確な理由として自分の中で足りないとか、まぁ色々あるが主題ではないので気にしないで欲しい。
専用アカウントがないので、基本誰かにリプライを送る時、「いいね」を押す時、RTする時は、すべて同じアカウントからになる。その名前に、特定の誰かを示すマークがある時、それは時に要らぬ情報、雑念にならんか?と感じたわけだ。
今でこそ数は減ったが、Vtuberを追い始めた当初の私は、とにかくリプライを送りまくっていたし、それに気が引けた時には引用ツイートで間接的にリプライをしまくっていた。それが特定の誰かではなくて、同じ事務所にいる男性タレント全員、そしてそこと交流のある他事務所のタレントや個人勢も含めると、とにかくかなりの人数だった。だけど、私は決して「Aさんのファンとして、Aさんと仲良くしてくれるBさんに、感謝の意を込めて反応してます!」とかではなかった。AさんをきっかけにBさんを知ったけど、でもBさんのことも素敵だなと思ったから、Bさんにも反応していただけ。そこにリプライを送っている私は『Bさんに感謝してるAさんのファン』ではなく、『純粋なBさんのファン』だ。

私は誰に対しても、言葉を送る時、反応をする時、そこにいる『私』は『その人の純粋な1ファン』でありたいと思った。そのために、私の名前には特定の誰かを示すような印は要らないと思った。

「あなたの配信が楽しかった、たくさん笑えて嬉しかった。」
「新しい歌動画に感動した。あなたの表現が本当に好きだ。」
「雑談配信でもらった言葉に癒された。勇気をもらえた。」
そんな気持ちを、わざわざ文字にして届けようとしてる、その行為がもう、私をあなたのファンたらしめている。マークにして示すまでもない。
その瞬間、そこに他の誰かは介在しなくて良い。
だから、私に推しマークは要らない。それが私の結論だ。

すごく格好つけて話したが、これは結局DD(誰でも大好き)で変わり身の早いオタクが身に纏うものを減らして適応しているだけだったり、変に『誰かのファン』として他所様や推し本人に迷惑をかけたくなくて保身しているだけだったりする。推しマークをつけている人や、推しマーク文化自体を否定する気持ちはない。どこにいっても変わらない気持ちをいつでも証明できる強さは、私の憧れるところでもある。
ただ、考え方の一つとして、こういうのもあるんだな、くらいに思ってほしい。

そういう意味だと、YouTubeのメンバーシップバッチは良いなと思う。登録している本人の配信でだけ、本人のファンである証が出てくる。その場にいる、その瞬間の自分を、その人のファンとして裏付けてくれる。長くそこにいればいるほど、それを可視化して伝えてくれもする。めちゃくちゃ良い。
困る時があるとすれば、推しが何人か集う配信が、そのうちの一人の枠でだけ開かれてる時くらいだ。バッチはチャンネルを跨いで持ち越せないし、複数つけることもできないので、ほんの少しの戸惑いともどかしさを感じる。そこはもう、コメントの中身で精一杯伝える他ない。私の語彙力が火を噴くだけだ。


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