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タイで会った子供たちの瞳

誰かに聞いたことがある。

“初めて行った海外が良い思い出か悪い思い出かで、その後日本以外に視界が広がるか決まる”



私が初めて海外旅行に行ったのは、タイだった。
高校時代からの友達と女性2人旅。

お互い海外初とあって、どこにしようかカフェで会議となったときに、友達が持ってきたパンフレットが“プーケット”だった。
「絶対名前で決めたでしょ!」
彼女にそんな茶目っ気のあるのは、百も承知だったから大笑いして、パンフをめくった。

タイは親日派と言われること、多少の英語も通じること、比較的危険と安全の区別がつきやすそうであることから、プーケット、バンコクを経由する旅行に決定した。


準備は結構万全にした。
必要性の高いタイ語を本を買って覚えた。
当時、スマホで全部翻訳するなんてものはなかったから。
英語も会話を再確認。こちらも受験英語では心許なかった。
通貨を覚え、荷物にはしっかり鍵をかけた。
もう今ではお目にかからない、“地球の歩き方”を熟読した。



いよいよ出発。
楽しみすぎて、今までで1番長く搭乗した飛行機もあっという間。
空港に着いた瞬間から、もう全く異国だった。
初めてのくせに、ホテルに送迎までしかガイドさんがいないフリープランを選んでいた私たちは、完全に自由で少しの警戒と大きな好奇心の塊だった。

「コップンカー」
タイで出会う人たちは、みんな笑顔で挨拶してくれた。
これが“微笑みの国”と言われる由縁かと、納得した。
ホテルでは何の敵意もない、ナチュラルな南国。
肩の力はかなり抜けた。
それでも、カタコトのタイ語と英語でときには笑顔で乗り切るのは、若さゆえの度胸も必要ではあった。

とにかく、気候、聞こえてくる言語、景色、あらゆるものが日本とは違う、南国。
周りをみて、真似してみたりしながら、島を探索した。
露天商の人はしつこく話しかけてきて、誰に教わったんだ?って言う巧みな日本語を駆使している。
笑ってしまったが、偽物は空港で没収されるからキッパリ断った。

用心深い私はショルダーバッグに鍵をかけていたら、「これは何だ」と聞かれたから、「鍵だよ」と言ったら、真顔でナイスだと言われたりした。


細かいことはいろいろあったけど、よく覚えていることが二つある。


そんな笑いながら道を歩く私たちだったが、大通りの一本奥への曲がり角は用心しないといけないとガイドブックに書いてあったのを覚えていた。
あっちに行きたいけど、あの裏道、暗いような…危なくないかな?とのぞいて友達と相談していたら、現地の男性が目の前に、立った。手を横に振っている。しかも怖い顔だ。ということは…
「Dangerous?」そう聞くと、頷きながらそこから遠ざけようとされた。
不慣れそうな旅行者を、危険から遠ざけてくれたことに、驚きと感謝の気持ちがわいた。
観光地だということを抜きにして、優しい人が多い。助けられて、そう素直に思えた。



ご飯をどこで食べようかと探していたとき、道沿いの空き地にテーブルにたくさんの食材を並べて料理をしているお母さんを見つけた。
お母さんと思ったのは、周りで4人くらいの子供たちが遊んでいたからで、その明るい雰囲気に引き寄せられた。
注文は簡単だった。
「これとこれ」「あとこれとこれ、これも」
食材を指さしながらタイ語でさらにこれだけは必要な一言を付け加える。
「辛くしないでください」
お母さんは、オッケーわかった。座っててと、笑って身振りで示してくれた。

「大丈夫だったかなあ」
味付けもどう調理されるかもわからないまま、賭けのような食事の行方をちょっと心配した。
が、それは嬉しい誤算だった。揚げたり炒めたり、バラエティに富んだ料理を、次から次へと子供たちが運んでくれた。
「コップンカー」
そういう私たちを嬉しそうに、そして恥ずかしそうに笑いながら見てお母さんに抱きつきにいく子供たちの瞳に釘付けになった。

なんて、キラキラして純粋な瞳をしているんだろう。

本当なら、学校とかあるのかもしれない年齢の子もいたけど、小さい子もみんなお母さんの手伝いをして楽しそうに笑っている。

これが一番のカルチャーショックだった。
日本とは違う境遇、違う幸せがある。


私たちは、この辺りの国なら大抵テーブルに常備してある辛い、酸っぱい、甘いを好みにする調味料を一切使わずにお腹いっぱい平らげた。
お母さんに、「おいしいです」と覚えたてのタイ語で言うとグッドとされ、皿を下げてくれる子供たちに「おいしいね」と言うと、キャハハと笑って。
そして、とても安い料金にビックリしてもう少し出そうとしたけど、いらないと受け取らなかった。
笑顔でありがとうと、別れた。

この後私たちは滞在中、いわゆる外国人向けのレストランには行かず、現地の人がたくさんいて大丈夫そうな青空の下で、全ての食事をした。お腹を壊すことはなく、高値をふっかけられることもなかった。
運が良かったのかもしれない。ただ、本当に日本とは違う文化だと、ハッキリ思った。


バンコクは都市だったけどガイドさんに、スラム街とすぐ近くにあるビル群、日本人街などをバスで移動中に教えてもらった。
見た目にも、貧富が天地ほど違いすぎる現実に愕然とした。目の当たりにするのは初めてだったから。


あの綺麗な瞳の子供たちは、幸せなんだろうか。
誰が幸せか、決められるわけではないのかもしれないけど、純粋な瞳はどう成長するのだろう。
私には、あの瞳が忘れられない。


世界に興味を持った私は、その後何ヶ国か観光客として旅をした。どこも違う、同じ場所はない、地球は本当に広いんだ。

そして、ヒアリングは大体できても返事につまる英語の必要性もありありと感じ、これは私だけでなく、今は子供にも身につけてもらいたいと実践している。




初めて海外旅行に行ったタイは、間違いなく私にとって大きな思考の転換だった。地球には、日本だけではない。どこで何をして人生を歩んでいくかも、自分で選択することができると。

正直、日本にずっといることが私に合っているかわからないと感じているから。
私はどこに行くのかは、まだ決められていないけれど。

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