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リアタイはタスク

『リアタイは信者のタスク』というのが全てだとは思っていないが、その価値観をいくらかでも内包して生きていて、それが遂行できない時、自分に意味が見出せなかったり、役に立たないなと思ったり、気後れしたりして、好きでいるモチベーションを下げるのは無理がないな、と思う。例えそれが不可抗力によるものだとしても。

私にとってリアタイはmustではなかったけど、want toだった。というか、未だにリアタイが一番だと思っている。以前よりもそこに固執しすぎないようにしている、固執しないようになってしまったという感じだ。
特に私が見ているものは配信が大半であり、全編見ようと思ったらリアタイが一番良い。
どんな配信であれ、コメントで参加できるところが大きな魅力だと思っているし、常に張り付いてチャットしているわけでなくても、興味のある話題に相槌を打てるだけで楽しい。それができるのはリアタイだけだ。それに、長時間のアーカイブを改めて見返すというのは、存外大変だったりする。例え好きな人の配信であっても。というか、好きな人の配信だからこそ、しっかり内容まで見たいと思って、見返すハードルが上がる。リアタイしている時は、家事や作業のお供に流し見したり、配信をつけたまま寝落ちしたりするのに。それだけ、『リアタイする』ことの意義や満足感が自分の中で大きいんだろうな。配信は時間の共有だと思っているから。一緒にその時間を過ごしている感覚を得られることが、自分にとっては一番意味がある。

とは言え、全部の配信をリアタイするのは不可能だ。私は週休二日で働いているし、在宅でもなければ常にネットに触れられる環境でもないので、仕事中はBGM程度に配信を流すということすら出来ない。推しには推しの生活リズム、仕事や用事の都合があるので、仕事中に配信が始まったり、退勤前に終わってしまうこともある。
ただ、これを不可抗力と捉えるかどうかは、ちょっと違うと思っている。配信のゴールデンタイムに該当するような時間(19時~24時あたり)とぶつからない仕事ってめちゃくちゃあると思うから。私は今、この時間にあまりぶつからないような勤務になっているが、基本はぶつかる確率の方が高い仕事をしているし、今後その回数が確率通りになっていく予定である。そう考えると、仕事を変えたいなとか、極力ぶつからずに済むような交渉をしたいなと思う。だって、明らかにリアタイできる配信の数が変わってくるから。時間の共有に何よりも重きを置いている身として、リアタイの回数、確率を増やすことは重要だ。
そう思ってしまうと、リアタイできる回数が少ない環境に身を置いているのは、それを選んだのは自分自身であり、本当に不可抗力なのか疑わしくなるわけだ。改善や選択の余地があるのに、現状維持をしているのは自分だ。それに気付くと、気後れする気持ちや、好きのモチベーションの下がり幅が大きくなる。自分の中で「もうどうやっても無理だ!諦めよう!」とスッパリ言い切れない。そうさせている要因がある。フラストレーションはどんどん溜まる。
実際、今の仕事を始めた当時はことごとく配信をリアタイできず、溜まったフラストレーションを抑え込む代わりに、好きでいるモチベーションと見続ける気持ちを折った。仕事を始める前と後で、私が見ている配信者はがらりと変わったし、唯一見ていたアニメもリアタイを逃して以降全く見ていない。これだけが原因ではないけれど、やはり推しを追わなくなってしまった大きな契機に違いはない。
同居している恋人や家族でさえ、各々が仕事や学業、用事や交友関係を抱えていれば、24時間ずっと一緒ということはあり得ないし、それぞれの人生を尊重する意味でも、それで良いとは思う。最近は特にその意識を強く持って、深追いしすぎないようにしている。ただ、それはそれとして、私の独りよがりな価値観、ポリシーとして、出来得る限りの努力はすべきだと思っている。それが自分の願いであれば、わがままであれば尚更。
そんな独りよがりで潔癖な価値観が、私の首を絞めている。もっと気楽に誰かを好きでいれたらいいのに、と思わなくはないけど、それくらいの強い意志があるからこそ、努力ややる気が続くところもあるし、楽しい部分もあるから、好きに本気のままでいる。

私にとってリアタイはタスクではない。信者でありたいわけでもない。ただ、それ以上に重たい意味が自分の中にあるから、リアタイを辞めたくない、辞められない。


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